第11章 告白と軋轢

1 拍手のあとで


ステージを降りても、胸の鼓動はまだ収まらなかった。

楽屋の椅子に腰を下ろした早苗は、涙を拭う間もなく笑っていた。

「……ねえ蒼太、ほんとに来てくれて、ありがとう」


彼女の声はまだ歌の余韻を残していて、震えが混じっていた。

俺はタオルで汗を拭いながら、ただ頷いた。

「間に合ってよかった」


黒瀬がピアノの譜面を片付けながら、静かに言った。

「最高だった。観客、完全に引き込まれてたよ」

「黒瀬くんのおかげでもあるよ。リハで支えてくれたから」

「いや、今日は相馬の伴奏だった」

黒瀬は俺に視線を向けて、淡々と告げた。

その声に棘はなかった。けれど真実は重かった。


早苗は二人の間を見比べ、微笑んだ。

「二人とも、ありがとう。……大好き」

その言葉は一瞬で楽屋を静めた。



2 夜の帰り道


会場を出ると、夜の風が熱を奪っていった。

川沿いの道を三人で歩き、途中で黒瀬は「先に帰るよ」と言って去った。

二人だけが残る。


欄干に肘を置いて、早苗が空を仰いだ。

「……わたし、今日でやっと言える」

「何を」

「好き。蒼太が好き」


五度目の告白。

光のない川面に、言葉が落ちて波紋を広げた。


俺は黙った。

胸の奥で何かが燃えるのに、声にならない。

「返事、聞かせて」

彼女の目は真剣で、逃げ場がなかった。


「……俺も、好きだ」

ようやく出た言葉は、掠れていた。

けれど彼女は微笑んだ。

「やっと、言ってくれた」


小指を差し出してきた。

「じゃあ、もう一回だけ指切りしよ」

俺はその指を強く握り返した。



3 サッカー部の怒り


翌日。

部室のドアを開けると、空気が重かった。

キャプテンが腕を組み、仲間たちが無言で睨んでいた。


「相馬」

キャプテンの声は冷たかった。

「なんで途中で試合を抜けた」


「……大事な約束があった」

「全国予選より大事なものがあるのか」

誰かが吐き捨てるように言った。

「裏切りだろ」

「ふざけんなよ」


胸が痛んだ。

でも逃げるわけにはいかなかった。

「……悪かった。でも俺は、あの約束を守りたかった」


沈黙。

監督が入ってきて言った。

「相馬、お前の実力は認める。だが、チームを裏切った事実は消えない。次の試合は出さない」


重い宣告が落ちた。

仲間の視線は鋭いまま、俺を突き刺した。



4 音楽室の光


放課後、音楽室のドアを開けると、早苗がいた。

ピアノに肘を置いて譜面を見ていた彼女は、俺の顔を見て微笑んだ。

「来てくれたんだ」


「……ああ」

サッカー部の視線がまだ胸に刺さっている。

でもこの場所に来ると、呼吸が少し楽になった。


「ねえ蒼太、今日も一緒に合わせよう」

「うん」


鍵盤に指を置くと、昨日のステージの光景が蘇る。

声と音が一つになったあの瞬間。

それはサッカーの歓声にも負けない強さで胸に響いていた。



5 黒瀬の沈黙


練習が終わり、黒瀬が譜面を閉じた。

「……二人、昨日のことで何か変わった?」


早苗が答えるより先に、俺が言った。

「俺は……やっと言えた。早苗のことが好きだって」


黒瀬の瞳が一瞬揺れた。

けれどすぐに、静かな笑みに戻った。

「そうか。……なら、俺はこれからも支えるよ。ピアノとして」


その声は静かだった。

だけど、その奥に隠された痛みを、俺は感じていた。



6 夢の広がり


早苗のもとに連絡が来た。

次のステージは地域イベントのゲスト出演。

観客はさらに多く、プロの音楽関係者も来るらしい。


「すごいな……」

俺は息を呑んだ。

「怖いけど、楽しみ。蒼太、また一緒にやってくれる?」

「もちろん」


そう答えた。

だが同じ週に、サッカー部の県大会があることを思い出した。

また重なる。

また選ばなきゃいけない。


胸の結び目は固く締まって、呼吸を苦しくした。



7 川沿いの告白


夕暮れの川沿い。

蝉の声が遠くで響き、風が少し涼しくなっていた。


「蒼太」

「ん」

「好きって言ってくれて嬉しかった。でもね、わたし、もっと欲張りかも」

「……?」

「夢も欲しいし、蒼太も欲しい」


彼女の目はまっすぐだった。

その光は眩しくて、俺は目を逸らせなかった。


「俺も……欲張りだよ。サッカーも音楽も、両方大事なんだ」

「じゃあ、両方取ろう」

彼女は笑った。

「大変だけど、蒼太ならできるよ」


その言葉は甘くて、同時に苦かった。

本当に両方を取れるのか。

その答えはまだ見えなかった。



8 仲間の声


数日後、サッカー部の仲間に呼び出された。

「相馬、お前本気でどうしたいんだ」

「全国に行きたいのか、音楽がやりたいのか」


問い詰められて、言葉が出なかった。

「……どっちも大事なんだ」

「そんなの通用しねえよ!」

声が荒れる。


「チームにいるなら、チームを選べ。それができないなら辞めろ」


重い沈黙。

返す言葉はなかった。



9 黒瀬の言葉


放課後、黒瀬に呼ばれた。

「相馬、お前が迷ってるのは分かる。でも、どっちも選ぶって本当に難しい」

「……分かってる」

「早苗を泣かせるくらいなら、どちらかを捨てる覚悟を持て」


黒瀬の言葉は厳しかった。

でも、それは俺への誠実さでもあった。


俺は欄干の冷たさを思い出した。

結び目を、もう逃げずに解く時が近い。



10 夏の夜


川沿いのベンチで、早苗と並んで座った。

街灯の下で、彼女は静かに言った。

「蒼太。わたし、何度でも告白するよ。……好き」

六度目の矢。


俺は彼女の手を握った。

「俺も好きだ。……でも、どうしても両方守りたい」

「じゃあ、守ろう。わたしは信じる」


その声は揺るがなかった。

結び目は、少しだけ固く結ばれ直した気がした。



11 次の衝突


夏祭りのゲスト出演。

同じ日に、サッカー部は県大会の決勝。

完全に時間が重なっていた。


監督は言った。

「勝てば全国大会出場だ。全員、死ぬ気でやれ」


早苗は言った。

「ここで歌えば、プロの道が開ける。蒼太、絶対に来て」


二つの声が、再び俺の胸でぶつかり合った。

時間は待ってくれない。

結び目は、ほどけるか、断ち切れるか。

その選択の時が、目の前に迫っていた。

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