エゴエティア・リベルタ
火乃焚むいち
第1話 始まりの雷鳴
この世界には人がいて、悪魔がいて、魔法がある。
魔法は人々の生活の中に深く根付き、私たち人間にとってなくてはならないものとなっていた。
けれど、魔法はどんなことでもできる。
悪意に染まれば災いを、善意に染まれば繁栄を、扱う者によって、時代によって、魔法はありとあらゆる場面で様々な表情を見せてきた。
その最たるものが、人のあらゆる願いに呼応し現れる意思を持つ魔法、悪魔であった。
天と地を覆う厄災の象徴。人の願いが生んだ呪い。そしてその力を我が物にしようとした人間の扱う技術こそが魔法である。
故に魔法は、『悪魔の術法』と呼ばれていた。
自分のことを自分はどれだけ知っているだろうか。たとえば背丈だとか、好きな食べ物、嫌いな食べ物、趣味、特技などなど、聞かれれば大体のことは答えることができるとは思う。
だけど、答えられるものと同じくらいわからないことだって沢山ある。この先どうなっているのかとか、どういう人を好きになるのかとか、人と何が違うのか、何が同じなのか、幸せなのか、不幸なのか、私の見ている私は他人から見た私と同じなのか違うのか、そして私は何なのか。
知らなくてもいいことなら知らないままでもいいだろう。例えば母さんのマグカップを私が割ってしまったことを母さんは知らないでいいし、父さんと一緒にこっそり夜にからあげを作って食べたことを他の人たちは知らないままでいい。
『なに、これ…………』
しかし、知らないということは恐れることもできないということに他ならない。
きっかけはほんの些細な姉弟喧嘩だった。もう何十何百回と繰り返してきた、取るに足らない姉弟喧嘩。そこで私がいつもより少しだけムキになって、とにかく色々な感情があふれた時にそれは起こった。
周囲にあった物も人も吹き飛ばし、私の周りはほんの一瞬で私を中心に爆発が起きたかのような光景に変わった。何が起きたかもわからないまま狼狽える私の耳には、父さんに庇われた弟の泣き声がいやに遠く聞こえる。
駆け寄ろうとして弟を庇った父さんの腕がボロボロになっているのを見て、怖くなって、叫び出しそうになったところで私の意識は途絶えた。
それが今から十年ほど前の話。
悪魔による未曾有の大天災を、世界が何とか乗り切った直後の出来事。私は十年の時を経て十六歳となっていた。そして今日、私は私が知らない自分のことを知るための新たな一歩を踏み出そうとしている。
『よぉーし!元気は十分!緊張も言うほどしてないし、何でも来いって気分ね!!』
『姉ちゃんうるさい。そんなん言ってると忘れ物するとかコケるとかしょうもないことやらかすよどうせ』
『走り出そうとした人間に足かけるみたいなこと言うのやめなさいよエレフ!!』
『そんなふうに言わないでよ。心配してやってんのにぃ』
私が『嘘つけ!』と指をさすと小憎たらしい弟、エレフは『せいか~い』と言って舌を出しながらケラケラと笑う。
小さい頃の事件は決して夢ではなく現実にあったし、そうでなくとも数えきれないくらいの喧嘩をした弟だが、それでもなんだかんだと言って仲の良い姉弟としてやってきている。ただ、喧嘩は未だにするけれど。
『はいはい、元気なのは良いですけど、ケンカはしないでくださいね二人とも』
『おいリベラ。エレフの心配は茶化しだったかもしれねえが、浮かれてると忘れ物するってのは本当らしいぞ。これ持って行かねえならクリジアあたりに食わせるからな』
『あっ!私のお弁当!!持ってく持ってく!』
私はエレフからの『本当に忘れ物してるやつがあるかよ』なんていう言葉を背中に受けながら、父さんが持ってきてくれたお弁当を受けとる。今日のお弁当は母さんが応援代わりに私の好きなものを入れておくと言ってくれていたので、とびきり楽しみなものだ。
父さんにいくつか小言を言われつつ、私は弁当をカバンにしまい込んでからエレフの隣へと戻る。父さんと母さんは私たちを見て、やれやれと言いたげな様子を隠すこともせず肩をすくめてから私たちの頭を撫でた。
『にしてもお前が"
『父さんが言ったんじゃん!マギアスにツテがある~って!』
『俺はマギアスで
『学院に通ってみるか~って言ったもんね!魔法の勉強しながらもいいだろって!』
『わーったわかった……まずさっさと入学してこい』
父さんは呆れたように言いながら、私の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。私はせっかく整えた髪の毛が崩壊したことに憤り、エレフと母さんがその様子を見て笑った。いつも通りの楽しく騒がしい日常の一枚。
私はこのいつも通りを壊してしまわないために、私の大好きな人たち皆が今までと同じように私の周りで笑ってくれるように、そしてその輪をもっと広げることができるように、自分自身と世界を知りに行く。
『それじゃ、行ってきます!!』
そんな決意を胸に、私は大きく手を振った。
私たちが入学試験を受けるマギアス魔導学院は、魔導国家ヴィーヴ・マギアスの中心とも言える世界最大の魔法学校にして魔法研究施設だ。
元々は国内の人間を主にした研究施設としての側面が強かったが、天災以降は世界中が手と手を取り合い復興を目指さざるを得なくなった結果、戦争や国家間での諍いが激減し、技術共有などの場として全世界の人間が集う魔法学校として有名になっていったらしい。
今では来る者を拒むことはほとんどない、世界有数の学び舎としての印象の方が強くなっている。実際に入学試験もよほどのことがなければ落ちることはなく、魔法を学ぶ意欲に対して非常に好意的かつ積極的な受け入れの姿勢を見せているようだ。
ただ、資格を得て卒業するのは難しいとも学院の案内には書いてあったのだが、とりあえず私はその部分は一旦見ていないフリをした。
『さすがに人も多いわね……』
学院の入学試験会場には見渡す限り人の海となっていた。私はきょろきょろと辺りを見回し、一応はライバルということになるであろう人たちの様子を伺う。
当然ではあるが色々な場所、身分から集まっているらしく、見慣れない服装の人も多い。書類による最低限の選考を抜けてきている以上、本当に怪しげな人間はいないが、物珍しい人たちという観点では驚きに事欠かないくらいだ。
『マギアスがそもそも大都市だしね。俺も姉ちゃんも田舎育ち寄りだから慣れないなぁ』
そんな調子で落ち着かない私とは違い、隣にいるエレフはあくびを一つして、頭を掻きながらぼやく。私は相変わらず我が弟ながらスカした態度をとる奴だなと思いながらも、エレフのぼやきには同意する。
『確かにね。私、街中歩いてるだけでも落ち着かなかったわ』
『カルムのとこ遊びに行った時にサピトゥリアはよく歩いてたけど、あそこともまた違う都会だよねマギアスって』
『あー確かに。なんか物が多いわマギアスは。サピトゥリアは気品ある感じするけど、マギアスは異世界味が強いわよね』
『煌びやかなのかな、マギアスの方がさ。魔具も多いし』
『なんにせよ私は都会ってちょ~っと落ち着かなくてソワソワするわね』
『姉ちゃんはいっつもそそっかしいでしょ』
『あぁん!?』
いつもの姉弟のやり取りと同じ調子で私が大きな声を出したのと同時に、周囲の人間の視線が一気に集まり私とエレフは思わず手で口を押えて小さく頭を下げた。
私たち姉弟が未だに周囲から注がれている視線の中で気まずさに苛まれていると、会場全体に響くような音で頭上から『こんにちは』という挨拶が聞こえ、その場のほぼ全員が声の聞こえてきた方へと顔を向ける。
『この度はマギアス魔導学院入学試験のためお集まりいただき、ありがとうございます。そして、魔具を通してのご挨拶となることをお許しください。私はマギアス魔導学院副学長、アビィ・トゥールムと申します』
アビィ・トゥールムと言えば世界で知らない人の方が少ないと言っても過言ではないマギアスの有名人だ。周囲は私たち田舎の姉弟のことなど一瞬でどうでも良くなって、有名人の挨拶に夢中になっていった。
実際、私もこうして有名人の声を聞くと正直ワクワクする。加えてその有名人が副学長を務める学院に入学しようとしているのだから、浮足立たない方が珍しいだろう。
『これから皆様には簡易的な実技試験、並びに魔導調査員志望の方には実戦形式での模擬戦闘試験を行っていただきます。試験、と聞くと緊張を覚えるかもしれませんが、ほとんど形式上のものと言える程度ですので、どうか皆様の実力を遺憾なく発揮していただければと思います』
慣れた調子の淡々とした声で挨拶を終えると『まずは事前に皆様にお配りした受験票をお取りください』と言葉を続けた。
『ねえエレフ?受験票なんてあったっけ……』
『あったでしょ……姉ちゃん忘れて来てないよね?厚紙みたいなカード届いたじゃん』
『あぁ、あれ受験票なんだ!持ってきてはいるけどメモ帳みたいなもんだと……』
『いや、メモ帳が送られてくるの意味がわかんないでしょ』
実の弟からの冷めた目線に、この野郎という気持ちを込めて睨み返しながら鞄に突っ込んだ受験票を取り出す。若干乱雑に突っ込んだせいか少し折れ目がついてしまっているが、紙くずのようになってしまっているわけではないので問題はないだろう。
周りを見れば、私と同じように多少保管や持ち運びが雑だったと思しき人もちらほらいるようで、私はひとまず胸を撫でおろすような気持ちのまま自分の手に持った受験票を見つめた。
『一つ目の試験……といっても単純なものです。そちらの受験票にご自身の魔力をほんの少しだけ流し込んでください。それが試験の内容です』
アナウンスのあと、少しの間をおいてからどこからか『できました』という声があがる。その声の主の手に握られた受験票は黒く焼け焦げており、火で炙りでもしたかのような状態となっていた。
そして、その声を合図に他の人たちも変化の起きた様子の紙を各々掲げ始める。水に漬け込んだかのように濡れたもの、鋭い皺の刻まれたもの、刃物を使ったような切れ目の入ったものなど、持っている人によって受験票は様々な状態に変化している。
『うわっ、俺のは焦げたや。姉ちゃんは?』
『私はまだ魔力流してない……けど、この紙なんなの?』
私は隣にいたエレフの持つ焼け焦げた受験票をまじまじと眺めてから、自分の手に握られた紙を見る。見た目にはただの厚紙なのだが、周りの様子やエレフの様子を見るに何かしら特殊な代物なのだろう。
『皆様おおよそ問題なく進んでいますか?そちらの用紙は魔力に感応する少々特殊な素材を使った用紙です』
会場全体に響く声は、この場にいる私たちの疑問を見透かしたように解説を始める。
『その紙は流れた魔力の質に応じて状態が変化します。炎なら焦げ、水ならば濡れる。風は紙が切れ、氷ならば凍り付きます。雷は深い皺が走り、土は乱雑に折れ曲がる……珍しいですが紙が千切れるように裂けた方は力、ボロボロと崩れた方は命魔法が最も魔力の質に合った属性ということになります。ご自身の紙の状態を見て、得意な魔法をまずは知ってください』
会場の人たちは改めて自分や周囲の人間の持っている受験票を見る。私も再びエレフの持つ焦げた紙に視線を向け『へぇ~』なんていう声を漏らしながら姉弟揃って焦げた紙を見つめた。
『じゃああんたは炎魔法が得意ってわけね。父さんと同じかぁ』
『実際練習じゃ炎使ってたしね。姉ちゃんはなんだろ?雷?』
『だと思うけど……雷魔法、かっこいいからって理由で使いだしたのも事実なのよね……』
私たち姉弟は両親を含め、周囲の大人たちと遊び半分修業半分のような形で組手や派手な鬼ごっこのようなことを物心ついて少ししてからはずっとやっていた。
ほぼ何でもありの追いかけっこでは魔法も使ったし、私はソニム姉と取っ組み合いもしたことがある。そのどれもが大体私たち姉弟とその仲間たちの惨敗で終わっていたわけだが、おかげで魔法の扱いくらいは困らない程度になった。
そんな中で私は雷魔法を、エレフは炎魔法を好んで使っていた。今回のこの試験でエレフは趣味と得意が合致していることが判明したわけだが、私は実際のところどうなのだろう。元々エレフより魔法の扱い自体苦手な方だったが、原因が得意じゃないからだとすると少し悲しいものがある。
『……これで実は得意じゃないって言われたらそれはそれで凹むわ』
『まあやってみてじゃない?得意でしょ姉ちゃん。やってから考えるの』
『あんた今日ずっとほんのり私のことバカにしてるわよね?』
『姉ちゃんが普段より気にしいになってるだけだよ。緊張しすぎなんだって』
『なんか釈然としないけど……わーったわよやってやるわよ!ちょっと魔力を流せばいいんでしょ!何が得意でもどんとこいっての!!』
エレフからの気持ちのこもってない応援を背に、私は少し折れ曲がってしまった受験票を手にして深呼吸をする。
心を落ち着かせつつ、そもそもこの試験で入学を取消にされる人の方が珍しいという前情報とかで自分を宥め、意を決して魔力を受験票へと流し込んだ瞬間だった。
『うわぁあ!?』
一瞬の閃光と派手な炸裂音と共に、受験票が弾け飛び塵となって消滅した。
会場に静寂が流れ、次第に困惑と恐怖からくるざわめきが場を満たし始める。私はその中心で誰よりも困惑しながら、驚いた顔のまま固まる不思議な人に成り果てていた。
『……伝えておりませんでしたが、魔力を流し過ぎると紙が炸裂する場合がありますのでご注意を』
『えっ!?私ほんとにちょっとしか流してないけど!?』
困惑に満ちた会場に響いた声に、私はほとんど反射的に言葉を返す。
実際本当に、ほんの少しだけ魔力を流しただけだった。確かに私は細かい魔法や魔力の操作が苦手な部類ではあるが、それでもさすがに量の調節くらいはできるつもりだ。それに、普段使う魔力よりもかなり絞って流していたので、これで流し過ぎと言われるのは納得がいかない。
『あぁ、姉ちゃん大雑把だし不器用だから……』
『せめてあんたは私の擁護しなさいよエレフぅ!!』
やいのやいのと言い合う私たちを見て、何人かのくすくすというバカにしたような笑い声が聞こえてくる。
おおかたこんなにも簡単なことで失敗する奴がいるのかという声なのだろうが、それに関しては私自身も同じように驚いているので一周回って気にならなかった。
『でもほら、やる気に満ち溢れてていい感じって扱いされる可能性もあるよ』
『……下手な慰め貰うくらいならそのニヤニヤ顔をやめてくれた方が百倍気分いいわね』
『じゃあ今更やるだけ無駄だね。慰める気がないことバレちゃってるし』
あっけらかんとした様子で、焦げ付いた紙をひらひらとさせながら歩いていくエレフを見て私は思わず『か、可愛くない弟め……』と声を漏らす。
私が実の弟の薄情さと周りの視線による痛みに渋い顔をしていると、アナウンスが再び響いて次の試験の準備が始まった。
若干この失敗を引き摺りそうな気持もあるが、終わったことにうだうだと何か考えても仕方がないと自分を慰めつつ、私は少し先を歩いているエレフの後に続いた。
その後の試験も私の結果は正直なところ振るわなかった。
簡単な魔具の取扱いや魔法の使用などのテストだったのだが、私は試験に使った魔具をはじめとした備品を悉く破壊した。もちろん断じてわざとではないし、世を憂いてなんらかの事を起こそうとしている組織の一員というわけでもないのだが、事実として結構な量の備品の残骸を私は生み出してしまったのだ。
このままいくと合否の通知よりも先に請求書が家に届きそうな気がしている。おかげさまで私の顔は少し前から引き攣った笑みが張り付いて剥がれない状態で、エレフもさすがに実の姉の意図せぬ蛮行を前に茶化す余裕を失ってきている。
『……姉ちゃん、熱とかある?』
『今このタイミングで本気の心配は逆に効くからやめてくんない?』
『いや本当に心配になるって。いくら姉ちゃんが細かいことが苦手で大雑把で口より先に手が出るタイプとはいえ流石にそこまで壊しまくったことないでしょ過去に』
『誰が追加で傷に塩塗れって言ったのよ!!』
エレフからの容赦のない追撃に私が思わず叫ぶと、それを諫めるようなタイミングで会場にアナウンスが鳴り響いた。
『以上で魔導調査員志望の方以外は試験を終了いたします。皆様、お疲れさまでした。魔導調査員志望の方はこの後、模擬実戦試験に移行します』
そのアナウンスが示すのは、つまるところ私にとってはこの模擬実戦が最後の試験であり、私は最後の一歩手前までロクな結果を残すことなくやってきたということでもあった。
『ではルーフェン・ベルモット、リベラ・エンシアの両名はこのまま会場に残って下さい。他の方は一旦ご移動をお願いします』
『この流れで私最初かぁ……』
私はここまでの自分の結果を思い返し、思わず天を仰ぎ手で顔を覆う。仕事で疲れ果てている父さんが天を仰いでいるのは小さいころからしばしば見てきたが、人間というのはどうにもならない時は空を見たくなる生き物なのかもしれない。
もし私がこのままほとんどが合格で通るマギアス魔導学院の入学実技試験での希少な落第者になってしまった暁には、この仮説で本でも書いてみようなんて現実逃避がどうにもならない事実の反芻と共に頭の中を駆け巡っていく。
おそらく結構な顔色をしながら天を仰いで固まっていた私の意識を慣れ親しんだ『姉ちゃん』という呼び声が引き戻す。
『……何よエレフ、もうちょい塩塗ってやろうってつもり?』
『いや、頑張ってね。凹んでるのらしくないし』
エレフはそう言いながら私にグータッチをするように構える。予想してなかった弟の態度に一瞬困惑したが、相当に気をつかわせてしまったなと反省する代わりに頭を軽く振り、気持ちを切り替えてからエレフの拳に自分の拳を軽くぶつける。
『それもそーね!実戦なら自信あるし、どかーんとかましてやるわ!』
『そうそう。俺疲れて帰って姉ちゃんの慰め会やるの嫌だから頼むよ』
『あんたちょっとは実の姉を可愛い弟のままで応援しようって気はないわけ!?』
『そういうのはカルムとかリテュルがやってくれるでしょ。今日いないけど』
『いないからこそ代わりをしてあげようって心遣いが大事でしょーが!』
『え~?ちょっと俺のキャラじゃないな~。あと姉ちゃん相手にはめんどくさいな』
『あ、あんたねぇ……』
エレフは悪びれる様子もなく、いつも通りにひらひらと手を振って、したり顔のまま『頑張れ』と言い残してその場を後にした。
気楽そうなエレフ自身も受験者のはずなのだが、ちょっと腹立たしいくらいにはいつも通りの態度に認めたくはないがしっかりと沈んでいた気分を戻してもらえたことを自覚し、私はしっかりしろという意味を込めて自分の頬を叩く。
『よっし!今までの挽回するくらいのいいとこ見せてやろーじゃないの!』
『ふんっ。田舎者は無知なだけでなく気楽で良いなぁ』
『あん!?』
意識の外から飛んできた罵倒に、ほとんど反射で威嚇と共に振り向く。私の目に映った罵倒の主は、小綺麗な衣類に身を包んだ同い年くらいの少年だった。マギアスの人間、特に魔法使いたちはいま目に映っているローブのような服装を好んでいるという話を聞いたことがある。
私やエレフも母さんがマギアスの人のような恰好をしばしばしているのでそれにあやかって似た格好をしているが、目の前のエレフとはまた違う方向に底意地が悪そうな少年の着ているそれは、私が見てもわかる程度には高級そうな代物だ。おそらくだが、貴族だとかそういう風に呼ばれるような身分の人間なのだろう。
『事実を言ってやったまでだ。けどまあ、僕の立場から言わせてもらえば運が良い……いや、この学院もわかっているというべきかな』
『わかってる?なにがよ』
『この僕に君みたいな愚図の下民を宛がうことで、僕がより優れた魔法使いであるとアピールする場を作ってくれたってことさ!だから君ぃ、せいぜい僕の魅力をより引き立たせることができるように努力してくれたまえよ?』
完全にこちらを見下した態度に、絵にかいたような鼻につく言葉の羅列を前にして私は怒るのを通り過ぎ、呆気にとられてぽかんと口を開けて固まる。
マギアスは身分や血筋を重視する思想が未だに根深いというのは父さんから聞かされていたし、こういうコテコテの嫌味な上流階級は物語や絵本で見たことはあった。ただ、本物をこうして目の当たりにすると怒りみたいな感情は思ったよりも湧いてこないものらしい。
『それでは両名、構えてください。試験終了の条件はどちらかが降参を宣言した場合。試験の継続が不可能になる、または継続が不可能と我々が判断した場合です。また、対戦相手を殺害した場合は失格の後に拘束、処罰を行います』
『相手殺しかけた事案があったのね……多分……』
魔具から流れるアナウンスに私は嫌な想像をして顔を引き攣らせる。戦闘という形式をとっている以上しかたがないのかもしれないが、試験でここまで本気で実戦を行うというのもいかがなものなのだろう。
『では、始めてください』
私の杞憂を気にかけることもなく、アナウンスが試験の開始を告げる。私はいつもソニム姉と手合わせをする時と同じように構え、目の前の癪に障る貴族の少年を見据える。
『なんだ、一丁前に構えなんてとるのか。ふんっ、まあいいさ。杖も持たない不出来な魔法使いモドキを、この僕が徹底的に叩きのめしてやるところを見せつけてやろう!』
ソニム姉との手合わせは昔からずっと続けてきた。基本的な体の動かし方や構えを教えてもらってからは、ひたすらにボコボコにされ続けるという修練だったし、最初は数回で折れてやめるだろうとソニム姉も父さんたちも考えていたらしい。
なんならソニム姉からは『面倒だから泣かせて辞めさせるつもりだった』と直に聞かされてちょっと拗ねた。
『まずは何をしてきそうかを見るのが大事……』
ただ、私は思っていたよりもソニム姉に構ってもらえるのが嬉しかったし、徐々にレベルの高い組手ができるようになっていくのも楽しかった。その中で圧倒的な身体能力の差を埋めるためにどうするかとか、戦いで何が大事かとかをいろいろ工夫したり教えてもらったりもした。
つまり何が言いたいかというと、私はこういう形式なら相当な自信があるのだ。
『逃げ出そうとしなかったことは褒めてやってもいい!まあ、そんなことをされちゃあ僕の見せ場もなくなってしまうから許さないがねぇ!』
『……一応、始まってるのよね?』
高笑いをしながら杖を握っている少年の様子は物凄く控えめに言っても隙だらけだった。聞き間違いじゃなければ試験開始の合図は出ていたし、私が何もしなくても舌を噛みそうなくらいに口が回っている姿に、このまま気にもせず手を出していいのか若干躊躇してしまう。
『君のような貧相でチビな女でも、僕の舞台装置くらいには──
躊躇してしまうような気がしていた。
『だぁれが貧相チビですって高級ハリボテお坊ちゃまがぁーーっ!!』
足元を雷魔法で弾いて跳ねることで一気に距離を詰め、余裕から驚愕へ移り変わる最中の少年の顔に容赦なく拳を捻じ込み、そのまま思いっきり振り抜く。
私は確かに同年代の子に比べると若干、若干背が低い。エレフとも10センチとちょっとくらいの差があるし、エレフと同い年の幼馴染の女の子であるカルムよりも私の方が少しだけ小さい。父さんと母さんは二人とも背が高いほうなのにだ。加えて俗に言う女性らしさというか、胸も母さんには今のところ似ても似つかない。一個下のカルムはかなりあるのに。
ただ、私は成長期というやつがまだ来てないだけで、断じて貧相でもチビでもない。バネが跳ねる前に縮むように、ジャンプする前は屈むように、今は溜めてる時期なだけでこれから伸びる。エレフだって見下ろせるくらいになる。だから別にチビだとか貧乳だとかそういうのを気にしてるなんてこともない。
ないのだが、ムカつかないわけでもないというだけだ。そりゃムカついたら拳の一つや二つ飛ぶのも仕方がない。
『ちょ~っと良いもの食べてよ~く育ってるからって偉っそうなこと言ってくれちゃってたわね~!?』
ズンズンと音を立てるようにしながら、転がって頬を抑えている少年へと詰め寄っていく。どんな魔法を使うのかも知らないし、マギアスの上流階級ともなればそれなりに腕は立つのだろうが、少年の直前の発言が細かいことをあれこれ考える余裕を吹き飛ばしてくれた。
なんにせよ私はここで見せ場を作らないと器物破損受験生になってしまう以上、どんな理由であれど全力で臨まねばならない。ここからが実戦試験だぞと自分を鼓舞しながらいまだに蹲っている少年の胸倉を掴み、拳を構える。
『実戦、私の見せ場だしちゃんと泣かしたげるからしっかり全力で来なさいお坊ちゃま!!』
『ご、ごめんなさいぃぃいいい!!』
瞬間、響いたのは情けないとしか言いようのない謝罪の叫び声だった。
『…………はい?』
呆気にとられ固まる私の前で、少年は罠だとか策略の余裕など一目で一切ないことがわかる程に泣きわめきながら、なんとかして私の手から逃れようと顔を背ける。
『ぼ、ぼっぼぼぼ僕が悪かった!!こ、こここれ以上殴らないでくださいぃ!!ひ、ひぃ……!痛いよぉ……!!』
『え、えぇ……?』
ガタガタと震え、目からは大粒の涙をボロボロと流している少年をこれ以上痛めつけようというつもりには当然ならず、私は胸倉を掴んでいた手を放して少年を開放する。
何とも言えない気まずい沈黙がしばらく流れ、小さな溜息の音が聞こえた後に魔具からアナウンスが流れる。
『……試験終了です。勝者、リベラ・エンシア。お疲れさまでした』
私の勝利を告げるアナウンスに大喜びもできず、治療をする先生らしき大人数名に心配の声をかけられながらトボトボと歩いていく少年の背中を見送る。
私は少しの間茫然と立ち尽くし、どこにぶつければいいのかいよいよわからなくなった気まずさともやもやを込めて叫んだ。
『……これ、私すっごい悪者みたいになってない!?』
これは私が、マギアス魔導学院一の問題児"マギアスの雷娘"と呼ばれるようになるまでの話だ。
この世界には人がいて、悪魔がいて、魔法がある。
魔法は人々の生活の中に深く根付き、私たち人間にとってなくてはならないものとなっていた。
けれど、魔法はどんなことでもできる。
だからどうか、君たちが少しでも明るい世界を、私の願いと共に歩いてくれますように。
どうか君たちに、私の呪いが届きますように。
エゴエティア・リベルタ 火乃焚むいち @hinotaki61
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。エゴエティア・リベルタの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます