冬の受験

会わない日の数え方を、私は覚えた。

夕方になったら湯を沸かし、ケトルの音が三度鳴るまで待つ。

鳴った回数を、今日の空白に足す。

窓の外の川沿いは、風が硬い。

川面に映る信号の赤が、胸の奥のどこかに触れてくる。


彼は今ごろ、机の前にいる。

鉛筆の匂い、消しゴムの粉、試験監督の靴音。

想像の中の音たちが、私の部屋に薄く重なる。

「覚えるの、得意だから」

あの口癖を思い出すと、喉の奥があたたかくなる。

それと同時に、部屋の空気が少し薄くなる。


バイトへ行く道も、帰り道も、私は黙ったまま歩いた。

公衆電話の前で立ち止まり、コインを一枚入れて押し戻す。

チャリン。

戻ってくる確かさだけを、今日の安堵に選ぶ。

番号を押さなくても、音は返してくれる。


彼の本番の朝は、空が切り絵みたいに青かった。

私は制服に袖を通し、名札を付ける手を一度止める。

「受験が終わったら」

嘘の別れは、約束の形をしていた。

約束は、まだ壊れていない。

だから、私は何もしないことを選ぶ。

応援の言葉も、頑張れの一文も、今日だけは置いていく。


バイト先のレジの小銭は冷たく、指先の温度を奪う。

閉店後、床を拭いて、鍵を返して、外へ出る。

空気はよく晴れて、星がすぐに見つかる夜だった。

世界が静かになると、星は早く見える。

あの夜に学んだことが、胸の中で小さく明滅する。


会わない日の数え方は、今日でいったん終わるはずだった。

「終わったら」

その先に、何を置くかを考えながら、私は商店街を抜ける。

川沿いの風が、冬を一段深くしていく。

ポケットの中のコインが、指先で転がる。

家までの距離は短い。

短いはず、だった。


ーーー


次回 壊れた沈黙

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