第5話「呪いの本を読んでしまったんです」

 その日の朝、いつもなら生徒たちの声で賑わっている校内がシーンと静まり返っていた。


 昨日の放課後、3年生の男子生徒が3階の校舎から飛び降りるという事件があったのだ。

 幸い、飛び降りた先にあった植え込みがクッションとなり、命に別条はないそうだ。

 しかし、一歩間違えれば命を落としていても不思議ではなかった。身近で起きた恐ろしい出来事に生徒たちは不安を感じていた。


「部長…昨日の事件、部長のクラスの方だと聞きました……」


 探偵部の部室。張りつめた空気の中で、美月は遠慮がちに問いかけた。


「あぁ。飛び降りた生徒は、僕と同じ三年C組の町田君だ」


 蒼太は窓の外を見つめながら答えた。いつもの余裕な様子とは違い、真剣な表情をしている。


「飛び降りた理由は分かってるんでしょうか?」


「正確にはわかってないそうだよ。ただ、そのことで、ある『噂』が流れてるらしいんだ」


「噂?」


 美月も真剣な表情で蒼太を見つめた。


「少し前から図書室に『呪いの本』があるっていう噂でね。町田君はそれを読んでしまったせいで飛び降りたと言われてるんだ」


「私も本の噂は聞いてました。最近、急に様子がおかしくなった人が何人もいて、それがその本を読んでしまったせいだと……まさか本当に呪いで……」


「美月ちゃんの考えてる『呪い』とは違うと思うけど、本が引き金になってる可能性はある」


 その時、ドンドンッと部室のドアが激しくノックされた。

 二人は驚き、一斉にドアの方に視線を向ける。すると、ガラガラとゆっくりドアが開かれた。

 美月は胸の前で自身の手をぎゅっと握り、無意識に蒼太の方に近寄った。


 ドアの隙間から、スッと女子生徒の青ざめた顔がのぞいた。


「た、助けてくださいっ……」


 女子生徒は肩をを震わせながら、ふらふらと不安定な足取りで蒼太たちのもとへゆっくり歩み寄る。


「大丈夫かい? 顔色が悪いし、切羽詰まってるようだけど」


 蒼太の声で、目を見開いて固まっていた美月が慌てて女子生徒のもとに駆け寄り、支えるようにして席へと案内した。


「急にすみません……あの、探偵部にご相談したいことがあって……」


 蒼太は女子生徒の向かいの席に移動し、前のめりの姿勢で座った。

 美月もその隣りに座り、メモの準備をした。


「名前を聞いていいかな?」


「私、2年A組の橋本です」


「橋本さん。よろしくね。それで、今日は探偵部に依頼かな?」


 蒼太は橋本を落ち着かせるようにゆっくり尋ねる。


「はい……あの、昨日の事件はご存知だと思いますが、それに関連することなんです」


 橋本の発言で蒼太の目付きが鋭くなった。

 両腕の肘を机に載せて顔の前で指を組み、橋本の話を興味深そうに聞いた。


「町田先輩が読んだ『呪いの本』を私も読んでしまったんです……!」


「えっ……!」


 美月が思わず声を漏らす。その隣りで蒼太は表情を変えず、じっと橋本の方を見つめていた。


「詳しく聞かせてもらえる?」


「はい……私は図書委員をやってるんですが、図書室で町田先輩を見かけたんです」


 橋本が経緯をゆっくりと話し始めた。


「町田先輩のことは度々図書室で見かけていたんですが、数日前から急に毎日利用するようになりました。いつも同じ席で同じ本を読んでいて……日に日に様子がおかしくなっていったんです」


「様子がおかしい?」


 蒼太が尋ねる。


「はい。本を読みながら何かぶつぶつ呟いたり頭を強く掻きむしったり…読み終わった後も怒っているようだったり、絶望したような顔をされていたり…」


 橋本の話を聞きながら、美月は息を呑んだ。


「それで、町田先輩が読んでる本が気になって、先輩が帰った後に私もその本を見てみたんです」



 橋本は町田が異様なほど何度も読み返す本の内容が気になった。


 ぶつぶつと呟きながら町田が図書室を出て行くのを見届けた後、こっそりと本棚に戻されたその本を手に取る。

 やけにヒンヤリとした感触の真っ白な表紙は、強い力で握られていたのか歪んでいた。

 ドクドクと脈が速くなるのを感じながら、そっとページをめくったのだった。



「本の内容はちゃんと覚えてないんです……ただ、読んでいて心を見透かされてるような不思議な感覚になって……」


 橋本は落ち着きを取り戻しつつあったが、本の話題になり再び唇を震わせる。


「読んでから、ずっと頭痛がして体が重たいんです…それに何かに見られてるような感じがして、不安で……」


 話を続ける橋本の顔色は、どんどん悪くなっていく。


「そしたら、町田先輩が飛び降りたって……私も同じようになるんじゃないかって……怖いんです……!!」


「橋本さん、大丈夫。落ち着いて」


 蒼太が声をかけると、ハッとしたような顔で橋本がゆっくり頷いた。


「一般的に言われてる『呪い』というものは、存在しない。ただ、それを信じこんでしまうことが問題なんだ。」


 蒼太は立ち上がって、橋本と美月に語りかける。


「例えば、占いの運勢が悪いと、その日はなんとなく上手くいかないよう気がしてしまわないかい?

 実際はいつもと変わらない日なのに、自分の心がにしてしまうんだ」


 美月と橋本が小さく頷く。


「他にも、誰かの何気ない言葉が『呪い』になってしまうこともある。『お前は何をやってもダメだ』って否定されたり、誰かに容姿を揶揄されたり。実際はそんなことなくても、その言葉に取り憑かれてしまうとそれが『呪い』になってしまう」


 蒼太は橋本の方をまっすぐ見つめた。


「だから、橋本さんも『呪い』だと信じてしまうのは危険だよ。その思い込みに支配されることが『呪い』になってしまうんだ」


 蒼太の橋本の言葉で、橋本の表情が柔らかくなった。


「しかし、そう思い込ませてしまう本の内容には問題がありそうだね。その本は、まだ図書室にあるかな?」


「読んだ後は本棚に戻したので、あると思います」


 橋本が頷いた。


「よし、確認しに行ってみよう」


 3人は『呪いの本』を確認するため、図書室へと向かった。




 図書室の扉を開けると、蒼太たちはすぐに違和感を感じた。

 ひと気のない空間で「カチ、カチ」と時計が秒針を刻む音だけが聞こえてくる。

 カウンターには、司書を務める教員がただ一人ぽつんと座っていた。


「みんな図書室を避けてるみたいですね…」


「昨日の事件の影響だろうね」


 橋本が例の本があった場所へと蒼太たちを案内する。


「ここの棚です…ここに呪いの本が……」


 橋本の伸ばした指が途中で止まった。


「どうかしたの?」


 不思議に思った蒼太が橋本に尋ねる。


「ほ、本がないんです…」


 橋本は手を震わせながら蒼太たちの方を見た。


「誰かが借りてしまったのかもしれないですね…」


「記録を確認してもらおう。本のタイトルは覚えてる?」


「『静かに、救われる』だったと思います」



 3人はカウンターに座る司書の山内に、貸出記録の確認を取った。


「……その本の記録はないですね」


 山内が怪訝そうな顔で答える。


「誰かが貸出の手続きを取らずに持っていってしまったんでしょうか」


「いえ、その本は図書室の情報に登録されてないんです」


「「えっ」」


 美月と橋本が驚く中、蒼太は予想していたかのような冷静な反応であった。


「やっぱり……精神に影響を与えるかもしれない本を学校の図書室に置くとは思えないからね。」


「図書室にある本は、必ず司書が適切かどうかを判断して置いています」


 山内が頷きながら説明した。


「と言うことは、誰かが意図的に本を置いたということですよね」


「そうなるね」


 蒼太の表情が険しくなった。

 今回の事件は、運よく飛び降りた生徒が助かったものの、下手をしたら命を落としていた。

 つまり、間接的でも殺人になりかねない事件であったのだ。


 美月は血の気が引いた。


「まずは本を回収する必要があるね。誰かが事情を知らずに持っていってしまったなら被害者になりかねない。山内先生、全校生徒に呼び掛けるようお願いできますか?」


「わかりました。すぐ伝えてきます」


 山内は蒼太たちの話を聞いて、すぐに職員室へと向かった。


「橋本さん、本のことで覚えてることを教えてくれないかな?作者とか、本の内容とか」


「えっと……作者は覚えてないんですが、聞いたことのない人だったと思います。本の内容は『天静様あましず』という名前が頻繁に出てきました」


「天静様?」


「はい……『天静様はあなたを見ている』って」


 蒼太は顎に手を当てて考え込むようにしながら、橋本の話を聞いた。


「最初に注意書きのようなものがあって……『この本は必ず最後まで読んで下さい。途中で止めることを禁じます。天静様への裏切りは許されません』と書いてありました。」


「なんだか怖い注意書きですね……橋本先輩は、その後も読まれたんですか?」


 美月が怯えた表情で尋ねる。


「はい……それを読んだときゾッとしたんですが、好奇心で読んでしまったんです……それで次のページをめくってみたら……」
















『見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた』





 同じ言葉がページいっぱいに繰り返されていたという。


「次のページには『天静様はあなたを見つめています』と書かれていました。読んでる間は頭がぼーっとするような感覚になって、その他のページについては記憶が曖昧なんです……」


 話を聞いていた美月の顔は青ざめていた。


「『天静』……どこかで聞いた覚えがあるな」


「本当ですか?!」


 美月が目を見開く。

 蒼太は少し考え込んでから再び口を開いた。


「確か、10数年前に『天静教あましずきょう』という宗教団体があったはず」


 蒼太の顔が険しくなる。


「天静教……『呪いの本』は、その宗教に関連する本なのかもしれませんね」


「あぁ。恐らく、天静教が信仰する『天静様』の教えを説いた聖典なんじゃないかな。詳しくネットで調べてみよう」


 3人は図書室内にあるパソコンで本のタイトルについて検索した。

 蒼太がパソコンの前に座って本のタイトルを検索し、2人はその様子を後ろで見つめた。


「これだ」


 タイトルで検索すると、ある一冊の本がヒットした。


「『静かに、救われる』著者『久遠 一真』。これは天静教の教祖が書いた本だ」


 蒼太はさらに天静教について検索し、画面に表示された内容を読みあげる。


「『天静教』は、久遠一真によって創設され、死後の世界を司る神『天静』を信仰対象とする宗教団体である。『天静』を信仰することで、死後はすべての苦しみから解放された『やすらぎの都』へと導かれると信じられていた。…教祖の久遠一真が亡くなった15年前に活動を終えているようだね」


 美月と橋本は、蒼太の話をじっと聞いた。


「死を推奨しているようで怖いですね……」


「そうだね……信者の多くが精神を病んでしまって、中には自殺者もいたようだ。当時それが問題となって、責任を問われた久遠は自ら命を絶っている。僕はこの事件を本で見たことがあったんだ」


 美月がごくりと息を吞む。


「久遠一真は、人の心を操ることに長けていて、信者の数もそれなりに多かったみようだ。だから彼が書いた著書も、読者の精神に影響を与えるような内容になってるんだろうね」


 蒼太は得た情報から、本の仕組みについて推理した。


「『静かに、救われる』。救いを求めている人ほど手に取ってしまうタイトルだよね。読んだ人の悩みや不安の感情を上手く刺激して、生きることに絶望感を植え付ける。そして、最終的に『救い』として『天静様』を信仰するよう誘導した内容になっていたんじゃないかな」


「確かに……読んでいると生きてることが悪いことのような気持ちになりました。理由がわからない不安に押しつぶされそうになって、早く助けてほしい、解放されたい気持ちでいっぱいになってました」


 橋本が頷く。


「これはマインドコントロールだ。それをしっかり自覚してれば冷静に受け止めることができる。だから噂のような『呪い』ではないよ」


「はい……!呪いでないとわかって安心しました」


 蒼太が笑顔を向けると、橋本の表情が柔らかくなった。


 本の正体が判明し、3人の表情に余裕ができた。

 しかし、問題はまだ残っている。


「呪いではなかったですが、やはり危険な本ですね…」


「そうだね。なくなった本が回収されるといいんだけど」


 蒼太はすっきりしないままの表情で呟いた。



 キュッ――


 少し離れた本棚の裏から、床に靴が擦れるような音がした。


 3人が無言で顔を見合わせる。

 自分たち以外は誰もいないはずの図書室で気配を感じたのだ。


「僕が見てくるから、二人はここにいて」


 蒼太が小声でつぶやく。

 美月と橋本は顔をこわばらせ、小さく頷いて身を寄せた。


 蒼太は、ゆっくりと音がした方へと歩み寄る。

 本棚で影となった暗い通路を息を殺して少しずつ進む。


 すると、頭上からいくつもの影が覆いかぶさってきた。


 バサバサバサッ―


「うわぁっ」


 静まり返っていた部屋に大きな音が響く。美月と橋本は同時に肩を跳ねさせた。


「部長!!」


 美月は、すぐさま音がした方へと駆け寄った。


「痛たたた……」


 蒼太は床に座り込みながら頭を押さえていた。その周りには本が複数落ちている。


 ガラガラッ―

 その時、勢いよくドアが開かれた。

 そのまま廊下を走る音が聞こえ、音はどんどん遠ざかっていく。


「部長! 大丈夫ですか?!」


 美月が顔を歪めながら、蒼太に近寄る。

 その後ろから、橋本も怯えた表情で顔を出した。


「いやぁ…本が急に降ってきてね。取り逃がしてしまったよ」


 蒼太が苦笑いしながら返す。


「私たちの話を聞いていたみたいですね。本まで落としてくるなんて…図書室に本を置いた犯人かもしれません……」


「痛たっ」


「あっ、すみません!」


 美月は無意識のうちに、蒼太の体を支える手に力が入っていたようだ。

 慌てて手を放す。


 そして、恐怖で震えていたその手が、いつの間にか熱くなっているのを感じた。

 平然と人を傷つける犯人に対し、ふつふつと怒りの感情がこみ上げていたのだった。





 その後、司書の山内より本の回収を求めた連絡が各教員から全校生徒たちへと伝えられた。

 しかし、本が戻ってくることはなかったのだった。


 数日が経ち、呪いの本の正体が知れ渡ったことで校内は以前の明るさを取り戻していた。


「町田先輩、退院されたそうですね」


 蒼太と美月も、いつものように探偵部の部室で過ごしていた。


「あぁ。落ちた時の怪我は良くなったみたい。ただ、メンタル面の療養が必要だから、もうしばらくは休みを取るそうだよ」


 町田の容態を聞いて、美月は胸をなでおろす。


「それにしても……例の本はどこに行ってしまったんでしょうか」


 結局、今回の事件の原因となった本の行方はわからないままであった。


「……恐らく置いた犯人が持ち帰ったんだろうね」


 読書をしていた蒼太の顔が険しくなった。


「部長は、どういう意図であの本が置かれたと思いますか?」


「う~ん……もしかしたら軽い悪戯のつもりで置いただけの可能性もある。本がなくなっていたのも想像以上に大変なことになって焦った犯人が慌てて回収したのかもしれない」


 蒼太はくるりと椅子を回転させて窓の外を見た。


「怖いのは、今回の事件が起こることを想定して置いた場合だよね」


 蒼太の発言で、美月は資料を持つ手の力が自然と強くなっていた。

 美月も同じことを恐れていたのだった。


「あの後、本の出所もその後の行方も、手掛かりが何も見つかりませんでしたもんね……」


 今回の事件後、蒼太と美月は本を置いた人物を探すため学校中を調査した。

 しかし、有益な情報を何一つ得ることができなかったのだ。


「考えたくないけど、今回の件、悪戯とは思えないんだよな」


 蒼太は、遠くをじっと見つめながらつぶやく。


「そうですね……今後何も起こらないといいんですが」


 犯人を見つけることができなかった二人は、探偵部として無力感を味わっていた。


「……僕らもまだまだ成長が必要だね」


 苦笑いする蒼太に、美月も笑顔で返した。


「はい……どんな事件も解決できる名探偵を目指して頑張りましょう!」


 蒼太たちは、今回の事件の裏に深い闇が潜んでいることを密かに感じていたが、その正体を知るのは、もう少し先のことだった。



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