異常播種

松尾ばなな

第1話 告知予告

 激しい雨がおさまり、霧雨となって、今は微細な粒子が空中を漂う霧となった。その頃台北市は夜を迎えた。原色のネオンサイン、騒々しいバイクのクランクション、屋台から放たれる香辛料の匂い。それら雑多なもの全てを、霧は包んでいた。

 

 台北市街の騒々しく猥雑さとはうって変わり、その部屋は整然としていた。空調は効き、大小様々なスクリーンが、体育館ほどの広さはあるであろう大部屋に貼り出されている。数名の作業服を着た男女が作業をしていた。ある者は端末にかじりつき、ひたすら作業に打ち込んでいた。ある者は、ぼんやりとスクリーンを眺めていた。ある者は、上司の目を盗んで、菓子を頬張っていた。つまるところ、勤務時間ではあれど、その大部屋では、ゆるい時間が流れていた。

 

「大体おかしいんですよ、台湾大学を出た秀才が四人も、こんな部屋に閉じ込められているのは。」

 短髪で、なで肩の男が言った。

「先輩も台湾大学でしょ? あ、周は東京大学か。でも、それにしたって、日本の最高学府でしょ?」

 少し離れた部屋の隅で、パソコンに向かって何やら作業をしていた長髪にメガネの男は言った。

「そうっすよ。日本で一番難しい大学です。」

「ほら。先輩もアジアの最先端工学を学んできた自負って無いんですか。」

 先輩と呼ばれた男は、前方のスクリーンを見つめながら言った。

「あるよ。あるからここにいるんじゃないか。」

 男の名前は林建宏(リン・ジャンホン)、台湾大学の工学部で橋梁工学を学んだ。そして、今この部屋にいるチームのリーダーでもある。

 短髪の男は言い続けた。

「だったら、こんな時間に、タワー監視チームのシフトに配属されるなんて、おかしいんじゃないですか。だってオレたち、バリバリの最先端開発を学んできたんですよ? 次の塔を設計するチームとかに、配属されてもいいと思いますけどね。」

 林は言った。

「あのな、いくら最高学府を出ていたとしても、それなりに下積みは必要なんだよ。」

 林の言うとおりであった。優秀な技術者だったとしても、この職場では、先に現場経験を積むことが重要視された。林たちも例外ではなかった。

 短髪の男は言い返さず、口をつぐんでしまった。しかし、林は特に気分を害したわけではなかった。短髪の男の言い分も一理あるからであった。

 しかし、今までに林はそういった愚痴をこぼしたことがなかった。なぜなら、この職場に就けたこと自体、誇りに思っていたからだ。

 

 

 台北の雑多な夜にある全てもの。それらを反射する象徴的な存在があった。白く塗られた巨大な構造物は、台北の夜に煌めく原色のネオンサインを照り返していた。

 台北市郊外から基隆市へ至る丘陵地帯。巨大な白い塔は、文字通り天を穿っていた。いや、本当に穿っているのかどうか、肉眼ではわからない。想像を絶する高度、成層圏をも貫いているからだ。


 台北太空電梯(タイベイ タイコン ディェンティー・台北軌道エレベーター)は、地球上に存在する二本の軌道エレベーターのうち、その片割れである。

 アジア・太平洋・ユーラシアからの大気圏外物資送出事業は、台北太空電梯が、ほぼ独占していた。市民からは単に「塔」や「タワー」「台北塔」「宇宙行きエレベーター」などと呼ばれて親しまれている。

 

 林たちは、その日の夜、台北塔を監視する任務にあたっていた。

 林は言った。

「このタワーは特別なんだよ。単なる軌道エレベーターじゃない。台湾と周辺地域に安定をもたらし、その象徴となったんじゃないか。そんな素晴らしい存在に関われるなんて、オレはそれだけで光栄だよ」

 短髪の男はもう何も言わなかった。林がこの職場に誇りを持っていることを、チームのメンバーは皆知っていたからだ。このようなやりとりは過去にも何度かあった。しかし、終わりはいつも、林が純粋で目を輝かせながら「誇り」を述べ、それ以上意見を変えることはなかった。いつものやりとりは、今日も同じような着地点で終わったのだ。

 

 短髪の男は、話を変えた。

「先輩、それはそうと、今朝のニュース見ました?」

「ん? ああ、えっと、何だっけ?」

 林は、少し今朝のことを思い返したが、何か大きなニュースがあったかどうか、思い出せなかった。

「国連のですよ。国連が、今日の21時に、何か大きな発表をするって。」

「ああ、そうなんだっけ?」

 林は人並みに世間の動向に追いついている自負はあった。しかし自分の興味に合致するニュースしかチェックしない、という無意識の癖もあった。

「いや先輩、なんか変じゃないっすか。重大な発表があるなら、すぐしちゃえばいいのに。なんで、あらかじめ告知時間を知らせるんだろう?」

「うーん、何でだろうな。」

 その時の林にとって、その話題は大して興味のあるものではなかった。短髪の男から問われた内容にも、上の空で答えた。

 短髪の男は、呆れた顔をして林を一瞥した。これ以上話しても無駄、という表情をした後、前方のスクリーンに視線を戻した。



 

【亞太電視台・2056年7月17日 午前7時のニュース】

 国連は、16日17時(米国東部標準時間)、「明日17日午前9時(米国東部標準時間)、全世界的に重要な発表を行う。」と発表した。

 各国のテレビ局・ネットメディアは、この発表を生放送すると決定。当亞太電視台でも、テレビ・ネットでの中継を行う予定。なお、台湾標準時では17日午後9時。

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異常播種 松尾ばなな @matsuooobanana

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