一目惚れなんて、信じない。

🐉東雲 晴加🏔️

一目惚れなんて、信じない。







 ベッドとクローゼット代わりの押し入れの他には筋トレグッズしかない五畳の部屋には、所狭しと服が広がっていた。


「何やってんのアンタ」


 たまたま部屋の前を通りかかった姉が訝しげに翔真の部屋を覗く。


「俺のお気に入りを着るならこれだけど……チャラいのは嫌いっつってたしなー……あ、姉ちゃん! アレ貸してくれよ! 元カレが置いていったオシャレTシャツ」


 俺、あれ前から格好いいと思ってたんだよなー。どうせもうヨリ戻さねぇだろ? と言われて姉の眉間にシワが寄る。


「どこに姉の元カレの服を着ていく弟がいんのよ」

「たまたま前の持ち主が姉ちゃんの元カレってだけだろ? 売っちまえばただの古着じゃん。ってわけであれは実質古着。関係ない関係ない――あ、やっぱいいわ、姉ちゃんみたいに振られたら困るし、縁起わりぃ」


 言いたい放題の弟に姉は「振られてしまえ!!」と弟の頭に鉄拳を落とした。






 同じ頃、ベッドの上が似たような惨状になっている女性がいた。


「どーしよう……」


 バイト先の弁当屋の常連である大学生、紺野翔真に映画に誘われたのが先週のこと。彼はお弁当を買いに来るたびに「可愛いね」だの「デートしない」だの声をかけてくるので、里桜は彼のことを相当チャラい人なんだと思っていた。

 明るく茶色に染められた髪に、体育大学生らしいから格好がスポーツウェアが多いのは納得できるが、明らかに他の学生と違って小洒落たウェアを着ている。屈託なく笑う顔は爽やかと言えば爽やかだが、流行りの男性アイドルグループみたいな顔立ちの翔真の印象は言動も相まってあまり良いとは言えなかった。……と言うか、苦手とすら思っていた。


 けれどなんやかんやあって、よくよく話を聞いてみれば里桜の翔真に対するチャラい、と言う印象は先入観による誤解。


 彼はただ純粋に、里桜のことを口説いていたのだ。


「……」


 そう、これはいわゆるデートというやつで。


 いやいや、里桜にまだその気はないのだけれど。翔真は明らかに里桜のことが好きなのだから、それを解って一緒に遊びに行くといえば相手はデートのつもりでやってくるだろう。

 あんまり気合を入れていくと変に期待させてしまうし、かといっていい加減な格好をしていくのも違う気がする。


『まずはオトモダチから! あんま気負わずに気軽に遊びに行こうぜ』


 そう言ってカラッと笑ってくれた翔真だから、どんな格好をして行っても問題はないとは思うが。あの笑顔が曇るのは嫌だなぁと思う。


 里桜は小さく溜息をつくと、再び広げた服と向き合った。






 待ち合わせは映画館の入るショッピングモールの入口にした。翔真は持っている服の中ではシンプルな方の白のオーバーTシャツに、黒のパラシュートパンツ、ボディバッグという出で立ちで、入口付近の壁に背中を付けながらスマホを気にする。

 スマホには五分ほど前に電車を降りたとメッセージが入っていた。そろそろここに着くはずだ。翔真はソワソワと入口の自動ドアが開くたびに視線をむけた。

 里桜はそんなに大きな方ではないから、人に紛れて見失わないようにと目を凝らす。そのうち、親子連れの買い物客の後ろから来た女性が翔真を見つけてはにかみ小さく手を振った。


「お、おまたせ」

「……」


 翔真の前に立った里桜は落ち着かず、視線を彷徨わせる。


 里桜はシンプルな、けれど女性らしい白のTシャツにハイウエストのチェックのロングスカート、白のサンダルで、髪は緩く編んでサイドでお団子にまとめられていた。

 翔真の普段知る里桜は高校時代の制服姿と弁当屋でひとつ結びで三角巾をしっかりと頭につけた姿だけだ。なんとなく、里桜は普段通りの髪型でたまに見えるエプロンの下のTシャツとデニムくらいの服装で来ると思っていた翔真は思わず固まる。


 いつもはうるさいくらいの翔真が黙っているので、里桜は不安になっておずおずと翔真を見上げた。


「え……、どうしたの。私なにか変――」


 服装に悩みすぎて遅刻しそうになったなんて言えないが、最後はもう何を着ていいやらわけがわからなくなって、結局通りかかった妹に服を決めたもらった里桜は一気に不安になる。

 翔真はハッとすると、ぱっといつもの笑顔に戻った。


「いや、めっちゃ可愛いからびっくりした。すげー可愛い。ありがと」


 それ、上手だね。自分でやったん? と軽く里桜のお団子に触れる手に胸が跳ねる。……ありがとうって何に対してのありがとうだろう。


「そ、そんなに難しくないから。……ちょ、触らないで下さい!」


 恥ずかしくなって思わず翔真の手を軽く払った里桜に翔真が「ごめん、ごめん」と笑う。映画行こーぜ、と前を歩き出した翔真のあとに続きながら里桜は翔真の背中を見た。

 いつもとは違って翔真の服はシンプルだと思ったけれど、後ろを向いたらTシャツの裾に赤くてデカいロゴが入っていて、やっぱり翔真なんだと何だか少し可笑しくなる。


(この人、やっぱりチャラ男? あんなに褒めてくるなんて……)


 人生でこんなに短期間に可愛いなんて褒められたことはない。相当遊んでいて女の子に慣れているか、もしくはよっぽど相手のことが好きか――その場合その対象が里桜、という事になるのだけれど。

 里桜は翔真にそこまで好かれるほどの付き合いはない。二歩先を行く翔真が里桜の方を振り返って、歩む速度を落とす。隣に並んで視線があった途端、翔真の双眸が心底嬉しそうに細められた。


(このひと……なんで私なんかが好きなんだろう)


 その笑顔が嘘だったとしたら、もう人を信じられなくなりそうなくらい好きが溢れた表情かおで笑う翔真に、里桜は到底それを直視できなくて目を逸らした。






 映画は今話題の恐竜が出てくる映画で大変面白かった。映画独特のちょっとした興奮冷めやらぬ感覚のまま、昼食をとるためにカフェに入る。里桜はパスタランチを、翔真はオムライスをつつきながら映画の感想なんかを話すのは思いの外楽しくて。

 気がついたら喋っているのは里桜ばかりで、弁当屋に通う翔真はお喋りでうるさいくらいだと思っていたけれど、今日はうんうんと里桜の話に楽しそうに耳を傾けている。


「……紺野くんて、意外と静かだね?」


 里桜の指摘に翔真は目をパチパチと瞬かせた。


「意外と!? ……なーんか、里桜チャンの俺の印象って齟齬があるよなぁ……?」


 ちなみに俺、仲間内ではほとんど聞き役だけど、と返す翔真に里桜は思わず「えっ!」と声を上げた。その反応に翔真が苦笑する。


「……ひどくなーい?」

「だ、だって……」


 翔真にはいつも失礼なことばかり言ってしまっている気がする。里桜はもごもごと下を向きかけたが、もうここまできたら失礼を承知で聞いてしまえ! と里桜は勇気を振り絞った。


「こ、紺野くんて、なんで私が好きなの」


 接点ないよね? と小さな声でたずねる。

 一目惚れ……なんてされるほどの容姿ではないが、もしそんな答えが返ってきたら里桜はやっぱりちょっと遠慮したい。そんな出会いの二人もいるだろうが、一目惚れを信じていない里桜はそれを理由に人を好きになれる気がしなかったから。

 軽い気持ちで、ちょっと遊ぼうと思って声をかけたなら早く言ってほしかった。……この胸のドキドキが、本気になって痛みを伴う前に。


 翔真はきょとんと里桜を見たあと、口に手を当てて「あー」と少し恥ずかしそうに声を漏らした。


「……高校の時、里桜チャン、パン屋でバイトしてたでしょ? 前も言ったけど、俺たまにあのパン屋利用してて」


 弁当屋の前で翔真に告白された時、確かに言っていた。高校生の時から里桜の事が好きだったと。


「俺、家が浅草なんだけど。高校が向陽台だったから通学途中にあのパン屋があって。部活の帰りにたまに空腹に耐えかねて寄ってたんだよね」


 何度か利用した時に、レジの女の子が制服姿である事に気がついた。最初は学校帰りにバイトしてるのかな―と思っただけで。その制服がパン屋のすぐ近くの女子校のものだったから何の疑問も思いもなかった。単純に可愛い子だな、と思っただけだ。けれど――


「たまたま俺が寄った日にさ、小学校低学年くらいの男の子が買い物に来てて」


 お使いだったのかメモを見ながらパンをトレーに入れてレジに持っていっていた。そしていざお会計……と言う段階になってお金が足りないことに気がついたらしい。

 この子が小学校高学年の子どもであったら、パンを減らすなりしてすんなりと買い物は終わっただろう。しかし少年はどう見ても1~2年生で、初めての買い物だったのか書かれているメモ通りの商品が買えないことに少々パニック気味だった。


「そしたらさ、里桜ちゃんがさ、自分の財布から足りない小銭をさっとだして「これで買えるよ」って」


 泣き出す寸前だった少年は笑顔になって、メモ通りの買い物をして何度も手を振って帰っていった。

 里桜の行動が、店員として正解だったかはわからない。お金が足らないのに商品を渡してしまったのならもちろんダメなことだったと思うが、たとえ数十円でも何の関係のない子どもに自分の財布からすっとお金を出してあげられる里桜が翔真には凄く光って見えたのだ。


「ネームプレート見たら『河瀬』って書いてあって。あー、河瀬さんって言うんだなーって思ってさ。下の名前知りたいなと思ったけど、俺もトレーニングとか練習とか忙しくてさ。高校卒業したらあのパン屋にも行けなくなって……大学近くの弁当屋で里桜チャン見かけた時はマジでびっくりして! これはもう運命だー!!って思ったよね」


 友達が、好きなやつになかなか好きだって言えなくて悩んでるの、なんでだって思ってたけど。実際自分もなかなか言えなくて。

 まさか再会すると思わなかったから、今度はちゃんと伝えなきゃって思ってさ。


 だから今、めっちゃ幸せ。


 笑いながらストレートすぎるくらいに直球で想いを伝えてくる翔真に、里桜は痛みを伴うような胸の動悸は遠慮したいと思ったのに、もうすでにはち切れそうになるくらい胸が音を立てていた。


「パン屋も弁当屋も、別に里桜チャンが作ってくれてるわけじゃないんだけどさ、好きな子に食べ物渡されるのってなんかいいじゃん?」


 そう言う翔真に、里桜は何となく分かるかも、と思った。

 そう言えば、彼は陸上選手で、弁当屋にお弁当を買いに来る時も卵を足したり胸肉を使った弁当を選んだりしていた。よく見ると、今日のランチもちゃんとバランスの取れたメニューを選んでいる。弁当屋の弁当は彼にとって、少々カロリー高だったのではないかと思うが、それを差し引いても通ってくれていたのは里桜の顔を見たかったからに違いない。


「……私、栄養士になりたくて……学校の資金貯めるためにあのお弁当屋さんでバイトしてるんです」


 栄養士! へー! と翔真が目を丸める。

 里桜は汗ばむ手をテーブルの下でぐっと握った。


「……こ、今度、アスリート向けのお弁当……作ってきましょうか?」


 お店の売上は減っちゃうかもだけれど。


 小さく絞り出された里桜の提案に、翔真の顔が一気に破顔して。

 里桜はその顔が可愛いなと思ってしまった。

 


 2025.8.23 了

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