第5話:四人目の部員 戸塚幸樹(4)


 亮也が言う『言っておいたこと』とは、幸樹が入部する際に言いつけられた事だろう。

 なぜそれを今ここで問うのかと疑問もあるが、それより先に亮也の問いに返すべきだと考えて「もちろんです」と返した。


「入部したことは誰にも言っていません。友達にも、先生にも。いつも放課後は図書室で過ごしてるって言ってます」

「そうか。今日ここに来る事も親には言ってないんだな?」

「はい。気付かれないように出てきました」


 念を押すように尋ねてくる亮也に、幸樹もはっきりと返す。


 こわいもの倶楽部に入る際、入部したことを誰にも言い触らすなと三人から言いつけられている。

 理由は説明されていないが真剣みを帯びた彼等の物言いに、話を聞いた当初、幸樹は勝手に『ほかに入部したがる者が出て面倒になるからか』と考えていた。

 こわいもの倶楽部の三人は白羽学園の中でも頂点に君臨する。勝ち組の中の勝ち組。他の生徒とは一線を画す存在。

 彼等と繋がることは各界とコネクションを持つのと同じ意味で、その機会を切望しているのは職員室の教師だけではない。生徒達も、親も。つまり学園中が亮也達に取り入る機会を狙っているのだ。


 実を言えば、幸樹もその一人、親の関係性から三人に近付いている。

 戸塚家は代々病院の院長を務めており、先日父から三人に近付くように頼まれていた。誰か一人にでも取り入って彼等の親が背後に着いてくれれば、病院の規模は飛躍し、今後数十年は安泰だから。


 だから幸樹はこわいもの倶楽部の活動場所である空き教室を訪れ、そして今、彼等を追って真夜中のプールという悪趣味な場に立っていた。

 もちろん、そんなことを彼等を前にして口にするわけないが。


「『こわいもの倶楽部』は三人だけだと思っていたから、入部出来たのは驚きました」

「まぁ、たまにはな。それに三人だと何も出来ないだろ」

「何も……?」

「こっちの話だ。それより、家を抜け出すなんて結構やるじゃん。お前の両親、今お前が家に居ると思ってるんだろ」

「はい。多分、もう寝てると思ってます」


 今日は疲れたから早く寝ると夕食の際に母親に話しておいた。

 念のため、夜中に両親が様子を見に来てもいいように布団も細工してある。部屋の明かりを点ければ布団の膨らみがただクッションを詰めただけだと分かるだろうが、よっぽどの事が無い限り、親は寝ている息子の部屋の明かりを点けたりなどしないはずだ。

 部屋を抜け出し玄関まで行くのは心臓が縮み上がるぐらいに緊張したが、幸い親はリビングでテレビを見ていた為、慎重に足音を潜ませて歩いて玄関まで辿り着けた。鍵を開ける、扉を開ける、扉を閉めて鍵を締める。普段は何気なく行っていた行動だが音を立てないようにするのは難しく、小さな物音に何度息を呑んだか。


「携帯にも連絡が無いのでまだ気づいてないと思います」


 携帯電話をズボンのポケットから取り出し確認するも、画面には着信を知らせる表示はない。

 それを話せば、亮也が「ふぅん」と答え、次いで笑った。


 にやりと口角を上げ、楽しそうに、目を細めて。

 その表情に影が掛かった気がした。どろりと暗い。夜のプールよりも暗い。影。


「じゃぁちょうどいいや。これも試してみたかったし。こわいもの倶楽部はまた三人に戻るだけだな」

「え……?」


 何の話ですか? と問おうとした幸樹の間近で、右耳の真下で、バチンッ!と弾ける音が響いた。

 瞬間、頭を殴られたような、それどころか頭蓋を越えて脳を直接殴りつけられたような衝撃が走り、視界が一瞬にして白く瞬いた。痛いとか熱いとかそんな感覚ではない、己の全身が弾けたかのような強い衝撃。

 肺の中の空気が一瞬にして吐き出され、吸おうとするも肺も喉も動かない。硬いものが全身にぶつかる。視界に亮也が履いていたスニーカーが映り、ようやく自分の身体が倒れたのだと気付いた。


「ぎっ……!」

「ひとにやっても反動ってあんま無いんだ。首より胸の方が効くのかな」


 頭上から淡々とした亮也の声が聞こえてくる。まるで雑談をするかのような、そこに少しばかり興味を抱いたような、そんな声色と口調だ。

 彼が自分の前でしゃがんだのが低くなった視界で分かった。曲げた膝とこちらの顔を覗き込む亮也の顔が幸樹の目に映る。……映るが、衝撃のいまだ残る思考ではうまく理解できない。


「なに……、いま、体が……」

「へぇ、威力強いって聞いたけどまだ喋れるんだ。じゃあ心臓ならどうだ、耐えられるかな」

「えっ……がっ!!ぐぎっ!!」


 再び幸樹の体が跳ねる。今度は心臓を鷲掴みにされたような、それどころか心臓を握りつぶされたかのような衝撃。視界まで弾けた。

 喉が一瞬にして詰まり、潰された蛙の断末魔に似た声が漏れた。体の感覚が脳の中で入り乱れ、手足はいま伸ばしているのか曲げているのかすら分からない。

 次いでまたも間近で破裂音が聞こえ、心臓により強く衝撃が走った。体が跳ねる。硬いタイルに手足がぶつかる。亮也達が何か話している気がするが、潰されまいと暴れまわる心臓の音が体の中で響いて、声も音もなにも頭の中に届かない。


「ほら聡も茜も見てみろよ、心臓に当てると白目剥いてるぜ!」

「がっ、あがっ……や、やめでっ……!」

「日本製のスタンガンはあくまで防犯グッズで、相手を負傷させるほどの威力は無かったはずです。さすが海外製ですね。いったいどうやって手に入れたのやら」

「ぎっ、ぎぎぐっ……げぇ」

「なんて汚い声なのかしら。あら、泡まで吹いてますのね」

「お……ごっ……」


 スタンガンを当てられるたびに体を跳ねらせ潰れた声を出す幸樹と違い、亮也は弾んだ声で、そして聡と茜はまるで科学の実験を見るかのように淡々と話を続けている。

 それをしばらく続けて、亮也が身を屈めて幸樹の顔を覗き込んだ。


「なぁ、怖いか?」


 という彼の問いかけは、まるで他愛もないものを聞くかのようにあっさりとしている。

 たとえるならば、映画を見ているひとに「面白い?」と尋ねるような、ものを食べているひとに「美味しい?」と尋ねるような、率直でいて簡素な質問。

 問われても幸樹に応える余裕はなく、唐突に与えられた解放に胸を大きく上下させ息を荒らげ、視点の定まらない瞳で亮也を見据えた。

 眼球が意志に反して動くのか、それとも頭を固定していられないのか、視界がぐらぐらと揺れる。世界全てがぶれて見える。


 ――逃げたい。

 ――いや、逃げなくては。


 そんな考えが幸樹の中で大きく膨らむが、幾度となく衝撃を与えられ堅い床にぶつけた手足は動いてくれない。

 必死に手を動かしてもタイルを引っかくだけで、はてにはベキリと人差し指の爪が割れた。だが今の幸樹にはその痛みさえ衝撃の余韻に掻き消され、爪の割れた指先でなおもタイルを掻く。二本、三本、と続けて爪が割れ、血がタイルに幾筋もの線を描く。


「これ、怖がってるってことか?」

「恐怖というより、己を害するものから逃げようとする生存本能に近い気がしますけど。まぁ、おおむね『死に直面した恐怖』と言えるでしょうね」


 ――――死、


 聡があっさりと口にした単語が、幸樹の頭の中で響く。


 ――――死ぬ、


 その言葉が幸樹の頭の中で溢れ、口から酷く潰れた声が漏れた。


「……じにだく、な、じにだくない」


 と。

 それを聞いた亮也が幸樹の顔を覗き込み、じっと見つめた後……、ぷっと軽く噴き出した。


「ひでぇ顔、これが恐怖に歪むってやつ? ぶっさいくだなー!」


 ケラケラと笑う亮也は楽し気で、さながら友人の変顔を前にしたかのようにあっけらかんとしている。

 次いで彼はもっと見たいと考えたのか再びスタンガンの放電音を鳴らし始めた。幸樹の絶望と苦痛を綯交ぜにした哀れな声がそれに続いた。


 

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