第6話:四人目の部員 戸塚幸樹(5)


 狂乱の実験はしばらく続き、それでもあっさりと終わりを迎えた。


 亮也が飽きたわけでもなく、聡と茜が止めたわけでもない。幸樹が逃げたわけでもない。

 かといってスタンガンの電池が切れたわけでもない。


 別のものが切れたのだ。こと切れた。


「なんだよ、戸塚のやつ、動かなくなっちまった」


 あーあ、と亮也がつまらなさそうにぼやき、幸樹を見下ろす。

 冷たいタイルに横たわった幸樹は苦悶の表情を浮かべ、幾度となく体を跳ねさせたせいで四肢のあちこちに傷を作り、暴れまわった後が見える。だが今はピクリとも動かない。試しにと亮也が五秒ほどスタンガンを押し付ければ反射的に動きはするが、それは生きているものの反応とは違う。

 大きく開いた口からは舌がダラリと伸び、口の端から垂れた泡と血、それに鼻血がまじりあってタイルに溜まっている。嘔吐物は顔に掛かり、ズボンの股座も濡れてタイルには黄色い水溜りが出来ていた。


 その姿はまさに無惨だ。

 だがそれを憐れむ者はここには居ない。


「スタンガンってここまで威力あるんだな」

「亮也のは別物でしょう。それに威力は弱くても、これだけ続けていれば誰だってこうなります」

「それで、戸塚様はどうなのでしょう」


 チラと茜が横目で幸樹に視線を落とした。ハンカチを取り出し口元を覆うのは、血や吐瀉物に対して汚いという訴えだ。

 聡も眉間に皺を寄せて嫌悪の色を露わにしている。元より潔癖症気味な聡は、幸樹がスタンガンの衝撃に喘ぎ嘔吐したあたりで露骨に距離を取り、失禁すると見るのも嫌だと顔を背けていた。

 亮也は嫌悪感こそ示さないが、既に幸樹には興味を失くし、予想以上の効果を出した自分の玩具――スタンガンを満足そうに眺めている。


 誰一人として、触って生死の確認などする気が無い。


「水泳部も廃部だろうな。夏休みの特別授業も無くなるかも。まぁ俺そもそも出る気ねぇけど」


 相変わらず亮也の口調はあっさりとしている。そのうえ動かなくなった幸樹の体をまるで物のように足で押しやり始めた。

 静かなプールの湿気た空気の中、ズッズッと引きずる音が不自然に響く。


「水泳部はどこか別の施設を借りるんじゃないですか? 特別授業だって、なにも学園のプールに拘る必要もありませんし」


 ベンチに座ったまま、手伝う気もましてや触る気もないと言いたげな聡。


「特別授業も、男女別でしたら私も参加してもよろしいんですけど」


 茜も聡に並んで座る。幸樹が押しやられたことで吐瀉物がタイルに擦りつけられ、それを見て眉根を寄せた。


 そうして数度、亮也が幸樹の体を蹴って押しやり、プールの縁に引っかけ……、縁の段差を乗り越えさせるように一度強く蹴った。

 ズルリ、と、幸樹の上半身だけが水に落ちる。うつ伏せに頭から水に沈み、幸樹の髪がふわりと揺れた。

 波一つたてず静かに佇んでいた水面に、今夜はじめて波紋が広がった。だがそれも幸樹がピクリとも動かずにいると次第に静まり、また波の無い暗く黒い一塊に戻っていった。……幸樹の上半身を飲み込んだまま。


「よし、終わった。もう帰ろうぜ」


 疲れた、と亮也が肩を回す。一仕事終えたかのような仕草だ。

 それを見て聡と茜も同時に立ち上がった。


「明日、学校休みかな?」

「そりゃあそうでしょう。明日どころか今週いっぱいは休みでしょうね。そのまま夏休みに入るんじゃないんですか?」

「でしたら明日はうちにいらっしゃいませんか? 先日お父様がシアタールームを作りましたの。最新の設備を揃えておりますのよ」

「マジで? ゲームしようぜ!」

「茜はシアタールームと言っているのに、亮也お前は直ぐにゲームか……」

「良いじゃありませんか。お二人がいらっしゃったらきっとお父様もお母様も喜びますもの」


 楽し気に話しながらプールサイドを歩き、三人は出口へと向かっていった。


 四人で来て、三人で帰る。


 水面に上半身を浮かばせた幸樹を残して。



 ◆◆◆



 翌朝、白羽学園に通う全生徒の家に休校の知らせが渡った。

 理由は『設備工事のため』。知らせには工事車両が行き来するためプール周辺には近付かないようにという旨と、休校のまま夏期休暇に入るため詳細は後日改めて説明を送るという旨が懇切丁寧に書かれていた。更には随所に詫びの言葉が入っており、平身低頭に謝罪を繰り返す教員達の姿が浮かび上がりそうなほど。


 この急な通達に、幸い苦情は上がらなかった。

 勉強熱心な親は家庭教師を呼び、比較的自由に子供を育てている親は好きに遊ばせ、中には一足先に夏期休暇だと旅行に出る親も居た。白羽学園に通うほどの家庭が、子供の予定がたかが一週間程度狂ったからといって慌てふためいたりなどしないのだ。

 だからこそどの家庭も各々の対応を取り、そして理由もさほど興味を抱かずにいた。


 ……否、多少なりとも興味はあった。子が所属する機関に何が起こったのか知りたいと思うのは至極当然の事である。

 だが親も子も『触れるまい』と考え話題に出さずに居たのだ。


 これもまた白羽学園の特徴とでも言えるだろう。

 白羽学園は政界や財界の子息令嬢が通う学園であり、その中には言葉にせずとも築かれた序列がある。いわゆる学内カーストである。他の教育機関と異なり、白羽学園の場合はそれが親の関係に直結するため、親も序列に逆らうまいと必死である。

 もしもこの突然の休校の理由が己よりも高位に当たる家の事情であったなら、原因を探ることで彼等に逆らうことになりかねない。


 そんな保身から今回の突然の休校にも一切苦情はあがらず、白羽学園は休校となった。



 ――鴨川茜の家、古き良き日本家屋の一室。

 和を徹底した外観でありながらも屋内は和洋良いところを併せ持ち、最新設備を揃えたシアタールームにはテレビゲームの軽快な音楽が流れていた。


「噂だと、戸塚のやつ校外で自殺ってことになったらしいぜ。つまんねぇの。溺死した男子生徒にプールに引きずり込まれたって噂になってみんな怖がると思ってたのに、誰も見てねぇんじゃ噂にもならねぇよ」

「早朝に彼のご両親が不在に気付いて捜索を出したみたいですね。部活がある生徒は登校し始めていたようですが、水泳部は放課後だけなのでプールには生徒より先に捜索の手が回ったようです」


 結果、戸塚幸樹の遺体は生徒達に見られることなく回収され、そして彼の死は自殺として、それも校外での自殺とされた。

 少年は夜中に家を抜け出し、白羽学園とは全く無関係な場所で、ひっそりと死を選んだのだ。たとえそれが苦悶の表情を浮かべていても、体中に暴れまわった跡があろうと、首や胸のあちこちに火傷や水ぶくれがあろうとも……。


 戸塚幸樹はひっそりと己の命を絶った。

 そしてそれを話題に出す者は居ない。


 もちろん、戸塚幸樹が死を選んだ時分に白羽学園を訪れた者がいるなど誰も知りはしない。

 知ろうともしないし、そもそも知ることが出来ない。

 警備は固く口を閉ざし、あの晩は誰も通らなかったと答えるだけ。学園中に仕掛けられた防犯カメラも昨夜は何もないと判断されて既にデータは消去されている。足跡を辿るのは不可能、これでは辿る足跡が有ると判断するのも不可能だ。

 年若い少年の自殺となれば騒ぎ出しそうな世間もまた、今回だけはだんまりである。


「もしかしたらプールで溺死した男子生徒ってのも実際に居て、戸塚みたいに大人達に隠されたのかもしれないな」


 画面を見たまま亮也が話すが、その口調も態度もあまり好奇心を感じさせない。あくまで意識も視線もゲームに向けたまま。

 亮也にとってもうこの話は終わってしまったのだ。それも尤も面白くない形で。

 この話に、聡と茜が顔を見合わせた。


「それは怖いですね」

「えぇ、とても怖いお話ですのね」


 そう二人が口にする。

 その声色は楽し気で、まったく怖がる様子もなかった。




 ……四人目の部員 戸塚幸樹 了……


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