第7章:鏡のない神殿

——昭和三十三年 神深村・本山


 御神体の前で、弥生が語っていた。


 「おおこがね様は……は……わたくしに……こう……と……仰いました——」


 つまずいた。

 音が途切れた。

 間が、合わなかった。

 語調がわずかに歪んでいた。


 その“乱れ”に、信吉はすぐ気づいた。


 彼女の声は、明らかにおかしかった。

 まるで、何かをなぞろうとするように、語尾が父・矢萩の口調に似ていた。

 だが、それは“似せた”のではなく、“崩れた模倣”にすぎなかった。


 それでも、信者たちは手を合わせ、拍手を送った。

 「教祖さまの語りが震えておられる……神が、さらに強く語られておるのだ」

 「ああ、ありがたい、ありがたい」


 その囁きを、信吉は確かに聞いた。


 担がれた神輿は、すでに中身を失っていた。

 それでも、担ぐ手は止まらなかった。


 **


 真央は十四歳になっていた。


 学校を休みがちになり、式典では与えられた所作を拒んだ。

 目を閉じずに壇上に立つこともあった。


 教団幹部は言った。

 「神の御子は、人の形式には縛られない」

 信者はそれを“御心の揺らぎ”“試練”と受け取った。


 だが、信吉は見ていた。

 ただの少年だった。


 弥生の語りは、日ごとに冗長になっていった。

 同じ文言を三度繰り返す日もあり、声は次第に上ずり、

 間は読経のように均されていった。


 ある日の式典。

 壇上を降りる真央が、弥生に顔を向けて言った。


 「……僕は、神じゃない」


 弥生は応じなかった。

 応じられなかった。

 ただ俯き、その場に膝をついた。


 **


 その夜、信吉は真央の部屋の前で立ち止まった。

 「……話してええか」

 返事はなかった。


 「……おまえの父親になりそこねたんかもしれん」

 言葉が、壁に吸い込まれていった。

 扉の向こうは、静かだった。


 弥生の部屋の前にも、信吉は立ち止まった。


 「弥生……おまえは、よう語った。

 ……よう語ってきた」


 返事はない。


 「わしは……語らなんだ。ずっと」


 それは懺悔でもなく、告白でもなかった。

 ただの、遅すぎた独り言だった。

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