第6話



私は熱にうなされ、夢と現実の境をさまよっていた。ぼんやりとした意識の中で、私を看病してくれたのは、楓だった気がする。


冷たいタオルを額に乗せてくれたり、水を飲ませてくれたり……。


楓が看病してくれたのは事実なのだろう。


だが、彼女に混ざり合うように、溶けていくように甘えられたのは、たぶん、私の心底にある欲望が見せた幻想だったに違いない。

覚えている内容も定かではないが、


そして翌朝、目が覚めると、熱は嘘のように下がっていた。


頭はまだ少し重いけれど、体はだいぶ楽になっていた。そして、私の体には、見慣れないカーディガンがかけられていた。それは、昨日楓が着ていたものだ。


(やっぱり、夢じゃなかった?……)


もうよくわからない。


そんなことより、カーディガンから漂う、楓の甘くて優しい香りに、私の心臓は高鳴っていた。


私は少しの逡巡の後、そのカーディガンに、顔をうずめた。楓の匂いが、私を包み込む。


その背徳と安堵に、私は、涙が出そうになった。


私は、ベッドから起き上がると、クローゼットから、私と同じくらい大きなテディベアを取り出した。そして、そのテディベアに、楓のカーディガンを着せてやった。


「楓……」


私は、そのテディベアを抱きしめた。力のある限り。テディベアから漂う、楓の匂い。堕落していく私は、また、心が満たされていくのを感じた。




テディベアを抱きしめたまま、リビングへと向かった。


窓の外は、晴れ渡っていて、とても気持ちがよかった。私は、テディベアを抱きしめたまま、ソファに座り、ぼんやりと、窓の外を眺めていた。


すると、スマホが震えた。楓からのメッセージだった。


「莉子、大丈夫?熱下がった?」

「うん。もう大丈夫」


私がそう返信すると、すぐに返信が来た。


「よかった〜!熱、まだあるかなって心配だったんだ。もうちょっとしたら、また家に行ってもいい?」

「うん。いいよ」


私は、そう返信した。


また彼女が来てくれる。そう思うと、嬉しさが際限なく襲いかかってくる。


それから、私は、楓が来るまで、ずっとテディベアを抱きしめていた。楓の匂いが、私を包み込んでくれる。ああ、なんという安心感なのだろう。


夕方になり、チャイムが鳴った。私は、慌てて、テディベアからカーディガンを脱がせ、ソファに置いた。そして、深呼吸をして、ドアを開けた。


「莉子〜!大丈夫!?」


楓が、私の顔を覗き込んできた。その顔には、心配そうな色が浮かんでいた。


「もう大丈夫」


私がそう答えると、楓は、安心したように、私の頭を撫でた。


「よかった〜。もう、心配したんだからね?」


楓は、そう言って、ケラケラと笑った。その笑顔に、私の心臓は、やはり忙しなく拍動する。



「ねぇ、莉子。昨日のこと、覚えてないの?」



昨日のこと。それは一体、いつ頃を指すのだろう。私は看病してもらったが、


「あまり覚えていない......」


夢だったのかな。彼女に見境なく甘えたのは。


そう思った矢先、


「あ!ねぇ、莉子。これ、私のカーディガンだよね?」


楓が、ソファに置いてあったカーディガンを指差した。私は、一瞬焦った。このカーディガンを、楓に返したくない。この温もりを、手放したくない。


だが私は、無言で、カーディガンを手に取り、楓に差し出した。返さなければならないと理性が働いたのだ。楓は、そのカーディガンをすぐに受け取ろうとはしなかった。ただ、私の顔を、じっと見つめている。


「どうしたの?莉子」


楓が、ニヤニヤしながら、私をからかうように言った。


「別に、何でもない」

「ふーん?でも、なんか、手放したくない、みたいな顔してるよね?」


楓の言葉に、私は、顔を真っ赤にした。この子は、どうして、私の心を、こんなにも簡単に見透かすことができるのだろう。


「バカなこと言わないで」


私がそう言うと、楓は、ケラケラと笑った。


「ねぇ、莉子。そんなに、私の服が好きなの?」


楓は、そう言って、私に近づいてきた。そして、私の腕を掴んで、自分に引き寄せた。


「ほら、もっと、いいよ」


楓は、そう言って、私の顔を、自分の胸元に押し付けようとした。私は、慌てて、顔を逸らした。


「や、やだ!」


私がそう言うと、楓は、ケラケラと笑いながら、私を抱きしめた。


「もう、素直じゃないなぁ。でも、そんな莉子も、大好きだよ」


楓は、そう言って、私の耳元で囁いた。その言葉に、私の心臓は、激しく高鳴った。


彼女の首元に顔を近づけ、違和感がないように。そっと、嗅ぐ。


私は、楓の腕の中で、何も言えなかった。ただ、楓の温かさを、感じていた。

楓は、しばらく私を抱きしめた後、そっと、私を離した。


「ねぇ、莉子。このカーディガン、莉子にあげるよ」


楓が、そう言って、カーディガンを私に差し出した。


「え……でも、楓のだよ?」


私がそう言うと、楓は、満面の笑みを浮かべた。


「いいの!莉子が、私の匂いが好きだってわかったから!だから、莉子のものにして?」


私は、その言葉に、自分の行動が完全に露見していたと気づき、顔が炎も霞むほど真っ赤に染まった。


だけど、そんな私を許容してくれる彼女が、痛いほど好きだった。


私は、楓から、カーディガンを受け取った。そのカーディガンは、まだ、楓の温かさを帯びていた。


「ありがとう……楓」


私がそう言うと、楓は、私の頭を、優しく撫でた。


「どういたしまして、莉子。じゃあ、また明日ね」



楓は、そう言って、私の家を後にした。


私は、楓が帰った後も、ずっと、楓がくれたカーディガンを抱きしめていた。







家への帰り道、私はニヤニヤが止まらなかった。莉子が、私のカーディガンに顔をうずめて、私の匂いを嗅いでいる姿を想像すると、胸が熱くなった。


(ふふ、莉子。私の匂いが、そんなに好きなんだ……)


しかし、実は私も、莉子の匂いが大好きだ。だから、私は密かに、莉子の服を、こっそりと持ち帰っていた。


初めて莉子の家に泊まったあの日、着替えとして借りた莉子のTシャツ。


そして、昨日莉子の家に泊まった時、莉子の下着を、こっそりと持ち帰っていた。莉子のあのシンプルな白い下着と、その奥に隠された、莉子の温かさ。その両方が、私の心を、満たしてくれる。


(いつか、莉子にバレて、怒られちゃうかな……)


いや、バレたらもう無理やり彼女を押し倒そう。

私は、そう思いながら、心の中で、莉子のことを想っていた。






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