第5話
莉子が学校を休んだと知ったのは、教室に入ってすぐのことだった。
先生が「水瀬さんは体調不良で休むそうです」と告げたとき、私の胸は嫌な予感でいっぱいになった。
(どうしよう……。莉子、一人で大丈夫かな……?)
私は、いてもたってもいられなくなり、休み時間の間に、こっそりと莉子に連絡をしてみた。しかし、返信はなかった。電話をかけても、出ない。もう我慢できなかった。
「先生、すみません。私も、体調が悪いので、早退してもいいですか?」
私は、そう言って、担任の先生に頭を下げた。先生は、心配そうな顔で、私を見ていた。
「大丈夫ですか?桜井さん」
「はい。少し、熱があるみたいで……」
私は、そう言って嘘をついた。先生は、少しだけ戸惑っていたようだが、結局、「もう、仕方ないわね」と言って微笑みながら早退を許可してくれた。いろいろ察してくれたのだろう。
私は、学校を飛び出し、そのまま莉子の家へと向かった。
家路を急ぐ私の脳裏には、ただ一つの像が焼き付いている。
孤独を纏い、孤高を気取る莉子。その虚無めいた眼差しこそ、私を捕らえて離さない唯一の光だった。彼女が、静かに身を横たえているかと思うと、私の胸は辛い痺れを覚えた。
莉子の家のチャイムを鳴らしても、反応はない。私は、この前(勝手に)手に入れた合鍵でドアを開け、そっと中に入った。
莉子は、リビングのソファで、毛布にくるまり、ぐったりと横になっていた。その顔は、真っ赤に染まっている。
「莉子!大丈夫!?」
私がそう言って、莉子に近づくと、莉子は、ゆっくりと目を開けた。その瞳は、熱に浮かされているのか、焦点が定まっていなかった。
「……ん」
莉子は、小さな声でそう言った。私は、莉子の額に触れた。その熱は、尋常ではなかった。
「熱い……!全然大丈夫じゃないよ!熱、何度くらいあるの!?」
私がそう言うと、莉子は、何も言わなかった。ただ、ぼんやりと、私を見つめている。
「楓なの……?」
莉子が、小さな声で私の名前を呼んだ。その声は、とても甘く、そして、どこか幼い響きを持っていた。
「うん。私だよ。どうしたの?気分は?」
私がそう言うと、莉子は、私の手をそっと握りしめた。その手は、震えていた。
「……夢、なのかな」
莉子が、そう呟いた。
「夢じゃないよ。私だよ」
私がそう言っても、莉子は、何も言わなかった。ただ、ずっとぼんやりと私を見つめている。その瞳は、まだ焦点が定まっていなかった。
「ねぇ、楓……」
莉子が、また私の名前を呼んだ。その声は、甘美で、私の理性を狂わすような響きを持っていた。
そしてそれは、私が知るあの無口でクールな莉子の声ではなかった。そこにいるのは、ただ私を求める、純粋な魂そのものだった。
「うん、どうしたの?」
「楓、可愛い……」
莉子が、小さな声でそう言った。その言葉に、私の心臓は、激しく高鳴った。
「り、莉子……?」
私がそう言うと、莉子は、何も言わなかった。ただ、ぼんやりと、私を見つめている。その瞳は、まだ、焦点が定まっていなかった。
(これって……もしかして、本音……?)
私は、そう思い、莉子の顔を、自分の顔に近づけた。
「じゃ、じゃあさ、莉子。......私のこと好き?」
私がそう言うと、莉子は、一瞬、戸惑ったような表情をした。そして、ゆっくりと、頷いた。
「うん……大好き……」
うッ。
「あ、愛してる?」
「あいしてる」
莉子の声は、とても小さくて、でも、私には、その言葉がとても愛おしかった。
私は、その莉子の告白に、胸が締め付けられる思いがした。莉子の無口な愛情が、私を、この上なく幸せな気持ちにさせてくれた。
浮ついて、落ち着かないままの私は、莉子を寝室のベッドに連れて行き、毛布をかけてあげた。莉子は、されるがままに、私に体を預けていた。
「莉子、何か食べられそう?」
私がそう尋ねると、莉子は、小さく首を横に振った。
「そう。じゃあ、何か飲み物、持ってくるね」
私は、そう言って、キッチンに向かった。冷蔵庫を開けると、ペットボトルの経口補水液が入っていた。私は、それをコップに注ぎ、莉子の元に戻った。
「ほら、少しでも飲んで」
私がそう言って、コップを差し出すと、莉子は、私の手からコップを受け取り、ゆっくりと、それを飲んだ。
「ねぇ、楓……」
莉子が、また、私の名前を呼んだ。その声は、少しだけ、元気を取り戻しているようだった。
「どうしたの?」
「いつも……ありがとう」
莉子が、小さな声でそう言った。その言葉に、私の心は、温かくなった。
私は、莉子の看病を続けた。熱さまシートを額に貼ってあげたり、タオルで体を拭いてあげたり。莉子は、されるがままに、私に体を預けていた。
夕方になり、私は、家に帰る準備を始めた。
「莉子、そろそろ帰るね。何かあったら、すぐに連絡して」
私がそう言うと、莉子は、私の手を、そっと握りしめた。
「……帰らないで」
莉子の声は、震えていた。その言葉に、私の胸は、締め付けられる思いがした。
「でも、莉子、熱があるんだから、ゆっくり休まないと」
私がそう言うと、莉子は、何も言わなかった。ただ、私の手を、ぎゅっと握りしめている。
私は、莉子の手を、優しく撫でた。そして、自分の羽織っていたカーディガンを、莉子の体に、そっとかけてあげた。
莉子は、私のカーディガンを、ぎゅっと握りしめた。私はその姿に、背徳的な美しさを感じた。
「また、明日、来るからね。だから、ゆっくり休んで」
私がそう言って、莉子の額に、そっとキスをした。
莉子は、何も言わなかった。ただ、私のカーディガンを、ぎゅっと握りしめている。私は、その莉子の姿を見て、静かに、彼女の家を後にした。
翌日、莉子は、学校に来ていなかった。私は、放課後にまた、莉子の家へと向かった。
莉子は、熱も下がったようで、顔色もよくなっていた。しかし、私が昨日のことを尋ねると、莉子は何も言わなかった。
「ねぇ、莉子。昨日のこと、覚えてないの?」
私がそう言うと、莉子は、少しだけ戸惑ったような表情をした。
「あまり覚えてない……夢、だったのかな」
莉子が、小さくそう呟いた。
その言葉に、私は、少しだけ残念な思いがした。莉子は、あの熱に浮かされたままの告白を、やはり、夢だと思っているのだ。
私は、その莉子の姿を見て、そっと、微笑んだ。
(いつか、莉子の口から、ちゃんと言ってもらうから)
私は、そう心の中で呟いた。
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