第36話 ありがとう

――ずっと、ずっと。

「わたし……本当は、ずっと」

「……うん」


 リッカルド様が、抱きしめる力を緩めた。

 黒い瞳を見つめる。

「リッカルド様に、そう言って欲しかったんです……。私がそんなこと思っちゃいけないって、わかってたのに……!!」


 ずっと、リッカルド様と一緒にいたい。

 リッカルド様に好きになってほしい。

 私が抱いてはいけないはずの願望。

 それは、常に私と共にあって。


「……ごめんなさい!! 私のせいなのに――、そんな、こと」

 もっともっと魔獣の心臓を集めるだけの機械になれば良かった。

 ううん、それ以前に、時間を巻き戻す前に、もっとできることがあったのに。

「……うん」


 世界が、滲む。

「……わかってるのに。いけないってわかってる。相応しくないって、こんなこと、許されないってわかってるのに」


「……うん」

 リッカルド様は、私の目に溜まった涙を拭った。

 それでも、涙は止まらない。

 あとからあとからこぼれ落ちる。

「嬉しいんです。リッカルド様にそう言ってもらえて、嬉しいの……ごめんなさい、わたしの、わたしのせい――!」


「ゆるさないよ」

 ぎゅ、ともう一度抱きしめられる。

「ずっと、ゆるさない。……だから、離れないで、ずっとそばにいて」

 リッカルド様のその言葉に、応えるように。

 ――私も、リッカルド様の背に手を回した。




◇◇◇


『……話はまとまったか?』

「!?!?!?」

 悪魔の声に、思わず飛び上がって驚く。

 その存在を完全に忘れていた。

「……うん。ありがとう」


 でも、リッカルド様は、驚くことなく頷いている。

「……え?」


 でも、どうして?


 リッカルド様に悪魔の話はしたけれど。

 二人は、初対面のはずで。

 どうして、そんなに気安い感じなんだろう。

「――ああ、そっか。ソフィアは知らないのか」


 ごめんね、驚いたよね。


 そう言って、リッカルド様が笑う。

「お二人は知り合いなんですか……?」

「知り合いっていうか……うん、まあ、そんな感じ」

 なぜか悪魔に睨まれ、リッカルド様が言葉を濁した。


「でも、悪魔。あなた、そんなこと一言も……」

『悪魔である我に、隠し事をするなと?』


 たしかに、悪魔が隠し事をしない方が変かもしれない。


「……そうね」


 なんとなく、納得しきれない部分もありつつ、頷く。

「ところで、どうして悪魔はここに? 国に帰る前の暇つぶしって言ってたけど――」

『……ソフィア』


 ?


 悪魔は、私の元にゆっくりと近づいた。

「悪魔?」

 そして、なぜだか、反対にリッカルド様は、少し離れた。


『……もう、大丈夫だな』


 疑問、ではなく断定だった。


 ――もう、大丈夫。


 その言葉を、ゆっくりと噛み締めた。

「……うん」

 悪魔を見つめる。

 真っ赤な瞳。真っ赤な髪。

 その色彩は、この世界ではあり得ない。

 ――でも、心臓があった。

 かつて、神になったという、悪魔。


 そんな彼がなぜ、悪魔と呼ばれて、今ここにいるのか。なぜ、私のために時間を巻き戻してくれたのか。なぜ、代償も取らないのか。

 何ひとつ、わからないけれど。


 たった一つ、わかるのは。


 悪魔は、私を心配してくれていた。


 なぜか聞きたい。

 どうして、私を、そんなに大切に思ってくれたのか。


 どうして、並ぶと少しリッカルド様と似ているのか。


 聞きたいことは、たくさんある。


 言いたいことも、たくさんある。


 ――でも。

「――ありがとう」

 その一言を口に出した。


 元々、国に帰ると言っていたし、きっとお別れなのだろう。

 以前は、言えなかった感謝の言葉。


「あなたに出会えて、良かった」

『……ああ。我――僕も、出会えて、良かった』

 ……僕。


 本当は、悪魔の一人称は僕だったんだ。

 悪魔は、微笑んだ。


 今まで見た中で、一番、柔らかい笑みだった。

「あく――」

『後は、任せた』

 伸ばした手が、届く前に。


 リッカルド様に視線を送ると、悪魔は消えた。




「……」


 悪魔のいた場所には、もう何も残ってない。

 きっと、今度こそ国に帰ったのだろう。


「……ありがとう」


 もう一度、呟く。


 悪魔なんて言われているくせに、案外おせっかいで、優しい私のーー大切な友。


「……さて」

 リッカルド様が、私を見た。

「僕たちがすべきことをしようか」


 すべきこと。


 そういえば、魔獣はいつの間にか去っていたけど――。

「すべきことって……」

「もちろん、授業だよ」

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