ヒーロー

黒石廉

無限中枢機動強襲システム

 ある朝、気がかりな夢から目覚めたととき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまってはいなかった。俺はグレゴール・ザムザではないからだ。しかし、ザムザが尻に帆をかけて逃げ出すくらいにおかしなことにはなっている。そもそも、毒虫に帆をかけるような尻があるかは謎だが、少なくとも奴がウンコちびって逃げ出すくらいには、俺のおかれた状況のほうがやばいことは自信を持って断言できる。

 朝、毒虫としてではなく人間として目覚めた俺はコップに注いだ水を飲み干すと、トイレに向かった。便座に座り、上半身を少し前傾させて、ふんと下っ腹に力をいれる。

 スッポン

 スポン

 今朝も快便だ。

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 問題はそれが

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 とまらないことだ。

 幸いなことに俺はスマホを持っていた。マリヤにいつも眉をひそめられる俺の悪癖が、俺の人間としての尊厳をほんの一部だけ、ほんのしばらくの間だけ救ってくれた。

「おはようございます。経理部のババ・マルオです。急な連絡で申し訳ないのですが、体調を崩してしまいまして……本日、お休みをいただきたいのですが……」

「どうしたの?」「いや、腹が……」「そりゃあ、大変だね」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「……ババくん、君、ウンコしてない?」「いえ、そんなことは」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 俺の尻が高らかに音を奏でる。

「いや、絶対にウンコしてるでしょ?」「してませんってばァアア!(ブッチ) 何ィィイ言ってるんですかァアアアアアア(ブリュブリュ)、課長ォォオオオ(ブリュ)!」

 俺は大声で相手の疑いを強引に打ち消し、尻が奏でる音も強引に打ち消す。

 なんとか、乗り切った。

 乗り切ったはいいが、問題は山積みだった。

 スマホはあるが、食料も水もない。正確に言えば、俺の尻の下には、俺が身体を捻ってレバーを操作したあと、零コンマ数秒の間だけ透明を保ち、すぐに黄金色に染まる水があったが、こいつで水分補給なんぞしようものなら、人間の尊厳だけでなく、命までもが危うくなるだろう。かといって、ユニットバスのシャワーには手が届かない。無理して動こうものなら、ユニットバスが邪悪な黄金郷になってしまう。なんにせよ、水分は俺の身体からでていくばかりで、このままでは脱水症状で倒れてしまうだろう。

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「はい119番消防です。火事ですか? 救急ですか?」

「救急です。動けないんです」

「場所はどこですか?」

「◯◯区嘉禾町9-3-1メゾン・モン・ド・メルド931、ババ・マルオです」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「どなたがどうしましたか?」

「私、ババが……」

 どう説明すれば良いのだ。

「どうしましたか? 大丈夫ですか?」

 電話の声が

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 緊迫感を帯びたものになった。

「……とまらないんです……ウンコがとまらないんです」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「……ふざけないでください。ババさん。ここは緊急の電話、人の生死にも関わる声を受ける場所なんです」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「ていうか、ババさん、ウンコしてます?」「だから、とまらないって、いってるじゃないですかっ!」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「……腹部に痛みはありますか?」「まったくありません」「……他の箇所に痛みは」「強いて言うならば、ずっと座っていて、ちょっと尻が痛いのと、あとウンコでかぶれそ……」

「いいですか!」

 ブッチ

「ここでは、人のっ」

 ブリュブリュ

「生死が決まるんだよっ!」

 ブリュ

「なに、ウンコしてんだよ」「すみません」「とめろよ!」「すみません」「とまってないじゃないかっ!」「すみません」

 結局、業務妨害であると怒られて、電話を切る羽目になった。

 数日後の新聞にひからびた黄金郷で黄金にコーティングされた俺が発見されたら、お前はどうする気だ。

 問題になれっ! 社会問題になってしまえ! 俺は思いつく限りの呪いの文句を唱えたが、その呪いが実現するには、俺の死が必要不可欠であることに気が付き、呪うのをやめた。人を呪わば穴二つ。穴二つじゃ黄金は受け止めきれない。

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 結局、俺は俺の尊厳――すでにかなり減少してしまっているが、残ったわずかな尊厳のかなりの部分を捧げて、マリヤを召喚することにしたのだ。

 彼女ならば、合鍵をもっている。俺は便座からこの尻を離すことなく、すなわち黄金の魔境をこの世に創り出すことなく、彼女を招き入れられるわけだ。

 たとえ、恋人であっても、この姿を見せるのはつらいが、それでも背に腹は代えられないし、バイオハザードは避けないといけない。

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 メッセージを送る。ギリギリまで尊厳は抱いていたい。いつもの癖でウンコのスタンプを押そうとしてやめた。

 錠前がブッチとブリュブリュの僅かな合間でかちゃりとなった。扉がきしみながら開く。

 肛門を学校開放時の校門のように開放しながら、うたたねしていたらしい。うたたねしていても、なお、俺の肛門括約筋は活躍を止めない。かちゃりという音でブリュブリュと目覚めた俺は、俺の身体がブリュッとマリヤに答えそうになる前に大声でマリヤに呼びかける。

「ありがとう! ユニットバスにいるんだけど、理由があって、ここから出られない」

「どうしたの? 食料と水を持ってきてくれだなんて」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「……ていうか、おトイレの最中?」

「俺も訳が分からないんだけど、聞いて欲しい」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「あとで聞くから、先におトイレ済ませてよ、汚いんだから」

 だいたい、あなたはスマホもってトイレに篭ってといういつもの小言を大声でとめる。

「とまらないんだ」「はぁ……」「ウンコがとまらないんだ」「はぁ!?」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 沈黙の中、俺の尻だけが雄弁に語る。

「……とまらないんだ」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「信じられないかもしれないけど、本当なんだ」

「……で、どうしたら、いいの?」

 喉が乾いたを通り越して、脱水気味であることを告げる。

「で、入れば……いいのね」「……うん、ごめん」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 ガチャリ

「うわっ、臭っさ、クサイクサイクサイ、あんた何食べてんのよ」「昨日は回鍋肉食った」「そんなこと聞いてんじゃないわよっ! バカじゃないのっ!」

 ブッチ

「やめて!」

 ブリュブリュ

「ごめん」

 ブリュ

「……」

 沈黙の中、俺の尻だけがオペラ、ラインの黄金を歌う。マリヤの差し出したペットボトルを俺は一気に飲み干した。

「ありがとう」「……どうすんのよ?」「どうしたらいいかな?」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「……さぁ」「さぁとは無責任じゃないか」「ウンコぶりぶりの癖して、何偉そうにっ!」「ごめん」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「……お母様に連絡するわ、それにしても」

 ブッチ

 オエッゴボッビチャ

 ブリュブリュ

 ウェゴォベォ

 ブリュ

 ジャー

 彼女は洗面台に派手に吐き、それをおざなりに流して出ていこうとする。

 ツンとした臭い。

「臭いんだけど」「あんたがいうなっ! クソ野郎」

 俺は一つの恋が便器の水流とともに流れていったことを認めざるをえなかった。

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 ジャー


 俺は母を呼んだ。母は便座でクソを放り出しつづける俺を見て泣いた。その気持はわからないでもない。

「マルちゃん、なんで、あんた、こんなことに」

 ェゲェ

 えづきながら、母は泣いた。

 泣きながらユニットバスの外に行き、電話をかけまくった。

 俺が、

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 ジャー

 と待っていると、親は訪問医を呼んでくれた。

 訪問医はプロだけあって――あるいは医療用のマスクの強固な守りゆえかもしれない――えづくことなく、対処してくれた。

「こりゃあ、わかりませんわ。こんな阿呆な病気があって、たまりますか。かといって、ウンコは実際にとまらない。こんなところではどうにもならないですわ」

 診察ではなく、対処だ。

 問診をすることもほとんどなく、訪問医は電話をあちこちにかけ、俺はようやく救急車に乗れることになった。尻に大きなビニール袋をつけて。

 搬送中、俺は119番後に救急隊員を呪ったことを後悔し、一人、懺悔した。

 搬送の最中に俺の尻のビニール袋は、許容量を超え、車内は大量のウンコだらけになったが、救急隊員は悲鳴をあげるのをこらえ、必死に俺を搬送してくれた。

 ストレッチャーを引き受けた看護師が嘔吐するとき、救急隊員にも限界が来たようだった。俺も彼らの仲間に入れてもらった。

 俺はウンコとゲロ、他人と自分のそれまみれになりながら、運ばれ、洗浄された。


 ◆◆◆


 会社には、リモートワークの申請をしたが、程なくして、上司から辞めてくれないかと頼まれた。

「音がね、うん、こういっちゃなんだけど、どうしても音がね」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「会議のときもさ、音がでるじゃない」「すみません」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

「うん、この事態が、君に落ち度があってのものじゃないってのはわかっているんだけど、耐えられないって声が出てきててさ……」「すみません」

 退職金は色を付けてもらえたらしい。

 とはいえ、それだけでは生きていけない。

 しょうがないので、自分の体験談を書き記したり、取材を受けたりして糊口をしのぐことにした。

 配信者になろうかと一瞬考えたが、すぐにやめた。うん、このときには音の問題があったからな。いくらクリエイターアワードでゴールドを獲得できるぐらいのポテンシャルがあったって、アカウント停止の危機と隣り合わせじゃあな。

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 タブロイド紙や週刊誌、ネットメディア、笑いを求めているやつらには、必ずロダンの「考える人」ポーズを取ることを求められた。

 真面目な番組や研究者の取材では、それがなかったが、たまに居室の外からえづいたり嘔吐する音が聞こえた。


 そうして、忘れられかけた頃、マッドサイエンティストなクソジジイがあらわれた。

 王立中央工科学校C. R. A. P(Central Royal Academy of Polytecnic)を首席で卒業したとかいう草生勉くそうつとむというマッドサイエンティストは部屋に入るなり叫んだ。

「これぞ、永久機関。君はすばらしい、君は黄金郷をこの地にもたらすものだよ!」

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 マッドサイエンティストはクソ野郎だったが、それでも俺は彼に感謝している。

 エネルギー工学とバイオ工学、ロボット工学の三分野での博士号と基礎研究分野でもいくつかの博士号をもつらしいこの男は、俺の特性を利用して、彼の研究の集大成を完成させた。

 無限次世代危機対処機Unlimited Next-gen Crisis Operatorと呼ばれるパワードスーツを身につけることにより、俺は動けるようになったのだ。U. N. C. O.というふざけた略称は気に食わなかったが、それは些細なことだった。

 俺の黄金は、バイオ処理を経て、U. N. C. O.のエネルギー源となる。

 環境音のごとく俺の耳を占拠してきた

 ブッチ

 ブリュブリュ

 ブリュ

 をうまく打ち消すように音階を調整した音が常に流れる。トイレの消音装置の研究から生み出された技術ということさえ忘れてしまえば、俺は気分良く、外出できた。

 

 ウンコマンというしょうもないあだ名が自然発生したのはしょうがないことだ。クソジジイの命名がそもそも酷すぎるのだ。

 それにしても、このしょうもないあだ名が俺の今の使命に結びついたのは、まったくもってクソッタレとしか言いようがない。

 小学生の一団が「ウンコマン、ウンコマン、ウンコーウンコー」と叫びながら、俺の横を駆け抜けていくのを見たマッドサイエンティスト草生はぽんと膝をうったのだ。

「ウンコマン、いいじゃないか」「よくないですよ」

「いや、君はウンコマンとして使命を果たすべきなんだよ」「じじい、頭の中にクソでもわいてんのかっ!」

「ウンコマンだよ、君はウンコマンになりたくないのか!」「なりてぇやつなんているわけねぇだろ、クソジジイ」

 俺の全力の拒否と罵倒を草生は気にもせず、研究室に消えていった。

 数カ月後、彼は新しいパワードスーツを運んできた。

「Unlimited Node Combat Operating System, Maneuverable Assault Nexus、無限中枢機動強襲システム、略してU.N.C.O.M.A.Nだっ!」

「ウンコマンからどうして離れられないんだよっ! そもそも無限中枢なんたらでいいだろ」「どうしてウンコマンから離れないといけないんだ、宿便のように君の身体にはウンコがまとわりついているのにっ」

 折しも、正体不明の生物、怪獣としか言いようのないものが現れるようになっていて、その対処に国は苦慮していたのはご存知のとおりだ。ご都合主義とかいうんじゃない。この世界で当たり前のことはいちいち説明しないだろ、クソッタレ。

 それはさておき、クソジジイのパワードスーツは、もともとは対怪獣機動兵器として、一瞬注目されたものだった。一瞬だけ注目され、稼働時間の圧倒的な短さから結局採用されなかった。

「無限のエネルギーをひりだせる君ならっ! ウンコマンとして戦えるっ!」

 俺はすぐにエースになった。

 その後、採用された対怪獣大型強襲システムが大量の食料をもたせた50人のデブを便座型エネルギーカートリッジにしつらえてなお短時間の活動時間しか確保できなかったのに対し、俺は素早く、そして半永久的に戦うことができたからだ。


 俺が世界を転戦しながら戦っているのには、こんな理由があったわけだ。

 平和な世界のためには、俺はこのミを捧げよう。

 平和な世界では小学生たちが、俺の横を鼻をつまみ、はやし声をあげながらかけていく。俺は考える人のポーズをとって、彼らの声援に今日も答える。

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ヒーロー 黒石廉 @kuroishiren

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