【特権】教えられぬ核心と、自ら掴まなければならない真理

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

本当に大切なことは、自力で考えるしかない

人間社会のあらゆる場面において、「本当に大切なこと」は往々にして誰かが教えてくれるものではない。なぜなら、それを教えてしまえば、教える側が持っている『特権』や『優位性』が失われる可能性があるからだ。人は自分の地位や価値を守ろうとする本能を持っている。だからこそ、誰もが口にし、マニュアルや教科書に載せるような知識は簡単に共有されるが、核心的で決定的な知恵は、他人には簡単に渡されない。これは社会の冷たい事実であると同時に、人が成長する上での大きな試練でもある。


たとえば職場を例にとろう。新人が入ってきたとき、先輩や上司は業務の基本的な進め方や最低限のルールは教える。しかし、実際に成果を出すための「暗黙知」、すなわち人間関係をどう調整すればうまくいくのか、上司の機嫌をどう読めばよいのか、あるいは商談の場で相手の本音をどう引き出すかといった「要領の核心」は滅多に伝えられない。それは、教えてしまえば新人がすぐに自分と同じレベルに達し、競争相手になってしまう恐れがあるからだ。だから新人は、仕事の中で何度も失敗し、遠回りをしながら、自分なりに観察と試行錯誤を繰り返して、その暗黙知を体得するしかない。つまり「本当に大切なことは、自力で考え、掴み取らなければならない」のである。


音楽の世界でも同じだ。師匠や先生は生徒に基本的なテクニックや譜面の読み方を教えてくれる。しかし、演奏が人の心を打つために必要な「表現の核心」、つまり音に魂を込める感覚や、舞台で観客を支配する気迫、あるいは声楽であれば息の使い方と感情の融合といった領域は、最後には弟子が自分で悟るしかない。多くの師匠は「ここから先は自分で考えなさい」と言うだろうし、時にはあえてすべてを教えず、弟子に壁を残すこともある。そこには「教えないことで成長を促す」という教育的意図もあるが、同時に「弟子が自分を追い越すことへの恐れ」も潜んでいる。だから芸術の世界でも、究極的な領域に到達するためには、他人から与えられた答えを超えて、自分の内側から答えを見つけ出さなければならない。


スポーツの分野でも同様のことが起こる。コーチや監督は選手に戦術や基礎練習を指導する。しかし、試合の極限状態で「ここぞという場面でどう動くか」「一瞬の判断で流れを変えるにはどうするか」という最も大切な部分は、教えられた知識だけでは身につかない。例えば、サッカー選手がゴール前でパスを選ぶかシュートを選ぶかという判断は、マニュアルに従って決められるものではなく、自分自身の経験や直感から導き出されるものだ。さらに言えば、チーム内でスター選手が持つ「勝負勘」や「決定的な場面をものにする力」は、他人から借りてきた知識ではなく、その人が自力で掴み取った「本当に大切なこと」なのだ。


芸術やスポーツの例を超えて、人間関係においてもこの原理は働く。人との付き合い方や、信頼を得る方法、愛されるための態度、あるいは裏切られないための警戒心。こうした人生の核心は、誰かが丁寧に教えてくれるものではない。親や教師は「人を大切にしなさい」「嘘をついてはいけない」と一般的な指針は示すが、実際にどこで誰を信じるべきか、誰を遠ざけるべきかという実践的な判断は、自分で経験して痛みを伴いながら学ぶしかない。もし誰かが「裏切られない人間関係の秘密」を教えてくれると言っても、それはその人の状況でのみ通用する限定的な答えであって、あなた自身には当てはまらないことが多い。だからこそ「本当に大切なことは、自分の頭で考え、失敗を糧にしながら学ぶしかない」のである。


なぜ人は他人に大切なことを教えないのか。それは単なる意地悪や冷酷さだけではなく、深い心理的な要因もある。人は自分の努力や苦労で獲得した知識を『特権』として抱え込み、それを誇りや生存戦略の一部として使う。もしそれを誰かに渡してしまえば、自分の価値が下がる恐れがある。たとえば職場で、自分だけが知っている業務の裏技を部下に教えてしまえば、自分の立場が危うくなるかもしれない。音楽で自分が苦労して身につけた発声法を弟子に完全に教えてしまえば、弟子が自分を超えるかもしれない。スポーツで自分が体得した必殺技をライバルに伝えれば、自分が負けるかもしれない。だから人は、無意識のうちに「ここまでは教えるが、ここから先は言わない」という線引きをするのだ。


だが、この現実を悲観的に捉える必要はない。むしろ、他人が教えてくれないからこそ、人は自力で考え、成長し、唯一無二の存在になることができる。他人から与えられた知識だけで満足している人は、結局は「借り物の頭」でしか生きられない。その一方で、誰も教えてくれない領域に足を踏み入れ、自ら考え抜いた人間は、強靭な独立性と深い理解を手に入れる。だから「本当に大切なことは教えてもらえない」という冷酷な真実は、実は人を成長させるための試練であり、人生を通して与えられた課題でもある。


ここで重要なのは、他人に依存しすぎない姿勢だ。もちろん他人の知識や経験から学ぶことは大切だが、それをそのまま鵜呑みにせず、自分なりに考え直すことが必要だ。仕事の中で「なぜこのやり方が有効なのか」を考える。音楽のレッスンで「なぜこの表現が人の心を動かすのか」を自分の心と体に問いかける。スポーツで「なぜこの一手が勝敗を分けるのか」を体感しながら理解する。こうした自問自答を通してのみ、人は「本当に大切なこと」に近づくことができる。


つまり、他人が教えてくれないことを嘆くよりも、「自分で考えること」そのものを喜ぶべきなのだ。他人が差し出してくれる答えは入り口に過ぎない。その先に待っている核心は、どんなに優しい人であっても、あなたの代わりに手渡してくれることはない。なぜなら、それを掴み取る行為こそが、あなたの人生を形作る過程そのものだからである。


だからこそ、人は自力で考えなければならない。職場であれ、芸術であれ、スポーツであれ、人生のどの領域であっても、本当に大切なことは自らの手でつかみ取るほかない。それを怠れば、いつまでも他人の枠に閉じ込められ、自分だけの輝きを持つことはできないだろう。しかし、自分で考え続ける勇気を持つ者は、他人が決して教えてくれない真実に到達し、自らの人生を堂々と切り拓いていくことができるのである。

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