第10話 サヨリの見釣り②
いつもの田舎堤防に着いた。
誰が名付けたかは知らないが、この湾は蟹の甲羅に似ているから蟹甲湾と言う。
地元の小中学校校歌にもフレーズを登場させるくらいの徹底ぶりだ。
「♩朝日輝く蟹甲の 真鯛のように溌剌と」
「♩暁映ゆる蟹甲湾 青松白砂の地を占めて」
潮の流れも穏やかで、堤防も低くとても釣り易いこの場所に今サヨリの群れが回遊してきている。
突出した下顎がトレードマークで、海面すれすれを細い矢のように泳ぐ姿は心を和ませる。
細い身体だが引きは強く、飛ばしウキ釣りで大型サヨリを専門に狙う釣り師もいるくらいだ。
「入江さん、見てください。サヨリ沢山寄って来てますよ!」
「私サヨリ初めて見ましたよ!てか泳ぐの早っ!」
繊細な魚体とは裏腹にスピード感あふれる泳ぎっぷりなのがサヨリだ。
「じゃあいつも通りに撒き餌からやりましょうか?」
「ラジャー」
入江さんは慣れた手つきでロープ付きバケツに海水を汲み上げてくれる。
俺はその間に冷凍アミエビレンガを半分に割って、片方を撒き餌用として溶かした。
「湊くん、残ったアミエビを付け餌にするんだよね?どうせなら一気に全部海水で溶かしたら良かったのに!」
解凍効率を考えたらもっともな疑問だ。
「入江さん良い質問ですね!水解凍したアミエビは水分を含んで身がフワフワになります。それを鉤に刺したら身が崩れてしまって、下手すりゃ海に投入する前にポロッと外れちゃうんです」
「なるほどー!ポロリもあるわけですね!」
控えめな胸から水着が外れる真似をしてガハハと笑ってる29歳女子が目の前にいる。
入江さんの中身はひょっとしたら異世界転生してきたおっさんかも知れない。
「自然解凍したアミエビは身も締まって鉤に付けやすいですね。海中に投入しても、外れずに身持ちが良いですよ」
少しの工夫で釣りやすさは変わるのだ。
「では沢山釣っていきましょう!」
俺は普段の倍くらい薄めたアミエビを杓ですくって撒き始めた。
「あれ湊くん、いつもより撒き餌薄いでしょ?付け餌用に少し取ったけど、もうちょっとエビが多い方がサヨリ寄ってくるんじゃない?」
今日の入江さんは良く見てるな。感心感心。
「サヨリは見た目の通り細身なので、すぐお腹いっぱいになるんですよ。入江さんみたいにちっちゃい身体でうどん大は食べませんから!」
「ど、どう言う意味よぉ〜!」
顔を赤らめながらお得意のフグポーズで怒りを表現する入江さんは控えめに言って可愛い。
しかし痩せの大食いとは良く言ったものである。
「サヨリは満腹になったら釣れなくなったり、群れごと何処かに行っちゃうんで、薄目の撒き餌を少しずつ撒くのが良い感じです。エビの汁だけでも匂いに釣られて寄って来ますので大丈夫です!」
「りょーかい!いっぱい釣ろー!」
入江さんはアミエビを器用な手付きで渓流鉤に刺していく。
「記念すべき一投目いきます!」
入江さんは撒き餌と共にゆっくりと仕掛けを投入する。
エビの状態が良いので鉤から外れてはいない。
「入江さんすぐにサヨリ寄って来ますから、ウキじゃなくて鉤のついてるエビをよーく見とくんですよ!」
間髪入れずにサヨリの群れが集まってくる。
「あっ!私のエビを食べてる!」
「入江さんアワセ入れて!」
「えっ?ええっ??」
刹那のうちにアミエビだけ食べられ、サヨリは悠々と泳ぎ去って行った。
「こらー!食い逃げ許さんー!!」
餌を取ったサヨリに拳を上げて抗議しても後の祭りである。
「入江さん、サヨリがエビを咥えてモシャモシャ食べてる瞬間がアワセ時ですよ!力一杯竿をしゃくる必要は有りません、軽く立てるくらいで良いです!」
「ん、わかった!湊くんのアドバイスがあれば百人力だよ!」
あらためて撒き餌を撒き仕掛けを投入する。失敗を引き摺らないのはこの子の良いところだな。
上達するにはトライアンドエラーが一番の近道だったりする。
「へい!カモンサヨリ!」
餌に気付いたサヨリが猛然と入江さんの仕掛けに突進して捕食を始めた。
「今だっ!!!」
さっと竿を立ててアワセると、竿先から手元までブルブルとした振動が伝播する。
「掛かった!あわわわわ……」
意外な引きの強さに戸惑いながら釣り上げた魚のフォルムは、鋭く長い下顎、淡い翠色の背に、白銀の腹。正真正銘のサヨリだ。
「湊くん見て〜!自分の竿でサヨリ釣れたよー!」
一人で折った折り紙の鶴を母親に見せにくる子供のように彼女は得意げだ。
「やりましたね!記念すべき最初の一匹です!入江さんもアワセのタイミングが完璧でしたね」
興奮覚めやらぬ入江さんを毎度のことながらスマホで記念撮影。
歓喜に咽ぶ彼女の笑顔はこの上ない癒しだ。
「さぁ入江さん!もう見釣りのコツ覚えましたね?サヨリの群れが散ってしまう前に、手返し良く釣っていきましょう!」
延べ竿の本領発揮はまさに今この時。
フィーバータイムに入ったら、とにかく回転数を上げて釣果を稼ぐ。リールの操作が無い分、圧倒的に早いのだ。
俺も入江さんに負けじと釣果を重ねる。
三十センチクラスも混じり、釣りバカ二人ともに満足出来る結果となった。
「湊くんのおかげで大漁となりました⭐︎」
ハイタッチをキメる俺たち。
サヨリの到来を教えてくれた大坪のおっちゃんにもお礼言うとかんとね。またビールでも差し入れしようか。
「入江さん、流石に今日は野外調理暑いので、ウチで晩ご飯食べて行きませんか?」
「もちろん初めて釣ったサヨリを食べずには帰れませんよねぇ?湊くんおなかすいたー!!」
気がつくとギラギラした太陽は西に傾き、二人の影は伸びきっている。
共に歩む二人の距離は昼間より少し近い。
堤防にはほんの僅かだけ秋めいた浜風がそよいできた。
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