第二話 『噂の底に潜むもの』

 『現実は小説より奇なり』なんて言葉がある。

 だが今の時代は、むしろ物語のほうが現実を侵食しているのかもしれない。

 育孝はスマホ画面を指で滑らせながら、そんなことを思った。


 嘘のように真実めいた話。真実のように作られた嘘。その見極めは容易ではない。

 石か玉か、金剛石か。巧みに磨かれた虚構から真実をすくうのは至難の業だ。

 結局のところ、愚かしいのは騙される側ではなく、常に騙そうとするなにかが潜んでいるせいである。


 怪談というものも、そうして広がってきた面もあるだろう。

 因習に紛れ、童話に混じり、時代を越えて姿を変える。

 大半は根も葉もない作り話にすぎない。

 だがひとたび人々の想像力に火がつけば、途端に現実の影を帯び、伝説へと変貌する。


 ――『ベッドの下の男』。

 誰かの与太話が年月を経て姿を変え、そう呼ばれるようになった都市伝説のひとつだ。



―――



 ある晩、一人暮らしの女性の部屋に友人が泊まりに来た。

 深夜まで語り合い、灯りを落とす。静寂の中で時計の針の音だけが残る。眠りに落ちかけたその時、友人は蒼白な顔で彼女を揺さぶった。


「……喉が渇いた。一緒に外に出よう」


 必死の様子に押され、女性は渋々部屋を出る。

 だが友人が駆け込んだのはコンビニでもカフェでもなく、警察署だった。


「ベッドの下に……誰かがいたんです!」


 警官が部屋を調べたが、何も見つからない。そこに痕跡すらなかった。

 「気のせいだろう」と処理され、事件は終わった。

 その後の危害もなく、事は一見「めでたしめでたし」と幕を下ろしたかに見えた。


 だが噂はそこから歩き出す。

 隠れていたのは元恋人か、ストーカーか、あるいは犯罪者か。

 真相は曖昧なまま、ただひとつだけが共通していた。


 ――ベッドの下には『男』がいた。



―――



 時は移り、東堂探偵事務所。

 現所長・東堂育孝が『ベッドの下の男』と対峙する少し前のことである。


 散らかった室内に、その日は珍しい来客があった。

 繁華街で人気を誇るホステス、須原ユウキ。

 まだ若いが、やり手と評判の女だ。看板写真に映る華やかな姿とは違い、その夜の彼女はドレスも化粧もなく、ただ疲れ切った顔でソファに腰を下ろしていた。


 一緒に来たユウキの姉は最初の挨拶だけで黙り込み、この部屋を一瞥したのち胡散臭げな目で育孝を観察していた。

 無理もない。乱雑な事務所の有様は、依頼人の不安を煽るには十分だった。

 育孝は心の中で反省だけした。


「……信じてしまったんです」


 ユウキの震える声が落ちる。


「彼の話を――『ベッドの下の男』を」


 育孝は黙ってタバコに火をつけた。

 黒猫がテーブルに飛び乗り、金色の瞳でユウキを射抜くように見据える。


「人が信じた時、そこに怪異は喰らいつく。……面倒な依頼だな」


 灰を落とし、時計に目をやる。猫が低く鳴くと、ユウキは怯えるように顔を伏せた。


 やがて育孝は静かに言った。


「……詳しく聞かせてくれ」


 ユウキは口を開き、ぽつりぽつりと言葉をこぼし始めた。

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