第三話 小古根の奇妙な生活

 継人つぐひとさまは、そのあと、二日続けて、府田売ぶためふんした小古根ここねのもとに夜這よばひをした。


 三日目の朝、広間では、祝宴が開かれた。

 祝宴には、府田売ぶために扮した小古根ここねと、府田売ぶための両親───夜木やぎの意弥伎いみき馬麻呂ままろと、狩売かりめが出席した。

 仮面をつけたままの小古根ここねは、継人さまの隣に座った。


「これで、わが娘、府田売ぶためは、継人さまの妻の一人。

 継人さま、夜木やぎ家をどうぞお引き立てください、よしなに、よしなに。」


 餅を食べながら、馬麻呂ままろは上機嫌でブハハと笑った。

 継人さまは愛想よく? 陰険に笑っていた。笑うとなぜか陰険に見える。不思議な人だった。

 小古根ここねは仮面をはずせず、飲食ができない。

 うらめしく、美味しそうな餅を見た。








 小古根ここねは郷の娘として、三日間、継人さまの部屋に行かなかった。

 顔の腫れがひかなかったからだ。

 四日目には、嘘のように綺麗に腫れがひいたので、継人さまの部屋にいくと、


小古根ここね、久しいな。もう来ないかと思っていた。

 来てくれて嬉しいぞ。」


 と、継人さまに笑顔で迎えられた。


「ありがとうございます。所用で、こちらに来れませんでしたが、これから、毎日、お世話させていただきます。」

「うむ。」


(本当は、あのう、昨日も会ってます。あなたがさ寝したのはあたし………。)


 あの腕に抱かれ、あの唇にあられもないところを口づけされ、派手な蛙聲あせいをあげさせられてしまったのだ。

 そう思うと、ぽっ、と頬が色づいてしまう。

 継人さまは、あっさりした態度だ。

 小古根ここねが、府田売ぶための身代わりになっているのだと、気がついていない。







 それから、小古根ここねの奇妙な生活が始まった。

 昼間は、継人さまのお世話をする、郷長の娘として過ごし。夜になると、仮面をつけて、府田売ぶためと入れ替わる。

 府田売ぶためは、


「良くやったわ。お姉さま。

 あのおのこおのこねやに引き込んでるっていうじゃない。罪人の息子で、変態だなんて、相手をしないですんで良かったわあ。

 クズなお姉さまにお似合いかもね。プークスクス、ぶーひっひっひ!」


 と上機嫌で笑った。


「昼間、仮面をつけて生活するのだけが窮屈ね。」


 不満はそこだけのようだった。


 継人さまは、頻繁に夜、府田売ぶため────のふりをした小古根ここねのもとに通うが、昼間は自分の時間を優先し、府田売ぶために会おうとしなかった。

 下半身だけで生きているおのこなのかもしれない。

 府田売ぶためが顔をずっと仮面で隠しているから、昼間会う気が失せたのかもしれない。

 何を考えているかはわからないが、昼間、府田売ぶために会おうとしない態度は、府田売ぶためには好都合に働いた。


おのこを騙すのなんて、ちょろいのよ!」


 なぜか府田売ぶためは、この入れ替わりに自信まんまんだった。小古根ここねからしてみれば、


(バカなの? いつかばれるんじゃないの?)


 とひやひやする。


(……ばれたらどうするつもりなのだろう。)


 小古根ここね大領たいりょうの娘ですから、と言い繕う気なのかもしれない。

 ばれた時にどんな事態になるか。だまされ、虚仮こけにされた継人さまがどんなに怒り狂うか。想像もしたくない……。


「ぶーひっひっひ!」


 上機嫌な府田売ぶための笑い声を聞くたび、小古根ここねは暗い気持ちになった……。



 

     *    *   *




 首名すくなは、主である継人さまに、


府田売ぶためさまと昼間、まったく会おうとなさいませんが、よろしいのでしょうか?」


 ついに数日間気になっていたことを訊ねた。気晴らしの囲碁を首名とさしていた継人さまは、


「ん?」


 棊子きし(碁石)をもて遊びつつ、


「向こうから、昼間も会えと申し入れがあったか?」


 きょとんと首をかしげた。


「いえ……。」

「なら、ほっとけ、ほっとけ。仮面を外そうとしないおみななぞ、昼間会っても気が滅入るだけだわ。

 夜なら良い。首から下はむしゃぶりつきたくなる良い女だからな。

 ねむころに通ってやっておるのだ。馬麻呂ままろ伯父上から文句はでるまい。

 府田売ぶためが昼間も会って欲しいと言ってきたら、考えるさ。」


 そう言い放って、また囲碁に没頭する。

 首名は、


(これで良いのかなあ?)


 そんな言葉が心に浮かぶ。何かが間違ってる気もしないではないが、それ以上、主君に問う言葉も持っていない。






      *    *    *






 郷長の娘として、継人さまに仕える小古根ここねは、継人さまから、


「これを府田売ぶためさまに。」


 と、梓の木の枝に結んだ文を受け取る。

 今夜、夜這ひをしますよ、という意思表示だ。

 小古根ここねは最初、正直に府田売ぶためにその文を届けたが、


「ぶひっ、こういう面倒なのは、お姉さまの仕事よ。」


 と、返事を丸投げされた。

 小古根ここねはそれから、ふみ府田売ぶために届けるのをやめ、自分で文を紐解き、返事を書く。

 さすが奈良の貴族さま。紙に丁寧に書かれた文字、教養あふれる恋文は、小古根ここねをワクワクさせた。

 小古根ここねは、何くわぬ顔をして、自分で書いた文を、


府田売ぶためさまからです。」


 継人さまに渡す。


「ふむ。今回の和歌はほどほどだな。」


 継人は、小古根ここねの前で、和歌の採点をする。性格がひんまがってる男なのであった。

 そして、夜、仮面をつけ府田売ぶためのふりをした小古根ここねのもとに夜這ひし、


「こたびの和歌、恋ひ渡るべし、という表現に、心が踊るようでした。」


 と、調子の良いことをニヤリと陰険に笑って言うのであった。


(ふーんだ。ほどほどだって言ってたくせに。こーの大嘘つきがぁぁ。)


 小古根ここねはそう思いつつ、こくり、と無言でうなずく。どうせ表情は仮面で見えない。小古根ここねは、なるべくボロがでないように、あまり喋らないようにしていた。

 継人さまは、短い言葉のやりとりのあと、仮面をつけたままの小古根ここねとさ寝をする。


「………ひぁっ。」


 継人さまに抱かれるのが、いつしか、待ち遠しくなっている自分に気がつく。

 継人さまは優しく、丁寧で、うまかった。

 汗ばんだ肌をあわせ、かたい腕に爪をたてると、恍惚とした気分になって、意識が朦朧とする場所に連れていかれる。仮面に隠された自分の素顔は、今、どんなみだらな顔をしているだろう………。


「また来ます。」


 継人さまはにっこりと笑って────どこか意地悪そうな笑顔で、満足そうに帰ってゆく。小古根ここねは、くったりと疲れて、寝床ではだかのまま横たわり、それを見送るのが常である。









 しかし、この継人さま。変態だったのである。


「うっふっふ。人麻呂ひとまろ。可愛い声で啼くな。これでどうだ。んん?」

「ああ〜ん、継人さまぁ。」


 継人さまは、よっぽど暇なのだろう。昼間から、お気に入りの寵童ちょうどうとなった人麻呂を閨にひっぱりこんで、あれやこれやをするのである。男同士なのに!


(信じらんない! 府田売ぶためという女がありながら。ん? 府田売ぶため? あたし? ………よくわかんないっ!)


 小古根ここねは、事の最中は外で待機し、事が終わったあと、身体を拭くお湯や布を用意したり、寝床を整えたりする。それも小古根ここねの仕事なのである!!


 一度、夜、府田売ぶためのふりをしている時に、


「継人さまは、おのこ、を寵愛なさっていると噂でききましたが、まさか、真実ではありますまいな?」


 と訊ねてやった。継人さまはぎょっとして、


「んっ?! いやあ、噂でしょう。信じてはいけませんよ。はっはっは………。」


 笑って誤魔化ごまかしていた。


(誤魔化されんわぁぁぁぁ────い!! 知ってるんだからね────!)


 小古根ここねの仮面で隠された顔には、青筋が浮いていたに違いない。


「おいしい干しブドウが食べたい。唐菓子からかし(シナモンひねりドーナツ)が食べたい。次に逢う時に持ってきてください。」

「む? わかった。」






 翌日、継人さまは、小古根ここねに、


「今夜、干しブドウと唐菓子からかしを用意してくれ。府田売ぶためさまに捧げる。」


 と命令する。


「かしこまりました。」


 小古根ここねは何食わぬ顔をしてこたえ、炊屋かしきやに行き、


「継人さまが、干しブドウと唐菓子を所望です。」


 と伝える。そして………。


府田売ぶためさま、お望みの干しブドウと唐菓子ですよ。」


 夜、府田売ぶために扮した小古根ここねは、


「ありがとうございます。」


 と継人さまから受け取るのだ。仮面は外せないので、継人さまが帰ってから、一人で食べる。


「やったー、美味しいー!」


 あむあむ、と干しブドウと唐菓子をほおばり、


「この生活も悪くないわね。」


 にんまりするのであった。














 継人さまは、ひんぱんに海にもぐった。


「あははは! 海で泳ぐのは、楽しいな。このまま漁師として生きていこうかな。

 あはははは!」


 額から海水がこぼれおち、九月の日差しがきらきらと水に光る。


「自由だ!」


 そう無邪気に笑う継人さまは、いつもの陰険さのない笑顔だった。


「ほら、首名すくな、競争だぞ。どちらが多く海藻をとれるか。」

「はい。」


 ざざん、ざざん、と波がよせ、十八歳の男二人が、たぶさき(ふんどし)だけの姿で笑いあい、もぐり、また顔を見せる。


(楽しそう。………いっそのこと、本当に漁師になっちゃえばいいんじゃないですかねー。)


 小古根ここねも、大領の娘から、船木ふなきのさとおさの娘になった時、いろいろ捨てて、楽になった事を思い出す。まず、政略結婚から自由になった事がおおきい。


(そう思っていたのに、また、婚姻の道具として使われるとは思わなかったけど………。)


「あはははは、あはは、ふう、小古根ここね────っ!」


 継人さまが、波間から、浜辺で頬杖をついて座る小古根ここねに、手をぶんぶんふる。


「おまえもはだかになって、一緒に泳ぐか?」

「お・よ・ぎ・ま・せん!」


(この色魔!)











↓ラフ画の仮面

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818792439353308275

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