第二話 訳あり貴族、継人さま

 小古根ここねはお湯と布を用意し、部屋にもどった。

 お身ぬぐいの手伝いをさせられるのかと思ったが、従者、首名すくなが、


「ご苦労。」


 と桶をとって、貴人───継人つぐひとさまの身体をぬぐいはじめた。

 小古根ここねは、乱れたしとねを整える。

 そのあとは、部屋の掃除や、昼餉ひるげの提供。

 継人さまも、時々、


「ご苦労。」


 声をかけてくださった。

 首名すくなと一緒に、木簡を読みふけっている。

 なんだか、拍子抜けするほど、楽なお世話だった。


「あたしは部屋の外に立っていますか?」

「うん? そうだな。好きにしろ。」


 部屋の外にでて、


「だっはー。」


 肩から力がぬける。緊張していたのだ。

 肩をぐりぐり回し、


(変態だけど、なんか普通だ。仕えるのは楽だわ。………これ、何日続くのかな。)


 簀子すのこ(廊下)で壁にもたれかかった。すこし行儀が悪いけどね。

 夕刻、妻戸つまと(扉)が中から開き、首名が顔をだした。


「ご苦労。もう用はない。帰れ。明日、また来るか?」

「はい。お伺いする………と思います。」


 すべては、異母妹、府田売ぶための心ひとつだ。あの子が満足するまで、だ。


「あの、継人さまは、いつまで滞在されるのでしょう?」


 首名がすこし困った顔をして、部屋奥の継人さまを見た。継人さまは自嘲ぎみに笑った。


「くくっ。そうだな………。いつまでかな。決めておらぬ。小古根ここね、何も聞いておらぬのか?」

「はい。」

「くっくっく。私は、奈良にいてはマズイのだ。やれやれ、無知な側仕えは疲れる。首名、簀子すのこで説明してやれ。」

「はい。」


 首名が妻戸を閉め、継人さまの顔は見えなくなった。


「奈良で反乱が起きたのは聞き及んでいないか?」

「存じています。たちばなの奈良麻呂ならまろが首謀者で、恐れ多くも、天皇すめらきさまに反旗をひるがえしたとか。

 乱は制圧されて、年号が、天平てんぴょう勝宝しょうほうから、天平てんぴょう宝字ほうじに代わりました。」

「よろしい。大伴おおともの古麻呂こまろさまの名前は?」

「ええと………。」


 大伴おおともの宿禰すくね古麻呂こまろさまは、安藝あきのくに大領たいりょうの同母妹を妻に迎えた。

 采女うねめとして平城京で働いていたのを、見初みそめられたらしい。

 そして生まれたのが、大伴宿禰継人さま。

 夜木やぎ家の者なら、誰でも知っている。大伴宿禰古麻呂さまは、四位という貴族で、遣唐使にもなった立派なお方、平城京で左大弁さだいべん(エリート官僚)として働いて………。


「大伴古麻呂さまは、大伴宿禰継人さまのお父上であり、宿禰のかばねを剥奪された。

 反乱に与したとされ、断罪され、獄中死した。」

「ひっ!!」


(知らなかった! 郷長の屋敷で暮らして、情報が来なかったんだわ。大領の屋敷で暮らしていれば、きっと知れただろうに。

 七月に起こった反乱は、鎮圧されたあと、大勢が断罪されたときく。処刑されたり、流罪になったり。)


「では、では、継人さまは………。」

「継人さまは、十八歳。正丁せいちょう(21歳。成人男性)ではないので、流罪は免れたが、正丁であったら、流罪は免れなかったであろう。

 今、奈良にいても、良いことは何もない。

 継人さまは、身を潜めに、お母上の生まれ郷、安藝国に来たのだ。

 お父上を亡くされたばかりでご傷心だ。この話は今後、慎むように。」

「わかりました。」

「継人さまは、おまえの働きぶりがお気に召したそうだ。しばらく、お世話に通いなさい。」


 首名は、懐から、綾布の手布をだし、小古根ここねに渡した。


「わあ! ありがとうございます!」


 高級品だ。細かい梅とうぐひすの刺繍がしてある。奈良ならともかく、安藝国では、市場でもお目にかからない。交換したら、かなりの稲束と替えられるはずだ。


(太っ腹だ。継人さまのお世話をするのも、悪くない。)


 小古根ここねが嬉しそうな笑顔になると、首名も満足そうに頷いた。




        *    *    *




 首名すくなが部屋にもどると、主様────継人さまは、格子窓の外を、頬杖をついて、ぼんやりと眺めていた。


「継人さま、おっしゃった通りにしました。」

「うむ。ご苦労。」

「額の傷は痛みますか。」

「大事ない。」

「お気に召した者は、人麻呂と小古根ここねですか。」

「うん。………夜木やぎの娘を、あてがわれると思うか?」

「はい。おそらく。」


 ここ、安藝国あきのくに大領たいりょうには、娘が一人いる。

 名前は府田売ぶため、と聞いているが、あいさつの時には、几帳きちょう(布の仕切り)の後ろにいて、姿を見せていなかった。

 女官たちに聞いたぶんには、美しい方ですわ、と、一律に返事が返ってきたが、どれだけ本当かはわからない。女官は、そう答えるよう、教育されている可能性もあるからだ。


「面倒だな。」


 継人さまが、うんざりしたように言った。

 貴人がひなの国にきたら、つながりを持つために、おみなをあてがわれるのは、普通のこと。


「断ったら?」

「今後、夜木やぎ家とは深く関わらぬという意思表示になりますので、相手に落ち度がないかぎり、断るのは得策ではありません。

 いくら、お母上の生家とはいえ、今後、滞在が窮屈なものになりましょう。いつまでいるか、わかりませんから。」

「そう、か………。すすめられたら、受け入れるしかないな。

 私も今や、罪人の息子だからな。」

「………………。」


 首名は言葉を探し、


大伴おおともの宿禰すくね家は、古くからの名家です。一度の反乱の失敗のみで、没落して良い家ではありません。」


 言い切った。


「ふっ………。ありがとう、首名。おまえがいてくれて良かった。

 ………今は、何も考えたくない気分だな。寝る。」

「はい。」


 頭が切れて、胆力もある、首名の主様。正丁せいちょうとなり、宮仕えをすれば、必ずや出世するだろう、と首名は期待していた。

 だが、大伴おおともの古麻呂こまろさまの失脚で、首名が思い描いていた未来は、白紙となった。

 今、主様は、今後の生き方を、迷っておられる。

 しかたない。

 大伴古麻呂さまは、息子を巻き込まないよう、継人さまには知らせずに、反乱をすすめていたのだ………。

 いきなり父親が断罪され、獄中死し、おのれも額に傷を負った継人さまの心中は、乳兄弟ちのとたる首名であっても、計り知れない。


 首名は静かに、部屋の蝋燭ろうそくを吹き消した。継人さまは寝床に。

 首名はそばの床に敷物をしいて、横になる。




       *    *    *




 小古根ここねは、かつての父、夜木やぎの意弥伎いみき馬麻呂ままろによびだされた。

 馬麻呂ままろの部屋には、府田売ぶためもいた。


「さっそくだが、小古根ここね。奈良からの貴人の夜伽よとぎをせい。」

「えっ!!」


 小古根ここねは青ざめた。


「お姉さまん。あたしも、こんなつもりじゃなかったの。ただ、お世話をしてもらおうと思って、呼んだの。

 でもね、お父さまが、奈良からの貴人には、娘をあてがって、縁を作っておかないと駄目だって言うの。

 だけどぉ、いくら貴族だって言っても、もう、落ち目なの。

 父親が、罪人なのよぉ。もう死んでるの。」

大伴おおともの宿禰すくね家は、古くからの名家だ。多くの武人や、歌人を排出しておる。

 切り捨てるには惜しい。ワシの同母妹が産んだ、甥なのだから。

 そこでだ。おまえを郷長の養女から、ワシの娘に戻す。」

「勝手よ!」


 小古根ここね胡座あぐらをやめて、立ち上がった。


「あたしはもう、船木ふなきのさとで生きています。居場所を奪わないで!」

「これ、実の父親になんて口を………。」

「実の父親だと言うなら、それらしい事をして!

 あたしの味方になってくれた事なんて、ないくせに!

 最後には、あたしを郷長の家の養女にして、捨てたくせに!」

「落ち着きなさい。

 わかった、わかった、では、船木ふなきのさとおさの娘のままでも良い。

 夜伽だけ、しろ。」

「………ひどいわ!!」


 小古根ここねは涙ぐんだ。これが、本当の父親の言葉だろうか?


「お姉様は、府田売ぶためのふりをなさって、あたしの代わりに、夜這よばひを受け入れてくださればいいわ。

 昼間は、小古根ここねに戻っていいわ。」

「馬鹿言わないで!」

「大丈夫。仮面をつけます。あたしも、お姉さまも。

 そうすれば、おのこになんて、わからないわ。」


 府田売ぶためは、近くにいた女官に目配せした。女官は、仮面を持っている。

 伎楽ぎがくの、呉女という名前の、女の仮面だ。

 若く美しい女。


「正気なの? 仮面をつけて、一日過ごすなんて、頭がおかしいって思われるわよ。」

「ふふん。」


 府田売ぶためが手をひとつ、たたいた。

 まわりにいた女官が、よってたかって、小古根ここねをおさえつけ、床に引き倒した。


「いった! 何するの。」

「これから、仮面をつけざるをえない、理由を作りますの。」


 府田売ぶためは、いつの間にか、手に土師器はじきの皿を持っている。皿には、なにかの草がすりおろされ、つんとした匂いを放っていた。府田売ぶためはにんまりと笑って、さじで、すりおろした草をすくいあげた。


「命に別状はありません。

 二、三日、顔が真っ赤になって腫れ上がるだけです。」

「や、やめて。いや、いや────────っ!!」


 府田売ぶため小古根ここねの髪の毛をひっぱっておさえつけ、たっぷりと草を顔にぬった。とたんに、じわっと火に焼かれたような痛みが顔面に走った。


「きゃあああああ!」

「あたしの代わりに、今夜、夜伽なさいませ。逃げたら、あの秘密を暴露するだけではありません。松麻呂、でしたわね、お姉さまのいい人。松麻呂を奴婢ぬひ(奴隷)に落として、国外に売り飛ばします。」

「や、め………、て………。」


 松麻呂とは、まだ深い仲になっていない。

 つまとするかは、決めていない。二十歳まで、結婚する年齢の猶予があるからだ。婚姻するかどうかは、ゆっくり考えようと思っていた。

 いい人、愛している人、とまでは言えない。

 でも、松麻呂に、そんな迷惑をかけられなかった。


(ひどいわ………。いくらあたしが………、きっと、血のつながりがまったくないとはいえ、こんな仕打ち、ひどい。)


 小古根ここねは、顔面の痛みと、絶望からもたらされる痛みで、涙を流した。





        *     *     *




 夜。


 継人は寝ていたのを、使いの女官に起こされた。


夜木やぎの意弥伎いみき馬麻呂ままろさまの郎女いらつめ府田売ぶためさまが、お部屋でお待ちもうしあげております。

 どうか、よしみを結んでくださいませ。」


(ふん、やっぱり来たか。)


ふみのやり取りもまだしておらぬ。性急であろう。」

「雅びな奈良ならともかく、ここは、安藝国でございますれば。

 これは、馬麻呂ままろさまもご承知のことでございます。」

「承った。案内せい。」


 継人は夜着のまま、部屋をでる。うしろには首名が続く。

 郎女の部屋に案内されると、女官はすぐに部屋をでた。むろん、首名は部屋の外でひかえる。

 部屋にはうすく、白檀のお香が焚かれていた。

 寝床には、おみなが座っている。

 なぜか仮面をつけている。


(なんだ。悪趣味な。)


 おみなが無言で立ち上がった。なんと、帯を解いている。さらさらと夜着が肩からすべりおち、女ははだかになった。

 白い肌。つんと前につきでた、たわわな乳房。腰はほそく、尻はまろやかだ。

 充分美しく、継人をそそる。

 だが、性急すぎるし、顔が見えないので、なんとも萎える。


「おいおい、情緒じょうちょはないのか。」

「………………。」


 おみなは無言だ。


「花も恥じらうその顔を、私に見せておくれ。」


 継人がしかたなく、優しく微笑むと、


「顔が醜く、お見せできません。」


 と、か細い声が返ってきた。


「なんの。どのような顔でも受け入れてみせよう。見せておくれ。」


 継人は愛想よく言う。本心だ。愛ではなく、計算と打算のうえで、抱くのだから。

 おみなは立ち尽くす。


(頭が弱いのか。)


 継人がゆっくりした動作で、仮面を外すと、


「うっ!」


 赤く醜くはれあがった顔があらわれた。美女か醜女しこめか。もとの顔がどのようなつくりか、これではわからぬ。


「どうなされた、これは………。」

「生まれつきです。………いやなら、帰って………。」


 継人は、ひとつため息をついて、仮面をもとのようにつけてやった。


「いやではないさ。そなたは、充分、美しい。」


 実際、首から下の皮膚は、白くなめらかで、輝くようだ。継人は、


風雲かぜくもは  二つの岸に


 かよへども 


 づまに 二心ふたごころなし


(風に乗る雲は、二つの岸に通いますが、私の愛しい妻には、二心は持ちません。……私は誠実な男ですよ。)」


 と、おみなを誘う和歌を即興でうたった。


(さあ、これを返せるかな?

 大領たいりょう郎女いらつめなら、これくらい返してくれよ?

 できなければ失望だ。)


 継人はバカなおみなが嫌いである。


「※が心 ゆたにたゆたに 


 浮蓴うきぬはな


 にもおきにも りかつましじ


(あたしの心は、ゆらゆら揺れて、浮かぶぬなは[水草]のように、岸辺にも沖にも寄りつかないでしょう。

 ……あなたに恋するかどうか、心がゆらゆら揺れて、自分でも決めかねているのです。)」


(ほう、教養はある。素晴らしい返歌だ。)


 継人はニンマリ笑った。


「では、よしみを結ばせてもらおう。」


 継人はおもいきって、女をだきあげ、寝床に横たえた。女は抵抗しなかった。

 女の首筋に口づけをすると、


「んっ。」


 女が声をあげ、乳房にふれると、びくっと身体全体が震えた。


(これは清童きよのわらは[初めて]だな。では、優しく。)


 継人はにやりとわらって、ぷりぷりとした乳房を口にふくみ、たっぷりと舌でねぶりはじめた………。

 おみなはなかなか、身体の硬さが抜けなかったが、継人は、この年にして、おのこおみなも経験豊富である。

 丹念たんねんおみなをとろけさせてゆくと、


「………あ! ………あ!」


 おみなは汗ばみ、甘い声をだし、しっとりとおみなの壺を濡れさせた。

 蛙聲あせい嬌声きょうせい)が仮面でくぐもるのは、妙に継人を燃え立たせた。

 事が終わり、女は一筋の血を流した。


(………。)


 継人は、なんとなく、悲しい雰囲気をかんじとり、仮面をそっと外した。

 おみなは無言で泣いていた。





        *    *   *





 府田売ぶための身代わりを強いられた小古根ここねは、自分で夜着の帯をほどいた。

 継人さまを待っている間、逃げ出したい自分を押し留める為である。

 つらいことは、早く終わらせたかった。

 継人さまと無駄な会話をせず、さっさと抱いてほしかった。

 どうせ拒否する自由はないのだ。

 自由がない男女の駆け引きの会話など、苦痛なだけだ。

 こうしておけば、府田売のふりをした小古根ここねが、継人さまの夜這ひを受け入れる意思があると、見るだけでわかってもらえるはずだ。

 あらかじめほどいておいたのは、継人さまを目の前にして、帯をほどく勇気も、でないだろうと予想がついたからだ。


 小古根ここねは、事が終わり、


(愛してるわけでない。愛されてるわけでもない。府田売ぶためとして、さ寝することになるなんて………。

 優しく抱いてもらったけど、悲しい。)


 悲しくて、涙がとめどなく流れた。

 けどられないように、声を押し殺し、静かに泣いていたのだが、仮面をふいにはずされた。

 小古根ここねは目をそらす。


「泣いてるのか。………すまない。」


 継人さまは、小古根ここねの涙を、なるべく肌の腫れた部分に触れないよう、細心の注意をはらいながらぬぐい、真剣に同情する眼差しで小古根ここねを見た。


「口づけしていいか。」


 小古根ここねが、駄目とも、いいとも言えずにいると、ふわりと優しい口づけが、唇におとずれた。


 嫌じゃなかった。


 継人さまは、仮面をつけなおしてくれた。


「もう、勝手に、顔を見ない。許してくれ。」

「………はい。」


 小古根ここねはぼんやりと返事しながら、


(この人は、きっと、優しい人だわ。)


 そう思った。





       *    *    *





※万葉集 作者不詳

《参考》 万葉集 岩波書店




【橘奈良麻呂の乱】


 757年、右大弁であったたちばなの奈良麻呂ならまろが、大伴古麻呂、佐伯氏などと結び、藤原仲麻呂を除き、藤原仲麻呂の傀儡かいらいであった皇太子、大炊王おおいのおおきみを廃し、黄文王きぶみのおおきみを立てようとしたが、密告により計画は失敗。

 道祖王、黄文王、大伴古麻呂は拷問により獄死。

 大勢が流罪などの罪にとわれた。




※《参考》『地図でスッと頭に入る飛鳥・奈良時代』  川上哲也  昭文社





↓挿絵です。https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/822139838975696140


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