第二話 訳あり貴族、継人さま
お身ぬぐいの手伝いをさせられるのかと思ったが、従者、
「ご苦労。」
と桶をとって、貴人───
そのあとは、部屋の掃除や、
継人さまも、時々、
「ご苦労。」
声をかけてくださった。
なんだか、拍子抜けするほど、楽なお世話だった。
「あたしは部屋の外に立っていますか?」
「うん? そうだな。好きにしろ。」
部屋の外にでて、
「だっはー。」
肩から力がぬける。緊張していたのだ。
肩をぐりぐり回し、
(変態だけど、なんか普通だ。仕えるのは楽だわ。………これ、何日続くのかな。)
夕刻、
「ご苦労。もう用はない。帰れ。明日、また来るか?」
「はい。お伺いする………と思います。」
すべては、異母妹、
「あの、継人さまは、いつまで滞在されるのでしょう?」
首名がすこし困った顔をして、部屋奥の継人さまを見た。継人さまは自嘲ぎみに笑った。
「くくっ。そうだな………。いつまでかな。決めておらぬ。
「はい。」
「くっくっく。私は、奈良にいてはマズイのだ。やれやれ、無知な側仕えは疲れる。首名、
「はい。」
首名が妻戸を閉め、継人さまの顔は見えなくなった。
「奈良で反乱が起きたのは聞き及んでいないか?」
「存じています。
乱は制圧されて、年号が、
「よろしい。
「ええと………。」
そして生まれたのが、大伴宿禰継人さま。
「大伴古麻呂さまは、大伴宿禰継人さまのお父上であり、宿禰の
反乱に与したとされ、断罪され、獄中死した。」
「ひっ!!」
(知らなかった! 郷長の屋敷で暮らして、情報が来なかったんだわ。大領の屋敷で暮らしていれば、きっと知れただろうに。
七月に起こった反乱は、鎮圧されたあと、大勢が断罪されたときく。処刑されたり、流罪になったり。)
「では、では、継人さまは………。」
「継人さまは、十八歳。
今、奈良にいても、良いことは何もない。
継人さまは、身を潜めに、お母上の生まれ郷、安藝国に来たのだ。
お父上を亡くされたばかりでご傷心だ。この話は今後、慎むように。」
「わかりました。」
「継人さまは、おまえの働きぶりがお気に召したそうだ。しばらく、お世話に通いなさい。」
首名は、懐から、綾布の手布をだし、
「わあ! ありがとうございます!」
高級品だ。細かい梅と
(太っ腹だ。継人さまのお世話をするのも、悪くない。)
* * *
「継人さま、おっしゃった通りにしました。」
「うむ。ご苦労。」
「額の傷は痛みますか。」
「大事ない。」
「お気に召した者は、人麻呂と
「うん。………
「はい。おそらく。」
ここ、
名前は
女官たちに聞いたぶんには、美しい方ですわ、と、一律に返事が返ってきたが、どれだけ本当かはわからない。女官は、そう答えるよう、教育されている可能性もあるからだ。
「面倒だな。」
継人さまが、うんざりしたように言った。
貴人が
「断ったら?」
「今後、
いくら、お母上の生家とはいえ、今後、滞在が窮屈なものになりましょう。いつまでいるか、わかりませんから。」
「そう、か………。すすめられたら、受け入れるしかないな。
私も今や、罪人の息子だからな。」
「………………。」
首名は言葉を探し、
「
言い切った。
「ふっ………。ありがとう、首名。おまえがいてくれて良かった。
………今は、何も考えたくない気分だな。寝る。」
「はい。」
頭が切れて、胆力もある、首名の主様。
だが、
今、主様は、今後の生き方を、迷っておられる。
しかたない。
大伴古麻呂さまは、息子を巻き込まないよう、継人さまには知らせずに、反乱をすすめていたのだ………。
いきなり父親が断罪され、獄中死し、おのれも額に傷を負った継人さまの心中は、
首名は静かに、部屋の
首名はそばの床に敷物をしいて、横になる。
* * *
「さっそくだが、
「えっ!!」
「お姉さまん。あたしも、こんなつもりじゃなかったの。ただ、お世話をしてもらおうと思って、呼んだの。
でもね、お父さまが、奈良からの貴人には、娘をあてがって、縁を作っておかないと駄目だって言うの。
だけどぉ、いくら貴族だって言っても、もう、落ち目なの。
父親が、罪人なのよぉ。もう死んでるの。」
「
切り捨てるには惜しい。ワシの同母妹が産んだ、甥なのだから。
そこでだ。おまえを郷長の養女から、ワシの娘に戻す。」
「勝手よ!」
「あたしはもう、
「これ、実の父親になんて口を………。」
「実の父親だと言うなら、それらしい事をして!
あたしの味方になってくれた事なんて、ないくせに!
最後には、あたしを郷長の家の養女にして、捨てたくせに!」
「落ち着きなさい。
わかった、わかった、では、
夜伽だけ、しろ。」
「………ひどいわ!!」
「お姉様は、
昼間は、
「馬鹿言わないで!」
「大丈夫。仮面をつけます。あたしも、お姉さまも。
そうすれば、
若く美しい女。
「正気なの? 仮面をつけて、一日過ごすなんて、頭がおかしいって思われるわよ。」
「ふふん。」
まわりにいた女官が、よってたかって、
「いった! 何するの。」
「これから、仮面をつけざるをえない、理由を作りますの。」
「命に別状はありません。
二、三日、顔が真っ赤になって腫れ上がるだけです。」
「や、やめて。いや、いや────────っ!!」
「きゃあああああ!」
「あたしの代わりに、今夜、夜伽なさいませ。逃げたら、あの秘密を暴露するだけではありません。松麻呂、でしたわね、お姉さまのいい人。松麻呂を
「や、め………、て………。」
松麻呂とは、まだ深い仲になっていない。
いい人、愛している人、とまでは言えない。
でも、松麻呂に、そんな迷惑をかけられなかった。
(ひどいわ………。いくらあたしが………、きっと、血のつながりがまったくないとはいえ、こんな仕打ち、ひどい。)
* * *
夜。
継人は寝ていたのを、使いの女官に起こされた。
「
どうか、よしみを結んでくださいませ。」
(ふん、やっぱり来たか。)
「
「雅びな奈良ならともかく、ここは、安藝国でございますれば。
これは、
「承った。案内せい。」
継人は夜着のまま、部屋をでる。うしろには首名が続く。
郎女の部屋に案内されると、女官はすぐに部屋をでた。むろん、首名は部屋の外でひかえる。
部屋にはうすく、白檀のお香が焚かれていた。
寝床には、
なぜか仮面をつけている。
(なんだ。悪趣味な。)
白い肌。つんと前につきでた、たわわな乳房。腰はほそく、尻はまろやかだ。
充分美しく、継人をそそる。
だが、性急すぎるし、顔が見えないので、なんとも萎える。
「おいおい、
「………………。」
「花も恥じらうその顔を、私に見せておくれ。」
継人がしかたなく、優しく微笑むと、
「顔が醜く、お見せできません。」
と、か細い声が返ってきた。
「なんの。どのような顔でも受け入れてみせよう。見せておくれ。」
継人は愛想よく言う。本心だ。愛ではなく、計算と打算のうえで、抱くのだから。
(頭が弱いのか。)
継人がゆっくりした動作で、仮面を外すと、
「うっ!」
赤く醜くはれあがった顔があらわれた。美女か
「どうなされた、これは………。」
「生まれつきです。………いやなら、帰って………。」
継人は、ひとつため息をついて、仮面をもとのようにつけてやった。
「いやではないさ。そなたは、充分、美しい。」
実際、首から下の皮膚は、白くなめらかで、輝くようだ。継人は、
「
(風に乗る雲は、二つの岸に通いますが、私の愛しい妻には、二心は持ちません。……私は誠実な男ですよ。)」
と、
(さあ、これを返せるかな?
できなければ失望だ。)
継人はバカな
「※
(あたしの心は、ゆらゆら揺れて、浮かぶ
……あなたに恋するかどうか、心がゆらゆら揺れて、自分でも決めかねているのです。)」
(ほう、教養はある。素晴らしい返歌だ。)
継人はニンマリ笑った。
「では、よしみを結ばせてもらおう。」
継人はおもいきって、女をだきあげ、寝床に横たえた。女は抵抗しなかった。
女の首筋に口づけをすると、
「んっ。」
女が声をあげ、乳房にふれると、びくっと身体全体が震えた。
(これは
継人はにやりとわらって、ぷりぷりとした乳房を口にふくみ、たっぷりと舌でねぶりはじめた………。
「………あ! ………あ!」
事が終わり、女は一筋の血を流した。
(………。)
継人は、なんとなく、悲しい雰囲気をかんじとり、仮面をそっと外した。
* * *
継人さまを待っている間、逃げ出したい自分を押し留める為である。
つらいことは、早く終わらせたかった。
継人さまと無駄な会話をせず、さっさと抱いてほしかった。
どうせ拒否する自由はないのだ。
自由がない男女の駆け引きの会話など、苦痛なだけだ。
こうしておけば、府田売のふりをした
あらかじめほどいておいたのは、継人さまを目の前にして、帯をほどく勇気も、でないだろうと予想がついたからだ。
(愛してるわけでない。愛されてるわけでもない。
優しく抱いてもらったけど、悲しい。)
悲しくて、涙がとめどなく流れた。
けどられないように、声を押し殺し、静かに泣いていたのだが、仮面をふいにはずされた。
「泣いてるのか。………すまない。」
継人さまは、
「口づけしていいか。」
嫌じゃなかった。
継人さまは、仮面をつけなおしてくれた。
「もう、勝手に、顔を見ない。許してくれ。」
「………はい。」
(この人は、きっと、優しい人だわ。)
そう思った。
* * *
※万葉集 作者不詳
《参考》 万葉集 岩波書店
【橘奈良麻呂の乱】
757年、右大弁であった
道祖王、黄文王、大伴古麻呂は拷問により獄死。
大勢が流罪などの罪にとわれた。
※《参考》『地図でスッと頭に入る飛鳥・奈良時代』 川上哲也 昭文社
↓挿絵です。https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/822139838975696140
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます