第四話 どんどん堕ちてゆく気がしています

 大領たいりょうの屋敷に、船木ふなきのさとおさ───小古根ここねの養父、太田おおたのしびからの使いがきた。

 使いは、白髪、白い長い髭をたくわえた、一見、唐にいるという仙人のようである。


香賜かたぶじゃないの?!」


 船木ふなきのさとに置いてきた、小古根ここねの付き人のおきなである。

 もともと、小古根ここね黄泉よみわたりした母親に仕えていたおのこで、小古根ここねに文字の書き方や、和歌を教えてくれたのは、香賜かたぶであった。


「どうしてここに?」

「郷長さまの言付ことづけですじゃ。

 いつまでも娘が帰ってこないが、元気でいるか心配じゃ、と。」

「お父さま……。」


 小古根ここねは胸が熱くなり、目がうるんだ。


郎女いらつめ(お嬢さま)はまだ、船木ふなきのさとにお帰りあそばされないのですか?」


(帰れるものなら、帰りたい。

 でも、身代わりの妻の役目を放り出して逃げたら、府田売ぶためは怒り狂って何をするかわからない。)


「まだ帰れないわ。

 今、奈良からの貴人が大領の屋敷に来てるの。あたし、その貴人のお世話係をしているの。」

「お、お世話係。よ、よもや……。」


 老人の白髭が、ふるふると震えた。

 小古根ここねの貞操を心配しているのだろう。


「大丈夫、掃除や食事のお世話だけよ。ほかは、なんにもないの。安心して。」


小古根ここねとしてはね……。)


「そうですか。わかりました。」


 翁はほっとした顔をした。


「そうそう、松麻呂から、どうしても、と言付けを預かっておりまする。

 帰りを待ってる、歌垣の約束を忘れないで、ですじゃ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、郎女いらつめすみにおけませんな。」

「やだっ、香賜かたぶったら!

 松麻呂も松麻呂よ、香賜かたぶに言付けを頼むなんて。ふみにしてくれれば……。」


 小古根ここねは赤くなった。


「仕方ないのですじゃ。郷人さとびとは、普通は読み書きできませんのじゃ。」

「わかってるわ。」

郎女いらつめが心配ですじゃ。ワシも大領の屋敷に滞在させてもらいましょう。」

「えっ、あたしに、人を増やす権限はないのよ。」

「下人の部屋にでも置いてもらいますじゃ。」

香賜かたぶ……。ありがとう。」





       






 夜。


 小古根ここねは湯船で身を清め、白絹の夜着に着替え、仮面をつけ、小古根ここねではなく、府田売ぶためになる。


「もう幾晩も通っているのに、いっこうに打ち解けてくださいませんな?」


 小古根ここねは、継人さまの言葉に、わずかに首を傾げただけで、返事をしない。


「ふぅ。」


 継人さまはため息をついたあと、気持ちを入れ替えたかのように笑顔になる。


「仲良くなりましょう。せっかく夫婦めおととなったのです。

 そうですね、たとえば、府田売ぶための夢はなんですか?」

「夢……。」


 すこし気持ちが動いた。


「私は、父より出世することです。

 私は犯罪者の息子だ。このまま何もしなければ、大伴おおともの宿禰すくね家という名家が落ちぶれていくばかり。だから……。」


 継人さまは、遠い目をした。


「だから、頑張らねば、と思っているんですよ。」


 継人さまは、苦笑した。頑張らねば、という言葉は、自分にむけて励まして言っている言葉に聞こえた。


「さ、あなたの夢は? 声をきかせてください。」

「たいした夢ではありません……。」


 小古根ここねはわざと、か細い声をだす。


「ただ、平和に幸せに、何事なにごともなく暮らしたい。それだけです。」

「ふふ、良い答えだ。あなたのことがすこしわかった気がする。良い夜だ……。」


 継人さまがにじり寄ってきた。

 寝床に座る小古根ここねは、逃げず、継人さまが伸ばしてきた腕に抱かれる。


「あなたはまったく、おしゃべりが好きでないと見える。」


 継人さまが、小古根ここねの夜着をほどく。


「謎めいた人だ。それでいて、身体は熱い。」


 継人さまの手が、つう、と小古根ここねのみぞおち、腹に触れる。


「あっ。」

「私は、あなたとの夜が待ち遠しいですよ……。」

「………。」


 寝床のうえで大きく足を開かされ、とめどない快楽を与えられ、


「あぅあ、あっ、あっ、あっ……。」


 抑えようのない蛙聲あせいが、仮面のしたの口から漏れ出る。

 継人さまは、汗をかきながら、ぺろりと自分の唇をなめ、


「あなたも同じだといいんですがね。」


 ニヤリと笑いながら、小古根ここねを見下ろす。

 その時には、恐るべきたくみな腰づかいで、


「ひぁあ……………。」


 小古根ここねは身体がすっかりとろけ、口もとはだらしなく笑い、身をくねらせ、もうぼんやりとしか思考ができなくなっている。


(ああ、いい。もっと……。欲しい。続けて……。)


 心のなかでそんなおねだりを継人さまにしてるのだが、絶対に口にできない。

 でもきっと、この人には小古根ここねの思いが透けて見えてしまっているのだろう。

 継人さまは小古根ここねが満足するまで、小古根ここねの首から下を可愛がってくれるのだから……。










 昼間、郷長の娘の姿の小古根ここねは、しれっとした顔で、


「継人さまは、府田売さまを愛しておいでなんですか?」


 継人さまに、そんな質問を投げかけてみる。


「うん? 多分な。」


 非常に軽い答えが返ってきた。小古根ここねはじとっとした目で継人さまを見る。

 継人さまが顔をしかめる。


「なんだ。これは家の結びつきの話。愛とか恋とかどうでもいい。府田売とは、夫婦めおとでいること自体が重要である。」

おみなは、そんなことは求めてないと思いますけど……。

 ちゃんと愛されて、妻になりたいです。」

「ふーん。」


 床をほうきで掃除していた小古根ここねの前に、いきなり、継人さまの顔がせまった。ニヤニヤと笑っている。


「わっ。」

「きっと、府田売は満足してるはずだ。私はその自信があるぞ。小古根ここねも試してみるか? 私の子種が欲しいか?」

「欲ーしくないわぁ───!!」


 小古根ここねほうきで、ばすっと貴人の顔を殴った。


「ばふっ!」

「継人さまー! 小古根ここね、無礼だそ!」


 従者、首名すくなが青い顔で飛んできた。


(やりすぎたかも?!)


「申し訳ありません。」

「……くく、良いわ。」


 顔のホコリをはらい落としながら、継人さまは憮然ぶぜんとした顔だ。ぎろっ、と小古根ここねを見た。


(うっ、怒ってる。)


 継人さまはおもむろに唐櫃からひつ(収納ボックス)のふたをあけ、


「これも、これも、これも。」


 衣を抱えきれないほど、いくつも取り出し、


小古根ここね、ほつれてる部分を全部繕っておけ。今日中だ!」


 陰険な雰囲気を振りまきながら、命令した。あきらかに、嫌がらせだ。


(多い!)


 小古根ここねは涙目になって、むすっとむくれた。


「わかりました!」


 そのあと、小古根ここねは自室に帰って、ちくちくちくちく、ひたすら縫い物を続けた。


(おーのーれぇー……。)








 その夜。


 なんとか繕いものを終わらせた小古根ここねは、府田売のふりをし、寝床で継人さまに意地悪をした。

 無言であちこち、継人さまの皮膚をつねってやったのである。


「あいっ、痛、どうしたのですか、府田売。」

「…………。」


 小古根ここねは喋らない。無言で、ぎゅむ、ぎゅむ、と背中や腕をつねりあげる。


「痛た、降参です。」

「ふん!」


 しゃべるつもりはなかったのだが、愉快でつい、笑った拍子に、声が漏れてしまったのだった。













 翌日。

 小古根ここねは、府田売ぶために呼び出される。


「ねぇ、どうなのー、継人さまは?」

「昨日も夜這ひなさいました。

 愛しています、謎めいた人とおっしゃいました。」

「あははは、なーにそれ! やだ、うけるぅ。ぶっひっひ。」

「………。」


(言いたくないわ。

 継人さまとのねや睦言むつごとを、このおみなに。)


 小古根ここねは力なくうなだれる。


「お姉さまがいてくださって、助かりましたわぁん。罪人の息子の妻なんて、ごめんですもの。

 おかげであたしは、もっと条件のいい男を、いつか捕まえられますわ。

 あたしの! この色気で! ぶーひっひっひ!」

「ねえ、いつまでこれを続けるの? あたしを郷長の屋敷に返してくれないの? もうずいぶん、留守にしてるわ。」

「ぶーひっひ! まだ、駄目よ。だって、あの貴人が屋敷に居座ってるんですもの。あたしのせいじゃないわ。あの貴人のせいよ。」


 小古根ここねは暗い顔をした。

 できることなら、今すぐ、船木ふなきのさとに逃げていきたかった。

 そうでないと……。

 小古根ここねは取り返しのつかないところまで、自分がズブズブと落ちていくようで、怖かった。

 継人さまのしとねは、刺激的で甘く、くせになってしまいそうだから……。



 








↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/822139838977929546

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