第35話:プロテスト
真壁さんにプロ入りを勧められてから、一ヶ月後。
俺はK-STORMが主催するプロテストの会場にいた。
体育館にはプロを目指す男たちの、汗と熱気が充満している。
「悠、いよいよだな。本当に、ここまで来ちまったんだな」
パイプ椅子に座る俺の隣で、ユウトが自分のことのように緊張していた。
セコンドライセンスを取得した彼は、今日俺のサポートとしてついてきてくれている。
「筆記試験と体力測定は、まあお前なら問題ないだろうけど……問題はスパーリングだ」
「分かってるよ」
プロテストの最終関門は、プロライセンスを持つ試験官との二分二ラウンドのスパーリング。
ここでプロとして通用する技術と精神力があるかを見極められる。
「いいか、悠」
俺の前に立った真壁さんが、低い、だがどこか楽しそうな声で言った。
「下手に手加減とか考えるな。お前の『本能』はそんな器用なもんじゃねえ。相手が本気で来るなら、お前も本気で応えろ。遠慮はいらん。むしろ、倒しちまっていいぞ。お前が本物だってことを、あいつらに見せつけてやれ」
その言葉は俺の心に深く響いた。
そうだ。
俺は俺のやり方で、目の前の壁を越えるだけだ。
◇
筆記試験は開始五分で終わった。
懸垂や反復横跳びといった体力測定も、他の受験者たちが悲鳴を上げる中、俺は涼しい顔で全ての基準値を軽々とクリアしていく。
その様子に、試験官たちが「なんだ、あいつは……」とざわめいているのが分かった。
そしてついに最後のスパーリング審査が始まった。
「――受験番号七番、春海悠。前へ」
俺の名前が呼ばれ、リングに上がる。
向かい側には今日の試験官を務める、百戦錬磨のベテランプロ選手が立っていた。
その目は明らかに俺を試すような、鋭い光を宿している。
「君が、あの動画の……。噂は聞いているよ。お手並み拝見とさせてもらおうか」
ゴングが鳴る。
試験官はガードを固め、じりじりとプレッシャーをかけてきた。
速いジャブ。重いローキック。
プロの本物の攻撃。
(……面白い)
俺はその全てを、最小限の動きで見切っていく。
攻撃が当たらないことに、試験官の顔に徐々に焦りの色が浮かび始めた。
プライドを傷つけられたのだろう。
彼が本気の一撃を放ってきた。
顎を打ち抜くための、完璧なタイミングの右ストレート。
(――来る)
真壁さんの言葉が、脳裏をよぎる。
『本気で来るなら、お前も本気で応えろ』
俺はそのストレートを、ダッキングで潜り抜けた。
そして立ち上がり様、がら空きになった相手のボディに、カウンターの左フックを叩き込む。
無意識だった。
俺の『本能』が、そうしろと叫んでいた。
「――ぐっ……!?」
鈍い音と共に、試験官の体が「く」の字に折れ曲がる。
一瞬、時が止まった。
次の瞬間、ベテラン試験官の体はゆっくりと、マットに崩れ落ちていた。
ピクリとも動かない。
レバーブロー。
完璧に急所を捉えた、一撃必殺のカウンターだった。
◇
しんと静まり返る、体育館。
受験者も他の試験官たちも、今起こったことが信じられずに、ただ呆然とリングを見つめている。
プロテストのスパーリングで、受験者が試験官をKOするなんて、前代未聞の出来事だった。
「あ……」
俺は自分の拳を見下ろして、呆然と呟いた。
「……すみません。つい……」
その時、沈黙を破って一人の男が立ち上がった。
真壁さんだった。
彼は満足そうに、獰猛な笑みを浮かべながら、他の試験官たちに向かって言った。
「――審査は終わりだ。これ以上、見る必要があるか?」
その言葉に誰も反論できなかった。
◇
数時間後。
体育館のロビーは、合否発表を待つ受験者たちの、期待と不安が入り混じった異様な熱気に包まれていた。
「なあ、悠。本当に大丈夫なのか……? いくらなんでも、やりすぎだろ……」
ユウトが青い顔で俺に尋ねる。
周りの受験者たちも、俺のことを遠巻きにしながら、ヒソヒソと噂話をしていた。
「おい、見たかよ、あの七番……」
「ああ、試験官をガチでKOしやがった……。レベルが違いすぎるだろ……」
「だよな。俺たちと同じプロテスト受けてる人間じゃねえよ、あれは……」
そんな空気の中、一枚の紙が壁に張り出された。
人垣をかき分け、ユウトがその紙を確認しに行き、すぐに血相を変えて戻ってくる。
「――あった! 悠、お前の番号あったぞ!」
その言葉に、周りの受験者たちは、もはや驚きもせず、ただ「だよな」「当たり前だろ」と、乾いた笑いとため息を漏らした。
俺は、ただ静かに頷いた。
◇
その日の夕方。
格闘技好きが集まるとあるネット掲示板に一本の動画が投稿された。
投稿したのは今日同じプロテストを受けていた、一人の受験者だった。
タイトルは『【閲覧注意】今日のK-STORMプロテスト、ガチでヤバい奴がいた』。
動画は瞬く間に拡散された。
それは通り魔事件の時のような、世間一般を巻き込む騒ぎにはならなかった。
だが格闘技という、狭くそして熱狂的なコミュニティの中だけで、爆発的に燃え上がった。
『プロテストで試験官をKO!? やばすぎだろwww』
『ん? この七番のやつ、どっかで見たことあるような……』
『!!!!!!! こいつ、あの通り魔動画のヒーローじゃねえか!?』
『マジだ! 顔見比べたら完全に一致! 通り魔の時の動きもヤバかったけど、やっぱ本物だったんだな!』
『本物だったも何も、このカウンター見てみろよ。プロでも貰ったら立てねえぞ!』
『身体能力だけじゃない。相手の動きを完璧に読んでる。とんでもない怪物が現れたぞ!』
俺の名前はデビュー戦を待たずして業界内で一気に知れ渡ることになる。
そしてその噂は一人の男の耳にも届いていた。
ベテランランカー”クラッシャー”坂崎猛。
彼はその動画を見て不敵な笑みを浮かべていた。
「面白いガキじゃねえか。話題性は十分。俺がプロの厳しさを教えてやる。こいつのデビュー戦の相手、俺にやらせろ」
最高の「噛ませ犬」を見つけたと獰猛な笑みを浮かべる。
俺の嵐のようなデビュー戦の舞台はこうして整えられていった。
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