第36話:嵐の前のマッチメイク

 プロテストで試験官をKOしてしまった、という前代未聞の事件から数日後。

 俺とユウトは、真壁さんのいるキックボクシングジムで軽いトレーニングをこなしていた。


「おい、春海! 見たぞ、動画! お前、とんでもねえことしやがったな!」


 ミットを持つ俺の横で、ジムの先輩の一人が興奮を隠しきれない様子で話しかけてきた。ユウトはと言えば、数日経った今でもあの日の衝撃が忘れられないのか、隣で「なあ悠……もうお前、俺たちと同じ世界の人間じゃないみたいだな……」と、遠い目をして呟いていた。

 俺だって好きでやったわけじゃない。

 体が勝手に反応してしまっただけだ。


「気にするなと言ったはずだ」


 リングサイドで腕を組みながら、真壁さんが低い声で言った。

 その顔は怒っているどころか、むしろ満足げだ。


「あれで良かったんだ。中途半端に技術を見せるより、お前がどれだけ規格外の『怪物』か連中に分からせるには最高の挨拶代わりになった。おかげで、面白いことになってるぞ」


「面白いこと、ですか?」


「ああ。お前のプロテストの動画、もう見たか?」


 真壁さんに言われ、俺はユウトのスマホを借りてネットを開いた。

 格闘技専門の動画サイトを開くと、トップページに見慣れた自分の姿が映し出されていた。

 タイトルには、『【放送事故】プロテストで試験官が失神KO!? 謎の高校生、その正体とは』と、かなり扇情的な文字が並んでいる。

 再生回数はすでに数十万回を超えていた。


 コメント欄には格闘技ファンたちの、熱狂的な書き込みが殺到している。


『なんだこの新人!? 試験官ワンパンKOとかやばすぎだろwww』

『ん? この高校生の顔、どっかで見たことあるような……気のせいか?』

『!!!!!!! 待て、こいつ、春休みにバズったあの通り魔動画のヒーローじゃないか!?』

『マジだ! 見比べてみたら完全に一致! あの時の動きもヤバかったけど、やっぱり本物だったんだな!』

『本物だったも何も、このカウンター見てみろよ。プロでも貰ったら立てねえぞ!』

『身体能力だけじゃない。相手の動きを完璧に読んでる。とんでもない怪物が現れたぞ!』

『デビュー戦はいつだ!? 絶対に見に行く!』


 通り魔事件の時とは、明らかに熱の種類が違っていた。

 これはヒーローへの賞賛ではない。

 未知の強者に対する、純粋な好奇心と期待。

 俺の名前はデビュー戦を待たずして、業界内で一気に知れ渡ることになったのだ。



 その頃。

 とある別のジムでは一人の男が、その動画を見て不敵な笑みを浮かべていた。

 K-STORMミドル級ランキング8位、”クラッシャー”坂崎猛。

 プロ戦績二十戦以上を誇る、叩き上げのベテランファイターだ。


「おい、見たかこの動画。例の高校生(ガキ)だ」


 坂崎の隣で、トレーナーが呆れたように言った。


「見ましたよ。とんでもないですね、本当に……」


「ハッ、見ろよこの細い身体。まぐれ当たりだろ。試験官もどうせ油断してただけだ。だが……」


 坂崎はニヤリと口の端を吊り上げた。


「こいつ、話題性は抜群じゃねえか」


 彼はここ数年、勝ち星から遠ざかっていた。

 ランキングも下がり、かつての勢いは失われつつある。

 もう一度トップ戦線に返り咲くための、起爆剤が欲しかった。


「おい、会長に連絡しろ」


 坂崎はトレーナーに顎をしゃくった。


「このガキのデビュー戦の相手、俺がやってやるってな。話題性抜群で美味しい相手だ。世間が注目するこの舞台で、俺がプロの厳しさを教えてやる。こいつをリングに沈めて、俺はもう一度タイトルマッチの舞台に戻るんだよ」


 彼の目には俺が、自分の名声を上げるための都合のいい踏み台にしか映っていなかった。



 数週間後。

 ジムで練習を終えた俺の元に、真壁さんがやってきた。

 その顔は獰猛な笑みを浮かべていた。


「悠。デビュー戦の相手が、決まったぞ」


「……本当ですか」


「ああ。向こうから是非やらせてくれ、とな。お前のことを随分と舐めてくれてるらしい」


 真壁さんが一枚のポスターを見せてくれた。

 そこには俺と、そしていかつい顔をした坂崎選手の写真が大きく印刷されている。

 キャッチコピーは、『伝説の始まりか、それとも、残酷な現実か』。


「相手はK-STORMミドル級ランキング8位、”クラッシャー”坂崎猛だ。タフでパンチが重い。お前とは正反対のタイプだな」


「……へえ」


 俺はポスターに映る坂崎選手の、自信に満ちた顔をじっと見つめた。

 相手は格も実績も上だ。むしろ歓迎だ。


「面白そうですね」


 俺のたった一言の感想。

 それを聞いて真壁さんは、満足そうに頷いた。


「だろうな。お前ならそう言うと思ったよ」


 嵐のようなデビュー戦の舞台は、こうして整えられていった。

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