第22話:中心を射抜く剣

 市の交流戦当日。

 俺は市川や道場の仲間たちと共に、地域の体育館に設けられた試合会場にいた。

 独特の緊張感が漂う中、他の道場や学校の選手たちが、ウォーミングアップで竹刀を振る音が響いている。


「春海、緊張してるか?」


「いや別に。いつも通りだよ」


 観客席から声をかけてきたユウトに、俺は軽く手を振って答えた。

 初めての試合。初めての防具。

 だけど、心は不思議と落ち着いていた。

 やることは、あの日の道場と同じ。

 相手の中心を見て、動いた瞬間に前に出るだけだ。


「春海くん、次、赤コートだ。準備してくれ」


 市川に呼ばれ、俺は頷くと面をつけた。

 視界が狭まり、自分の呼吸の音だけが大きく聞こえる。

 この感覚、嫌いじゃない。



「一回戦、はじめ!」


 審判の声と共に、初戦が始まった。

 相手は、俺よりも少しだけ背の高い選手。

 開始直後から、鋭い気合と共に、激しく攻め立ててきた。


「メーン!」「コテー!」


 竹刀が風を切る音。

 俺は無理に打ち合わない。

 最小限の動きで相手の打突をさばきながら、じっと観察を続けていた。

 相手の動き、呼吸、そして踏み込みの癖。

 攻めが激しくなればなるほど、その癖は、分かりやすく現れる。


(大振りだ……。打ち終わった後、必ず一瞬だけ、中心ががら空きになる)


 相手が、勝負を決めるつもりなのだろう。

 今までで一番大きな踏み込みで、面を打ち込んできた。

 俺は、その竹刀を紙一重で受け流すと同時に、半歩だけ後ろに下がる。

 相手は打ち抜いた勢いのまま、体勢を崩して俺の目の前を通り過ぎる。

 がら空きの、背中。


(もらった)


 俺は、振り返り様に、最短距離で竹刀を振り下ろした。


「メーン!」


 スパーン! と、乾いた音が響き渡る。

 完璧な、引き面だった。


「――面あり! 一本!」


 審判の旗が、勢いよく上がる。

 一瞬の攻防。

 観客席が、わずかにどよめいたのが分かった。


「……やるじゃないか」


 道場の仲間たちが陣取る席で、高峰師範が静かに呟いていたのを、俺はまだ知らない。



 二回戦。

 相手は、初戦とは全くタイプの違う選手だった。

 どっしりと腰を落とし、竹刀の先を俺の中心から一切外さない。

 試合が始まってから一分以上、互いに一歩も動かず、睨み合ったままだった。

 攻め合い。

 先に動けば、負ける。

 肌がピリピリとするような緊張感。


(強い……。隙がない)


 俺は今までの相手とは違う、本物の実力者の匂いを感じ取っていた。

 だが、それは絶望ではなかった。

 むしろ心が躍っていた。

 こういう相手と戦ってみたかった。


 相手の竹刀の先が、ほんのわずかに下に沈んだ。

 誘いだ。

 俺がそれに乗って前に出れば、カウンターの突きが飛んでくる。


(その手には乗らない)


 俺も竹刀の先をわずかに動かし、相手の出方を窺う。

 静かな攻防。

 だが、その水面下では、互いの思考が激しく火花を散らしていた。


 どれくらいの時間が、経っただろうか。

 相手の集中力が、ほんの少しだけ、揺らいだのが分かった。

 呼吸のリズムが、コンマ数秒だけ、乱れた。


(……今だ!)


 俺は相手が息を吸い、次の動作に移ろうとする、まさにその一瞬。

 全ての始まりである「出鼻」を狙っていた。


「メーン!」


 俺の踏み込みは、相手の動き出しよりも、コンマ一秒だけ早かった。

 相手は、俺の動きに反応して防御しようとするが、もう遅い。

 俺の竹刀は、相手の防御が完成するよりも早く、その中心を、真っ直ぐに射抜いていた。


 体育館中に響き渡る、今日一番の快音。


「―――面あり! それまで!」


 審判の、しだけ上ずった声が、試合の終わりを告げた。

 俺は静かに面を外し、相手に一礼した。

 相手も悔しさの中にも、どこか清々しい表情で、俺に礼を返してくれた。


「見事だ、春海くん」


 試合後、俺の元にやってきた高峰師範は、厳しい表情を崩さないままそう言った。


「派手さはない。だが、君の剣は、剣道の理に適っている。今日のところは、上出来だ」


 それは、師範なりの、最大限の賛辞だった。


「また、いつでも道場に来い。教えたいことは、まだ山ほどある」


「はい。行ける日は、行きます」


 俺は、自分のスタイルを崩さずに、そう答えた。

 剣道も、面白い。

 サッカーや野球とは、また違う種類の興奮が、ここにはある。


 俺たちが道場に引き上げようとした、その時だった。

 一人のスーツ姿の男性が、高峰師範の元へ駆け寄ってきた。

 その胸には、県の剣道連盟のバッジが光っている。


「高峰先生! 今の選手は、一体……!?」


 男の興奮した声が、俺の耳に届く。

 男の興奮した声を背に、俺は高峰師範の横顔を見た。その厳しい目が、ほんの少しだけ、楽しそうに細められたのを、俺は見逃さなかった。

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