第23話:武道館への道
「――高峰先生! 今の選手は、一体……!?」
市の交流戦が終わった直後、一人のスーツ姿の男性が、興奮した様子で高峰師範に駆け寄ってきた。
その胸に光るバッジは、県の剣道連盟のものであることを示している。
「鈴木さんか。見ての通り、うちの道場の子ですよ」
「存じ上げております! ですが、彼の名前は県の強化指定選手リストのどこにもなかった! まるで、今日突然現れたかのようです! あの剣……特に二回戦で見せた出鼻面、あれは並の中学生に出せる技ではない!」
鈴木と名乗った連盟の男は、俺のほうをチラリと見ながら、声を潜めて師範に何かを訴えかけている。
その目は、逸材を見つけたスカウトのそれだった。
「単刀直入に申し上げます。来月、東京の日本武道館で開かれる全国大会、その団体戦メンバーに、彼を加えさせてはいただけないでしょうか」
「正気か、鈴木さん。春海くんが竹刀を握ったのは、ほんの数日前のことだ。いくらなんでも無茶だ」
「無茶は承知の上です! ですが、私は彼のあの目に賭けてみたい。彼は、相手の太刀筋を『読んで』いるのではなく、『視て』いる。あんな中学生、見たことがない!」
二人の会話が、俺の耳にも届く。
全国大会。日本武道館。
その言葉の響きに、俺の心は静かに高鳴っていた。
「……春海くん」
話がまとまったのか、高峰師範が、俺の方を向いて静かに口を開いた。
「県の代表として、全国大会に出てみる気はあるか。もちろん、強制はしない。君の意思だ」
俺は、迷わなかった。
知らない舞台、強い相手。
面白くないわけがない。
「やります」
俺の即答に、鈴木さんは「おお!」と喜びの声を上げ、師範は「そう言うと思った」と、小さくため息をついた。
◇
それから全国大会までの約一ヶ月。
俺は行ける日だけ高峰師範の道場に通った。
サッカーや野球のチームから練習の誘いもあったが、今は剣道が一番面白かった。
「いいか、春海くん。君の強さは技の多さではない。相手の起こりを視る、その一点に尽きる」
師範は俺に多くの技を教えようとはしなかった。
ただひたすら、構え、足さばき、そして相手の気配を読むための集中力を高める稽古を繰り返した。
「相手が動く前に、動く。相手が打つ前に、打つ。それだけでいい。余計なことは考えるな」
師範の指導は、常にシンプルだった。
だが、その言葉は不思議と俺の体に染み込んでいった。
竹刀を握るたびに、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのが分かった。
そして、運命の日がやってきた。
◇
「――デカい……」
東京、九段下。
目の前にそびえ立つ、日本武道館の大きな屋根を見上げ、ユウトが呆然と呟いた。
俺の応援のために、わざわざ新幹線で駆けつけてくれたのだ。
「ここが武道の聖地か……。お前とんでもない場所まで来ちまったな」
「まあ、体育館がちょっと大きくなっただけだよ」
俺はそう軽口を叩きながらも、その独特の雰囲気に圧倒されていた。
全国から集まった強豪選手たちの、静かだが燃えるような闘気。
肌がピリピリするようだ。
「春海くん、こっちだ」
県の代表チームの仲間たちが、俺を手招きしている。
俺は団体戦の「大将」という大役を任されていた。
もちろん、他のメンバーは、全員が俺よりもずっと長く剣道に打ち込んできた先輩たちだ。
「……本当に大丈夫なのか? あいつ本当に強いのか?」
「分からない。市の交流戦で一度見ただけだが……化け物みたいだったとしか」
チームメイトたちが、俺を遠巻きにしながらヒソヒソと話しているのが聞こえる。
無理もない。
どこの馬の骨とも分からない初心者が、いきなり自分たちのチームの大将になったのだ。
不安に思うなという方が無理だろう。
「――静かにしろ」
そんな空気を一喝したのは、チームの監督を任されている高峰師範だった。
「疑う気持ちは分かる。だが試合になれば分かるはずだ。我々がとんでもない『切り札』を手に入れたということがな」
師範の力強い言葉に、チームの空気が少しだけ引き締まる。
俺は何も言わなかった。
こういう時は、言葉で語るよりも結果で示すのが一番早い。
「一回戦の相手は去年の準優勝校、九州代表の東明館だ。胸を借りるつもりで全力でいけ!」
監督の檄が飛ぶ。
いよいよ、俺の三度目の全国大会が始まろうとしていた。
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