第20話:ダイヤモンドの奇跡
翌日、俺とユウトは、全国大会の決勝が行われる巨大なスタジアムの前に立っていた。
じりじりと肌を焼く太陽。地鳴りのような応援の声。
昨日までのサッカー会場とは、また違う種類の熱気が渦巻いている。
「本当に来ちまったな……」
ユウトが、ゴクリと唾を飲むのが分かった。
「ああ。面白くなってきた」
俺たちは、監督に指定された集合場所へと向かった。
そこには、すでに「湊スターズ」の選手たちが集まっていた。みんな、俺と同じ中学生のはずなのに、何年も野球を続けてきた者の、引き締まった顔つきをしている。
「君が、春海悠くんか!」
俺に気づいた野々村監督が、駆け寄ってきた。
その隣には、少し緊張した面持ちの鈴木がいる。
「監督、こいつです! 俺の言ってた、春海悠!」
「ああ、分かっている。よく来てくれた、春海くん。本当にありがとう」
監督は、俺の肩をがっしりと掴んだ。その手からは、この一戦にかける監督の想いが、痛いほど伝わってきた。
監督から、真新しいユニフォームを手渡される。
背番号は、空いていた「20」。
チームメイトたちの視線が、俺に突き刺さる。
そこにあるのは、期待よりも、戸惑いと疑いの色だった。
無理もない。どこの誰とも分からない素人が、いきなり決勝戦のベンチに入るのだから。
「みんな、紹介する! 我がチームの『秘密兵器』、春海くんだ!」
監督の言葉に、選手たちは「……ウス」と、力なく返すだけだった。
俺は、何も言わずに深々と頭を下げた。
言葉はいらない。
結果で、証明するしかない。
◇
試合は、息の詰まるような投手戦になった。
湊スターズのエースピッチャーは、評判通りの素晴らしいピッチングで、相手の強力打線をゼロに抑え込んでいる。
だが、湊スターズの打線も、相手エースの前に沈黙していた。
スコアは、0対0。
均衡が破れたのは、最終回の表だった。
湊スターズのエースが、連投の疲れからか、ついに相手打線に捕まった。
ヒットとフォアボールで満塁のピンチを招くと、タイムリーヒットを浴びて、ついに1点を失ってしまう。
スコアは、0対1。
絶望的な状況で、最終回の裏、湊スターズの最後の攻撃が始まった。
俺は、ベンチの最前列で、バットを握りしめながらその時を待っていた。
いつ、声がかかってもいいように。
ワンアウトの後、キャプテンが意地のヒットで出塁する。
だが、次のバッターは三振に倒れ、ツーアウト。ランナー一塁。
あと一人で、試合終了。
絶体絶命の場面で、ついにその時が来た。
「――春海くん」
野々村監督が、俺の目を見て言った。
「頼めるか」
「はい」
俺は、短くそう答えると、ヘルメットをかぶって立ち上がった。
『湊スターズ、選手の交代をお知らせします。代打、春海くん』
スタジアムが、どよめいた。
誰だ、あいつは?
今まで一度も試合に出ていない選手を、なぜこの土壇場で?
相手チームのベンチも、困惑しているのが分かった。
俺は、そんな喧騒を背中に受けながら、ゆっくりとバッターボックスに向かった。
土の感触を、スパイクの裏で確かめる。
深く、息を吸う。
心臓が、うるさいくらいに高鳴っていた。
でも、不思議と怖さはなかった。
(最高の、舞台じゃないか)
俺は、不敵な笑みを浮かべた。
相手ピッチャーは、今大会ナンバーワンと名高い剛腕投手。
その目には、明らかに俺を見下す色が浮かんでいた。
ツーストライクとあっという間に追い込まれたが、俺の集中力は極限まで高まっていた。
ピッチャーの指先の動き、肩の開き、踏み出す足の角度。
その全てが、スローモーションのように見え始める。
(次は、外のスライダー。それで、勝負に来る)
俺は、確信していた。
白球が、その手から放たれる。
やはり、外のスライダー。
ストライクゾーンから、ボールゾーンへと逃げていく、決め球。
だが。
(――甘い)
俺は、そのボールが曲がり始める、ほんの一瞬前。
ストライクゾーンを通過する、その一点だけを狙っていた。
体を、コマのように回転させる。
持てる力の全てを、バットの先に込めて。
たった一度の、フルスイング。
カキィィィン!
スタジアム中の音が、一瞬だけ消えた。
金属バットの芯で捉えた打球は、ライナーとなって右中間を切り裂いていく。
一塁ランナーのキャプテンが、必死の形相で二塁を蹴り、三塁へ向かう。
「回れーっ!」
ベンチから、野々村監督の絶叫が響く。
打球が外野を転々とする間に、キャプテンは三塁を蹴り、ホームへと突っ込んだ。
クロスプレー。
砂埃が舞い上がる中、審判の両腕が、大きく横に広がった。
「セーフ!」
起死回生の、同点タイムリーヒット。
スコアは、1対1。
俺は、二塁ベース上で力強くガッツポーズをした。
試合は、延長戦へと突入する。
◇
「……監督、すみません。もう、肩が……」
延長回のマウンドへ向かおうとしたエースピッチャーが、ベンチ前で崩れ落ちた。
連投の限界だった。
チームに、再び絶望の色が広がる。
信頼できるピッチャーは、もう残っていない。
その時だった。
野々村監督が、俺の元へ駆け寄ってきたのは。
「春海くん。君しか、いない」
監督は、試合前のウォーミングアップで俺が見せた、遊びのキャッチボールを思い出していた。
他の選手とは比較にならない、しなやかな腕の振りから放たれる、糸を引くようなボールの軌道を。
「ピッチャー、頼めるか」
「……はい」
俺は、静かに頷いた。
グローブを借り、マウンドへ向かう。
スタジアム中が、ありえない光景に息をのんでいた。
さっき代打で出てきた無名の選手が、ピッチャーとしてマウンドに上がっているのだから。
だが、その驚きは、俺が第一球を投げた瞬間、絶叫に変わった。
ズドンッ!
サッカーや陸上で鍛え抜かれた全身のバネを使って投げ込まれたボールは、キャッチャーが構えたミットに、轟音と共に突き刺さった。
電光掲示板に表示された球速は、中学生のレベルを遥かに超えていた。
「う、うそだろ……」
相手バッターは、腰が引けている。
俺は、その後も淡々と、自分の持つ力の全てを込めて腕を振った。
一人目、空振り三振。
二人目、見逃し三振。
三人目、空振り三振。
圧巻の、三者連続三振。
完全に、流れは湊スターズに傾いた。
その裏の回。
俺のピッチングに勇気づけられた仲間たちは、先頭バッターがヒットで出塁すると、送りバントと盗塁で、ワンアウト三塁のチャンスを作る。
そして、次のバッターが放った打球は、レフトへの浅いフライだった。
タッチアップには、ギリギリのタイミング。
だが、三塁ランナーは、迷わずスタートを切った。
バックホーム。
クロスプレー。
砂埃が舞い上がる中、審判の腕が、力強く突き上げられた。
「……セーフ!」
サヨナラ勝ち。
その瞬間、湊スターズの選手たちは、マウンドにいた俺の元へ、雄叫びを上げながら駆け寄ってきた。
「うおおおおっ!」
俺は、仲間たちにもみくちゃにされながら、空に向かって拳を突き上げた。
打って、投げて。
最高の仲間たちと掴んだ、最高の勝利。
ダイヤモンドに起きた奇跡は、俺の夏の伝説に、また新たな1ページを刻み込んだ。
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