第19話:秘密兵器の咆哮

 夏の夜。

 サッカーでの激闘の余韻に浸りながら、俺はリビングのソファでくつろいでいた。テレビでは、俺たちの優勝を伝えるスポーツニュースが、ほんの少しだけ流れている。


「すごいじゃない、悠。本当に優勝しちゃったのね」


 母さんが、麦茶を差し出しながら嬉そうに言った。


「まあね。みんながすごかっただけだよ」


 俺が少し照れながらそう答えた、その時だった。

 リビングの電話が、けたたましく鳴り響いたのは。


「はい、春海ですが」


 電話に出た母さんの表情が、次第に困惑の色に変わっていく。


「えっ……野球の、クラブチームの全国大会……? はあ……息子が、ですか?」


(野球? 全国大会?)


 俺は、ソファから身を起こした。

 電話の相手は、ひどく切羽詰まった様子で、何かを熱心に訴えかけているようだった。


「……あの、少しお待ちいただけますか」


 受話器をそっと押さえた母さんが、俺の方を振り返った。


「悠……。『湊スターズ』っていうクラブチームの監督さんからなんだけど……」


 母さんから聞かされた話は、にわかには信じがたいものだった。

 湊スターズが、野球の全国大会で決勝まで進んでいること。

 しかし、打力が足りず、このままでは勝てないと監督が頭を抱えていること。

 そして、そのチームにいる鈴木くんという子が、俺の小学校の同級生で、「春海なら打てる」と監督に推薦してくれたこと。


「……それで、明日の決勝戦に、一日だけでいいから出てほしい、ですって。追加の選手登録をして、秘密兵器として、一打席だけでもいいからって……」


 秘密兵器。一打席だけ。

 その言葉の響きに、俺の心臓が、きゅうっと締め付けられるような感覚を覚えた。

 サッカーの次は、野球。

 しかも、いきなり全国大会の決勝戦。

 なんて無茶苦茶で、なんて馬鹿げた話だろう。


 でも。


(面白そうじゃん)


 俺の口元が、自然と緩んでいくのが分かった。

 母さんは、そんな俺の表情を見て、呆れたようにため息をついた。


「あなた、まさか、やるなんて言わないでしょうね? サッカーで疲れているし、怪我でもしたら……」


「大丈夫だよ、母さん」


 俺は、母さんの心配を遮るように言った。


「危ないことはしないって、約束する。それに、たった一打席かもしれないんだろ? それなら、大丈夫だよ」


 俺の目を見て、母さんはもう何も言わなかった。

 俺が一度こうと決めたら、聞かないことを知っているからだ。

 俺は母さんから受話器を受け取ると、電話の向こうの野々村監督と名乗る人に、はっきりと告げた。


「もしもし、春海悠です。その話、受けます」


『ほ、本当かね!?』


 電話の向こうから、驚きと喜びが入り混じった声が聞こえてくる。


「はい。練習は必要ありません。ユニフォームだけ、用意してもらえませんか」


『も、もちろんだ! ありがとう! 本当にありがとう!』


 監督は、何度も何度も礼を言うと、明日の試合会場と集合時間を伝えて、興奮した様子で電話を切った。


「……また、やるのかよ」


 一部始終を呆れた顔で見ていたユウトが、リビングの隅から声をかけてきた。彼は、俺のサッカーの優勝祝いに、家に遊びに来ていたのだ。


「ああ。面白そうだからな」


「お前はいつもそれだな……。まあ、どうせ俺も、応援に行くけどさ」


 ユウトはやれやれといった感じで肩をすくめた。

 俺は自分の部屋に戻ると、クローゼットの奥から、小学生の時に使っていた野球のグローブを引っ張り出した。

 少しだけ、革の匂いがする。


 明日、俺はまた、新しい舞台に立つ。

 まだ誰も知らない、秘密兵器として。

 俺は、これから始まる最高の「遊び」に、胸を躍らせていた。

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