EP 3
ワギュウの里の掟
意識が戻ったのは、激しい揺れと、肩に食い込む骨のような硬さを感じたからだった。
「ん……う……」
かすかに呻きながら目を開けると、視界に映ったのは、猛スピードで後ろへ流れていく森の景色。どうやら自分は、何者かの肩に担がれているらしい。逆さまの視界と、脳を揺らす衝撃でひどい吐き気がした。
「わ、わわっ! お、降ろせ!」
優斗がジタバタと暴れると、担いでいる主――牛耳の獣人、ワイルドが楽しそうに笑った。
「お、起きたか人間。ジタバタしても無駄だぞ? わしの握力からは、熊だって逃げられねぇんだからな!」
その言葉通り、ワイルドの体はまるで岩の塊のようで、優斗がどれだけ抵抗してもびくともしない。食われる。その本能的な恐怖が、優斗の全身を駆け巡った。
やがて森が拓け、一つの集落が見えてきた。巨大な獣の骨や丸太で組まれた、野趣あふれる家々。あちこちで焚火の煙が立ち上り、様々な獣の耳や尻尾を持つ者たちが、活気ある生活を営んでいる。ここが獣人たちの里なのだろう。
優斗の姿に気づいた獣人たちが、物珍しそうに寄ってきた。犬の耳を持つ少年、猫のようにしなやかな女性、熊のように屈強な男。彼らの好奇と、時に敵意の混じった視線が、まるで槍のように優斗に突き刺さる。
「おいワイルド、そいつはなんだ? 人間か?」
「今日の獲物か? 随分とひょろひょろだな!」
「散れ散れ! こいつはわしが捕らえたんだ! わしの物だ!」
ワイルドは群がる獣人たちを一声で追い払うと、里の中でも一際大きな家へと向かった。家の前でドスンと音を立てて優斗を降ろすと、乱暴に扉を開ける。
その時、家の奥から可憐な、しかし芯の通った声が聞こえた。
「お父さん、おかえりなさい」
現れたのは、ワイルドと同じ牛の角と耳を持つ、長身の美しい少女だった。鍛えられたしなやかな体躯は戦士のそれだが、その表情は驚くほど穏やかだ。彼女が、モウラだった。
「おぉ、モウラか。ただいま戻った」
「まあ、どうしたの? その人間は……怪我をしているみたいだけど」
モウラは、地面にへたり込む優斗を見て心配そうに眉をひそめた。
「ふん! こいつは、わしが仕掛けた大事な罠を勝手に外した不届き者だ! 里の者に手出しはさせんが、この家の蔵で、たっぷりと躾をしてやらねばならん!」
ワイルドの言葉に、優斗の背筋が凍る。「躾」という言葉が、拷問と同義に聞こえた。だが、モウラは静かに首を横に振った。
「そんなこと、可哀想よ。それに、人間だからといって何をしても良いなんて、里の掟にはないはずだわ。お父さん」
凛とした声で諭され、あれほど威圧的だったワイルドが「むぅ……」と唸って口をつぐむ。どうやらこの父親は、娘には頭が上がらないらしい。
モウラは優斗の前にそっとしゃがみ込むと、その大きな手で、優斗の乱れた髪を優しく撫でた。その手の温かさに、恐怖で張り詰めていた優斗の心が、わずかに解けていくのを感じた。
「ごめんなさい。お父さんが乱暴で、怖い思いをさせちゃったわね。……えっと、貴方の名前は?」
優しく微笑みかけられ、優斗は戸惑いながらも、か細い声で答えた。
「優斗……松田優斗、です」
その名を聞いて、彼女は花が咲くようににっこりと笑った。
「私はモウラよ、優斗さん。よろしくね」
それは、優斗がこの異世界アナステシアに来て、初めて交わした人間らしい、温かい対話だった。
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