第8章 確信の連鎖

「昨夜23時07分頃…極めて特殊なコマンドが実行された形跡があります」

青山は、プロジェクターに新たな情報を表示した。それは、暗号のような文字列が並んだ、難解なコマンドログだった。

「これは、システム全体のセキュリティ認証プロセスを一時的にバイパスし、管理者権限を強制的に奪取するためのコマンドです。非常に高度で、かつ危険であり、通常の運用保守作業で使用されることはありません。下手をすれば、システム全体をクラッシュさせかねない、いわば禁断のコマンドです。そして、このコマンドは、実際にサーバーのコンソールの前でしか実行できません。リモートからは実行できません」

会議室に、どよめきが広がった。システムに詳しい社員ほど、そのコマンドの危険性を理解し、青ざめている。黒川も、信じられないといった表情でスクリーンを見つめている。

「…そのコマンドが実行された時刻は…」

朧月は、ホワイトボードに書き留めた時刻と、スクリーンの情報を指でなぞりながら確認する。

「…監視カメラの映像が最も激しく乱れた時刻と、ほぼ完全に一致しますね」

朧月は、ゆっくりと影山に向き直った。その目は、もはや何の感情も映していない、ただ事実だけを追求する捜査官の目だった。

「人が痕跡を消すというのは、ほとんどの場合において不可能です。そこには必ず何らかの跡が残るものです……」

朧月は言った。

「これで、状況的な証拠は揃ってきました。我々は、外部の犯行も否定しません。しかし、それ以上に、これらの証拠は内部の犯行である可能性を如実に物語っている。」

朧月はまた周囲を見回した。

「……そして、禁断のコマンドが実行されたとなれば」

朧月は、ホワイトボードに向き直り、青山が表示したログの時刻を指差しながら言った。



「これは、極めて限定的な権限を持つ者にしか不可能な操作です。つまり、何者かが“管理者権限”を持っていた、もしくは奪取していたという事実になります」

社員たちの間に、再びざわめきが広がる。

朧月は、それを静かに制するように片手を上げた。

「我々は、今のところ“誰が”このコマンドを入力したかまでは断定できません。しかし、こうした高度な操作を可能にするには、以下のいずれかが必要になります――」

朧月は、ホワイトボードに三つの条件を書いた。

1.正規の管理者権限を保持している内部の人物



2.一時的に管理者権限を奪った内部の人物



3.権限奪取を目的とした外部の人物



「このうち、3番目の可能性――外部の人物が、そこまで深く社内の構造を理解し、かつ極めて限定的な時間帯に、物理的にサーバールームの扉の前に姿を見せた、という可能性は…ありえるでしょうか?」

朧月は、視線を影山に送った。 その目は、あくまでも静かに、淡々としている。


「…影山さん。あなたは、外部からの攻撃と繰り返し主張されていますね。ログ上も、確かにそう見える部分がある。…しかし、第三者がそこまで完璧に“社内の物理環境”まで把握できたかという点について、どうお考えですか?」

影山は、わずかに口を開いたが、すぐに言葉を慎重に選び始めた。


(…まずい…。ここで下手な反論をすれば、“何かを知っている”という印象を与えるかもしれない)


「…たしかに、それは…難しいです。ただ、最近は、リモートワークで社内ネットワークの情報が外部に漏れる可能性もありますし、内部資料が流出していたとしたら…そのような攻撃も、可能性としてはありえるのでは…?」

「ふむ、仮定としては成り立ちますね」


朧月は、口元に煎餅を運びながら、相槌を打った。


「ただ、念のため――」


彼は、再びプロジェクターの画面に目を向けた。

「…内部ネットワークのアクセスログと、ビルの入退館記録、サーバールームの入退室ログを照合します。誰が、いつ、どの端末からアクセスしたのか――物理的な行動とデジタルの痕跡が一致すれば、第三者がそこまで完璧に“社内の物理環境”を把握して行った攻撃だったのかどうか…“偶然”では済まされない事実が浮かび上がるはずです」

朧月の言葉に、会議室の空気が一層張り詰めた。誰もが息を呑み、次の言葉を待っている。影山は、心臓が激しく脈打つのを感じながらも、平静を装うことに必死だった。

「…内部の犯行、ですか」

黒川は素っ頓狂な声を上げた。

影山は、あえて冷静な声で反論した。

「仮に、そうだとしても依然としてやはり、それらの状況証拠と今回のシステムダウンを結びつける事実はありません」

「影山さん…。じゃぁ、あなたは、これらの事実は何だとおっしゃりたいのですか?私は、ログの改ざんが行われたのなら、それは今回のシステムダウンと結びついてると思っています。なぜなら、外部からの不正アクセスを示すログが改ざんされているのですから」

朧月は続けて言った。

「要するに、私は、3.の外部の人物の線はもう消えていると思っています」

朧月の断言に、会議室の空気は凍りついた。外部からの攻撃であってほしい、そう願っていた社員たちの最後の希望が打ち砕かれた瞬間だった。

影山は、唇を噛み締めた。朧月の視線が、まるで槍のように突き刺さってくる。

(…落ち着け、まだだ…、まだシステムダウンと俺を結びつける証拠は何もない…)

「…刑事さん、それはあまりにも早計ではありませんか?」

影山は、かろうじて平静を装い、反論の言葉を紡いだ。

「外部犯行の可能性を完全に排除するには、まだ情報が足りません。ログが改ざんされているというのも、現時点ではあなたの推測に過ぎない」

「推測、ですか」

朧月は、ポケットから取り出した最後の煎餅を、ゆっくりと口に運び、ポリポリと音を立てた。

「では、影山さん、あなたにお聞きしましょう。仮に、あなたの言う通り外部の攻撃者がいたとして、その目的は何だとお考えですか?」

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