1.1.1.2 メカゴリラ爆裂王の目は光る
そこに立っていたのは、ジェームズ・ウォン=スミス教授だった。
古代英語と古代中国語の名を併せ持つ彼は、連合帝国の中央帝国大学の比較アーカイブ学研究科において、異端の、しかし最高峰の知性とされる碩学だった。主流派の学者が〈太陽の所有者〉の遺物を神聖視し、軍部からも膨大な研究費を受け取るという軍学複合体制の中で、彼はただ一人、古代日本の企業組織――そのあまりに世俗的なアーカイブズ体制――を研究し続けていた。リアの両親とは、その稀有な視点を共有する唯一無二の親友であり、あの惨劇の後、残されたリアの知性と精神の唯一の導き手となった恩師でもあった。
「先生、どうしてここに?」
「君が博士論文のために、よりにもよって『これ』を扱うと聞いてね。君のお父さんやお母さんも、まさか自分の娘が、こんなくだらない機械の研究をすることになるとは思ってなかっただろう」
「やめてください」
リアの声が、鋭く空気を切り裂いた。
「両親の話は、しないでください。これは、私が選んだことですから」
そう、これは、トラウマを克服するためなどという、感傷的な理由で選んだ道ではない。全球戦争期における戦争機械のドキュメント管理体制、特に〈メカゴリラ爆裂王〉を研究テーマに据えたのは、純粋に合理的な判断からだ。〈太陽の所有者〉の遺物は、それだけで莫大な研究予算がつき、軍部への覚えもめでたい。アカデミアという「大人」の世界で、最短でキャリアを築き、誰にも文句を言わせない地位を確立するには、これが最善の選択だった。少女と侮る者たちを見返すために。そして何より、二度と誰にも、何も奪われないために。
「〈メカゴリラ爆裂王〉への恐怖を克服するためにあえて取り組んでいるわけではないんだね?」
「はい。これは純粋に合目的的な判断です」
彼女がそう言い放った時、〈メカゴリラ爆裂王〉発掘現場がにわかに騒がしくなった。首都から視察に訪れていた帝国軍の高官と政治家の一団が、ものものしい警備と共に到着したのだ。彼らの周りには、歴史的瞬間に立ち会おうと詰めかけた他の学者や出資者たちが群がり、熱気に浮かされたような声が飛び交っている。
「おお……、これが、本物のリンヂャン・キングか!」
「神々しい……、まさに神の御業だ」
狂信的なまでの賛辞を浴びる巨大なシルエットと、目の前の恩師の心配そうな顔。その対比に、リアは再び唇を固く結んだ。
教授は、その喧騒からリアをかばうように一歩前に出ると、静かに、しかし分析的な口調で続けた。
「考えてもみたまえ、リア。あれだけのものを、〈太陽の所有者〉と呼ばれる個人、あるいはごく少数の集団が作った可能性がある。我々の科学史の常識を遥かに超えている。それは間違いない。では、優れた科学力は優れた倫理観の裏付けとなるかね?」
「――なりません。帝国博物館には帝国中から集めた素晴らしい芸術品や発明品が納められていますが、みんな『皇帝陛下万歳』と叫びながら自由都市共同体を爆撃した文明の作品です」
「ほう。先帝の御代であれば、立派な不敬罪だ。帝国が誇る文化事業と過去の戦争行為を公然と結びつけ、皇室の尊厳を貶めた、とされるだろうね」
「事実の指摘は、構成要件における『侮辱』には該当しません。それに、その不敬罪は廃止されました」
「そう、新しい皇帝陛下がね……。君くらいの年齢だよ、知っているかね?」
「先生が政治の話をするなんて、不敬罪廃止の布告以上の衝撃です」
「妻がね、新聞を読めと言うんだよ。――しかし、現状、〈太陽の所有者〉についての研究には明らかに、〈太陽の所有者〉が倫理的にも優れていたはずであるという不当前提が存在するとは思わないか?」
師匠は、大量のペンを落としながら白衣のポケットからデータパッドを取り出すと、それをリアに示し、一枚の画像を映し出した。
「私の最近の研究だよ。東方帝大の古代日本語学の先生たちと一緒にやってるんだ。君の研究にも、無関係ではない」
それは、リアには読めない古代日本語の文字列が、ケバケバしい色彩の中で踊っている宣伝チラシのような画像だった。
だが、その中でひときわ大きく書かれた文字列に、彼女は息を呑む。
メカゴリラ爆裂王キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
「これは……」
リアは、ピットの中の巨体と、データパッドの画像を交互に見比べた。間違いない。あの胸に刻まれた文字列と、全く同じだ。少なくとも「メカゴリラ爆裂王」については。「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」という部分はわからない。予想もできない。文字というよりも、挿絵に近いものだろうか。
「古代日本の、ある種の遊戯施設が作っていた宣伝用のドキュメントだよ。私の専門分野だ」
師匠の声は、周囲の熱狂とは無縁の、氷のような冷静さを保っていた。
「紙の繊維構造とインクの成分分析から、これが短期間に大量生産された安価な頒布物であることは確定している。神託や公式記録の類では、あり得ない」
遊戯施設。安価な頒布物。師匠の言葉が、リアの頭の中で、これまで信じてきた全ての前提を破壊していく。帝国が神の威光だと信じて疑わない物を示す文字列が、ただの客寄せ文句に使われていたというのか。
「メカゴリラ爆裂王を形容詞的に利用しているという可能性は? つまり、このドキュメントが戦争機械よりも年代的に古く、それを参照したという可能性は?」
「リア、君は既に、むしろ逆に、あの機械の胸部に刻み込まれた文字列がこの頒布物を参照しているとしたら、この世界はどうなるか想像しているね。これも面白いよ。ほら、これも」
教授が画像をスライドさせ、新しい画像を示していく。
そこには次のようなテキストが確認できた。
それはこの惑星の各地で発見される古代文明の遺産に刻まれた古代日本語のテキストと同じだった。
メカニャンコ確変王クル━━━━(゚∀゚)━━━━!!
メカワンコ特殊景品王キタタタタタタタタタ━(゚(゚ω(゚ω゚(☆ω☆)゚ω゚)ω゚)゚)タタタタタタタタタ━!!!!!!!
リアが愕然として何かを言いかけた、その時だった。
視察団の到着によって現場の人口密度が最大になり、喧騒が頂点に達した、まさにその瞬間――。
彼女の言葉を遮るように、あの耳鳴りのような低い駆動音が、すぐ眼の前から鳴り響いた。地面がわずかに、しかし確実に振動を始めた。学者と政治家たちの歓声が、一瞬にして訝し気な囁きに変わる。誰もが、巨大な金属のシルエットへ、顔を向けていた。
継ぎ目の僅かすら確認できない、完璧な金属の塊である〈メカゴリラ爆裂王〉の目が、今、禍々しい赤色に、ゆっくりと光を灯し始めていた。
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