第11話: 風の渡る島で(後編∶鳴門、そして淡路島)― 潮騒の背中 ―
今治から橋を渡り、鳴門を抜けて福良港に着いたのは、午後もだいぶ傾いた頃だった。
観光客の姿がちらほらとある一方で、路地裏の漁港には昔からの生活の匂いが残っていた。
車を降りて、しばらく歩く。
網を干す老人の背中。
干物屋の軒先で猫が伸びをする。
商店の飴玉は、少し色あせていた。
それがかえって懐かしかった。
ここには、撮られることを意識していない時間があった。
慶彦が東京で追っていた“完璧な構図”とは対極にある、歪んでいて、緩やかで、息をしている風景。
誰のために写真を撮っていたのか。
誰に何を残したかったのか。
そんな問いが、潮風とともに足元に積もっていく。
日が沈む前に、もう少しだけ西へと車を走らせる。海沿いの道、淡路サンセットラインを北上する。
カーステレオは消したまま。
夏の風だけが、車内を抜けていく。
そして、左手には、夕陽を映した海が広がっていた。
金色の光が波の上に帯のように伸びていて、
それがまるで帰る場所を指し示しているようだった。
海と空の境目は、一つに繋がりそうな曖昧さで、何よりやさしかった。
境界を越えることが、これほど穏やかな時間になるとは思っていなかった。
助手席に置いたカメラは、まだシャッターを切っていない。
でも、それでよかった。
今、目に映っているものは、誰に見せるでもなく、自分のために覚えていたい風景だった。
明石海峡大橋が、遠くに浮かび上がる。その向こうには、また都市の喧騒が待っている。
でも、いまはまだ、潮騒の余韻の中にいたいと思った。
どこかで撮り逃した風景よりも、こうして過ぎていく光の方が、ずっと確かだった。
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