第3話: 鹿児島·錦江湾── 鹿児島の桜、磯庭園にて ──

東京の桜は、すでに散り果てていた。


羽田へ向かう途中、歩道の隅に、雨に打たれたような花びらがわずかに残っていた。


鹿児島はどうだろう──そんなことを考えながら、機上の人となった。


羽田から鹿児島空港までは二時間弱のフライト。


窓の外に桜島の稜線が見えた瞬間、胸がわずかに高鳴った。


それはこの地の自然の迫力に対してだけではない。


──そうだ。母は鹿児島・奄美の出身だった。


自分にも、たしかにこの土地の血が流れている。そう思うと、初めての訪問なのに、どこか“戻ってきた”ような不思議な感覚があった。


******


レンタカーを借りるか迷ったが、今回は見送った。


旅の夜には、芋焼酎も楽しみたかった。何より、タクシーや路面電車で揺られる時間も悪くないと思えた。


市内へ向かう車窓からは、東京とは明らかに違う陽ざしと、やわらかな空気が流れてきた。


******


磯庭園に着いた頃、陽は高く昇っていた。


門をくぐると、出迎えたのは満開の桜だった。


東京では遠に散った花が、南国·鹿児島では、いまを盛りと咲いている。


不思議なものだ。

だが、これも例年のことらしい。


枝越しに視線を移すと、対岸に桜島が堂々とその姿を見せていた。


自然と人工の造形が、奇妙に調和しているようだった。


カメラを構えた。

──今度は、迷わなかった。


ファインダーの中の風景が、自分の内側とつながった気がした

──夢中でシャッターを切っていた。


光と影の間を行き交う桜の花弁。

その向こうにそびえる火山の稜線。

石の庭と苔の緑。


構図も、理由も、もうどうでもよかった。ただ、いまこの瞬間を撮りたかった。


それが、旅の中で初めて「撮りたい」と感じた瞬間だった。


******


陽が傾きかけた頃、市内のホテルにチェックインした。


部屋の窓からも、遠く霞む桜島が見えた。


カメラの背面液晶を眺めながら、胸の奥に、かすかな手応えが残っていた。


──今度は、撮れた。


シャツの襟を正しながら、ふと気づく──まだ見ぬ「鹿児島の夜」が、ほんの少し楽しみになっていた。

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