第4話: 鹿児島·錦江湾── 夜の街、そして桜島へ ──
夜の街へ、ふらりと出た。
天文館の通りには、遠くからでも笑い声と焼酎の匂いが漂っていた。
観光客と地元の人が入り混じる通りを歩きながら、一軒の暖簾をくぐった。
カウンター席に座ると、品の良い小鉢とともに、透き通る銀色の小魚が出てきた。
キビナゴ。
鹿児島の海の恵みだという。酢味噌につけて口に含む。
──小さな命を、いま自分は受け取っている。
豊かな海に生きるもの。それを、こうして食卓にのせ、あたりまえのように手を合わせる人々の暮らし。
東京でこうした感覚を持つことは、ほとんどなかった。
ふと、旅の輪郭が少し濃くなった気がした。
******
食後、静かなバーを探した。
カウンター越しに出されたグラスは薩摩切子だった。灯りを受けて、底のカットが静かに煌めいていた。
──土地の美意識にふれた気がした。
隣に座った数人の客との会話が自然と始まった。
「あんた、東京から?」
「ええ。ちょっと、写真を撮りに。」
「それなら桜島、行きゃらんと。あそこは別格さねぇ。鹿児島の誇りよ。」
陽気な声に、こちらも笑みがこぼれた。
「わしら、桜島とともに生きてきた。噴火も、灰も、もう慣れちょっでぇ。」
桜島。
昼間、磯庭園から見たその姿が脳裏に浮かんだ。
人が、自然とともに生きていく。その“強さ”に、急に惹かれていた。
「明日、行ってみようと思います。」
言いながら、自分の声に確かな意志が混じっていることに気づいた。
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翌朝。
フェリーに乗った。
海の向こうに、桜島が近づいてくる。甲板に立ち、潮風を受けながらファインダーを覗いた。
自然の雄大さ。
火山の圧倒的な存在感。
そのすべてが、目の前に迫っていた。
観光パンフレットの文字情報は、この空気の匂いや重さの前では無力だった。
いま、目の前にあるこの"生きている風景"を、ただ、そのまま写し取りたいと思った。
桜島に着き、いくつかの場所を歩いた。
溶岩展望所からの景色は圧巻だった。
埋没鳥居の石の質感には、長い時間の重さが静かに刻まれていた。
シャッターを切る。
ここでも、構図や光の計算は頭から消えていた。
──ただ、撮りたい。
その衝動だけが、自分を動かしていた。
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帰りの便を待つ間、空港の売店で一枚のポストカードを手に取った。
桜島の写真。
噴煙が空に淡く流れていた。
静かな席に戻り、ボールペンを走らせた。
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母さんへ。
今、鹿児島に来ています。
桜島がとてもきれいです。
少しだけ、自分のルーツに触れた気がしました。
また、連絡します。
慶彦
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もう一枚、美佳宛にも簡単な言葉を添えた。
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美佳ヘ
──いまはただ、この風景の気配を少しだけ伝えたかった。
パパより
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ポストに手紙を落としたとき、旅がひとつ、小さな輪を結んだ気がした。
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