第34話

枯れた井戸の横にあったプレートの文字は、裕子に新たな使命を与えた。「この水、生命なり」。それは単なる標語ではなく、この土地の歴史そのものだった。


「正樹さん、この井戸、ただの古井戸じゃないわ。きっとこの辺り一帯の、農業の命綱だったんだよ」


裕子の言葉に、正樹も目を輝かせた。


「そうか!俺の小さい頃、父ちゃんがよく『笹原さんの畑の井戸は水神様が宿ってる』って言ってたのを思い出した。水が枯れてから、笹原さんは一気に元気をなくしたんだ」


二人はすぐに町役場と観光協会の美咲に連絡を取り、古い水利組合の資料を探してもらった。数日後、美咲から連絡が入った。


「見つけたわ!あの井戸、正式には**『笹原水源』**と言って、戦前からこの地域の水田と畑を支えてきた重要な水源だった。でも、三十年ほど前の開発工事の影響で水脈が途絶えたって記録があるわ」


「やっぱり!」裕子は確信した。


「笹原さんは、畑を潰されることよりも、畑の命である水を奪われたことに、心を閉ざしたんだわ。だから、耕作さんは『畑の価値を守る姿勢』を見せろって言ったんだ」


裕子と正樹は、笹原さんを説得するための戦略を練った。それは、ひまわり畑の拡大というビジネスの話ではなく、水源の復旧という畑の命を取り戻す話から始めることだった。


まずは、井戸の状態を調べる必要があった。正樹は、知り合いの地元の工事関係者に頭を下げ、井戸の調査と、水脈を復活させるための工事の概算を出してもらった。その費用は、二人にとって決して安くない金額だった。


「どうする、裕子。この金額は…」正樹が不安そうな顔をする。


「大丈夫。私、クラウドファンディングを立ち上げるわ」


裕子の目は真剣だった。


「『土と、汗と、太陽の物語。』は、ただのキャッチコピーじゃない。この町で、水を失った畑の命を取り戻す。この真実の物語なら、きっと共感してくれる人がいる」


裕子は、即座にクラウドファンディングのページを作り始めた。プロジェクト名はシンプルに、「笹原水源復活プロジェクト」。ウェブサイトにアップする文章は、東京時代の効率とは無縁な、ひまわり畑への情熱と、井戸の歴史、そして笹原さんの畑への想いだけを綴った。


数日後、プロジェクトが公開されると、裕子が東京で培った発信力が火を噴いた。彼女の以前のSNSフォロワーや、ウェブサイトの熱心な読者が、「このストーリーは本物だ」と次々と支援を表明したのだ。


目標金額の達成に向けて、順調に進むプロジェクト。しかし、問題は、笹原さんの説得だった。


裕子と正樹は、資金集めの途中で、直接笹原さんの家を訪ねた。古びた門を前に、裕子は深く息を吸った。


「裕子、大丈夫か?」


「大丈夫。これは、私たちの愛の証明でもあるんだから」


裕子はそう言って、正樹と手を握り合い、重い門を叩いた。

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