第33話

耕作は、裕子と正樹が差し出した計画書と、その上に重ねられた裕子の真剣な眼差しを、しばらく見つめていた。その沈黙は、畑の土のように重く、二人の心臓の鼓動だけが響いていた。


やがて、耕作は計画書をゆっくりと閉じ、裕子に目を向けた。


「あの遊休地(ゆうきゅうち)の持ち主、笹原(ささはら)さんはな、昔、町が観光化に乗り出した時、畑を潰されそうになったことがあってな。それ以来、よそ者や、『儲け話』には、徹底して心を閉ざしたんだ」


耕作は、笹原さんが心を閉ざした背景を語った。それは、この町が抱える「観光と農業の軋轢(あつれき)」という、深い根の問題だった。


「だから、お前たちの『ひまわり迷路』だの『カフェ』だのといった派手な話は、笹原さんには通用せん。かえって、畑の敵だと見なされるだけだ」


正樹は、やはり無理かと肩を落とした。しかし、裕子は顔を上げた。


「では、どうすれば…」


「『花で金を稼ぐ』んじゃなく、『畑の価値を守る』という姿勢を見せることだ」


耕作はそう言うと、立ち上がり、裕子に背中を向けた。


「わしは、笹原さんと昔からの付き合いだ。だが、今のわしが何を言っても、お前たちの『ビジネス』に加担していると思われて、話は聞いてもらえん」


裕子は、耕作が協力は拒みつつも、ヒントを与えてくれたことに気づいた。そして、耕作が去り際に言った、小さな一言に、裕子の視線は釘付けになった。


「…笹原さんの畑の隅に、枯れた井戸がある。あれを何とかできりゃあ、話は別かもしれんがな」


翌日、裕子と正樹は、美咲から笹原さんの遊休地の地図を受け取り、その土地へと向かった。そこは、町の中心部に近いにも関わらず、雑草が生い茂り、まるで時が止まったかのような荒れ地だった。


裕子は地図を頼りに、畑の隅にある、苔むした石の構造物を見つけた。それが、耕作が言っていた「枯れた井戸」だった。


「ひまわり畑を広げることと、枯れた井戸に、どういう関係があるんだろう…」正樹が首をかしげる。


裕子は、その井戸の周囲の地面を、手で払い、土を掘ってみた。すると、井戸の横から、錆びついた金属のプレートが出てきた。


プレートには、摩耗した文字が刻まれていた。


「この水、生命(いのち)なり」


そして、その下には、古びた水利組合のマークのようなものが記されていた。


裕子は閃いた。この井戸は、ただの井戸ではない。おそらく、笹原さんの畑だけでなく、一帯の農家にとって重要な水源だったのだろう。そして、それが枯れたことで、笹原さんは畑を手放さざるを得なくなり、心を閉ざしてしまったのかもしれない。


「正樹さん、これ、ビジネスの話じゃないよ。これは、畑の命を取り戻す話だわ」


裕子は、耕作の言葉の真意に気づき、この町で本当にやるべきことを見つけた気がした。

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