第15話

「もしもし?」


裕子の耳に届いた正樹の声は、メッセージアプリの文字とは全く違う、温かさと優しさを含んでいた。


「…もしもし。正樹さん?」


「うん。なんで黙ってるんだ?」


電話口で、正樹がくすりと笑った。


「…声が聞きたかったから」


そう言うと、裕子は自分の頬が熱くなるのを感じた。


「そうか。俺もだ。お嬢さんの声が聞けて嬉しい」


「裕子です」


裕子は少し拗ねたように言った。


「そうだな。裕子」


正樹はそう言うと、裕子の名前を何度も呼んだ。その度に、裕子の心臓はドキドキと高鳴った。


二人の会話は、他愛のないものだった。今日あった仕事のこと、畑で採れた新しい野菜のこと。互いの日常を分かち合う時間は、たった数分なのに、裕子には何時間にも感じられた。


「…あのさ」


会話が途切れた時、正樹が不意に言った。


「夏祭り、来てくれて、嬉しかった。でも、なんで声かけてくれなかったんだ?」


裕子は言葉に詰まった。


「…隣に、美咲さんがいたから…」


「なんだ、やっぱり嫉妬してたのか?」


正樹は楽しそうに笑った。裕子は、恥ずかしくなって何も言えなかった。


「なぁ、裕子」


「はい…」


「また来てくれるか?」


「…はい」


「約束だぞ。今度は、ちゃんと迎えに行くから」


彼の言葉は、裕子の心を温かく包み込んだ。


電話を切ると、裕子はベッドに倒れ込み、大きく息を吐いた。身体中の力が抜けていくような、不思議な感覚だった。


遥からのメッセージが届いた。


『裕子、さっきから、めっちゃニヤニヤしてるけど、何があったの?』


裕子は、そのメッセージを無視して、もう一度、正樹からの電話の着信履歴を見た。彼の声が、まだ耳に残っているような気がした。


次の日、裕子は会社に到着すると、すぐに上司のデスクに向かった。


「すみません、来月、1週間ほどお休みをいただきたいのですが…」


突然の申し出に、上司は驚いた顔をした。しかし、裕子の目には、もう迷いはなかった。


「来月、帰省しようと思っています。今度は、ちゃんとこの目で、私の居場所を見つけたいんです」


上司は、裕子の言葉に何も言わなかった。ただ、彼女の成長した姿を見て、静かに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る