第13話 黄昏の休息

 森の奥を抜けながら、沈みゆく陽が木々の隙間から淡い橙を差し込ませていた。

 長時間の歩行に、エレナの鎧は鈍く音を立て、ルピの足取りも重くなっていた。


 「……もうすぐ日が沈むな」

 一葉は立ち止まり、周囲を見渡す。

 黒曜樹海の外れに近いとはいえ、魔獣の気配はまだ濃い。無理に進めば夜の闇に飲まれるだけだ。


 「ここで一度休もう」


 そう言って、一葉は近くの倒木を調べ、三人が腰を下ろせる場所を確保した。

 エレナが息をつきながら頷く。

 「助かります……私も正直、限界でした」

 ルピも疲れ切った表情で座り込み、杖を膝に抱えた。


 森の中はすでに薄暗く、虫の声が夜の訪れを告げていた。

 一葉は落ちていた枝を集め、火花を指先に起こす。

 桜霞の柄から小さく火花を散らし、それを焚き木に移すと、ほのかな炎がゆらめいた。


 「……火まで扱えるんですね」

 エレナが驚き交じりに呟く。

 一葉は短く笑った。

 「多少な。森の中で夜を越すなら、火は命綱だ」


 焚き火の明かりが三人の顔を照らす。

 炎の向こうで、ルピは何かを言いたげに唇を開きかけたが、結局何も言わなかった。

 代わりに、小さくつぶやく。

 「……あの勇者たち、今ごろ何をしてるんでしょうね」


 その声には、怒りでも憎しみでもなく、ただ空っぽな響きがあった。

 エレナは少しだけ目を伏せ、静かに答える。

 「どこで何をしていようと、もう関係ありません。今は、ここにいる私たちが生き延びることが大事です」


 一葉は黙って炎を見つめた。

 花と火、二つの属性が同居するこの力のぬくもりが、今だけは人間らしい安心をもたらしていた。


焚き火の炎が落ち着いたころ、ルピが立ち上がった。

 「少し、食べられるものを探してきます。……鑑定眼なら、毒かどうか分かるので」


 その言葉に、一葉はわずかに眉を上げた。

 「夜の森を歩くのは危険だぞ」


 「大丈夫です、近くの木の実や草の種類くらいならすぐに判別できますから」

 ルピはそう言って、杖を手に薄暗い木立の中へ入っていった。


 エレナは小さく笑って彼女の背を見送りながら、一葉へと目を向ける。

 「ルピはこう見えて、こういう時は頼りになるんですよ」


 「……そうか」

 一葉は焚き火の枝をいじりながら、微妙な表情で答える。

 (毒があるかどうかなんて、目で見て分かるものか……)

 そんな疑念を抱きつつも、内心では少し期待していた。


 しばらくして、ルピが戻ってくる。

 手には、赤紫の木の実、白いきのこ、そして土を掘って見つけたらしい芋のような塊。

 「見つけました! どれも鑑定結果では“安全”と出ています!」


 一葉は半信半疑でそれらを覗き込んだ。

 「……見た目、けっこう怪しいな」

 白いきのこなど、どう見ても食べたら倒れそうだ。


 ルピは苦笑いを浮かべた。

 「わ、私も最初はそう思ったんですけど……“滋養あり”“食用可”って出たので……多分大丈夫、です」


 「多分、ね……」

 一葉は思わず呟き、炎の光に照らされたその食材を見つめた。

 異世界に来てから、初めて“誰かの手で作られる食事”を見る。

 それだけで、少しだけ胸の奥が温かくなる。


 エレナはきのこを切り分けながら微笑んだ。

 「少し煮て、味を確かめてみましょう。……食べるのは火が通ってからにしましょう」


 三人は焚き火のそばで、木の実と芋、きのこを少しずつ鍋に入れていく。

 森に、土と草の香りがふわりと立ちこめた。

 まだ食べてはいない。

 けれど、その匂いだけで——どこか、懐かしい“人間らしい時間”を思い出させた。


 鍋の中で、木の実ときのこ、芋がぐつぐつと煮えていく。

 森の夜気に混じって、土の香りと淡い甘みが立ちのぼった。

 ルピはそっと腰のポーチを開き、小瓶を取り出す。

 「これ、街で手に入れた調味料なんです。少しだけ残ってて……」


 淡い金色の粉を指先でつまみ、鍋に落とす。

 とたんに、香りが変わった。

 ほのかに甘く、それでいて落ち着くような、まるで花の蜜を溶かしたような香気が漂う。


 「おお……」

 エレナが目を細め、思わず呟いた。

 「いい香りですね……ルピ、上手です」


 ルピは頬を赤らめながら小さく笑った。

 「えへへ……こう見えて、野外料理は慣れてるんです」


 やがて鍋が静かに音を立て、火を落とす。

 湯気の中に、花のような香りがふわりと揺らめいた。


 ルピが木の器によそい、二人の前に差し出す。

 「……できました」


 一葉は器を受け取り、しばらく黙ってそれを見つめた。

 森で拾った木の実ときのこ、それに調味料の粉だけ。

 見た目は素朴だが、香りだけは妙に食欲を誘う。


 「……毒じゃないんだよな?」

 半分冗談で言うと、ルピはぷくっと頬を膨らませた。

 「もうっ、ちゃんと鑑定しましたってば!」


 その様子に、思わず口元が緩む。

 そして、一葉はエレナから手渡されたスプーンを手に取り、ゆっくりと口へ運んだ。


 ——ふわり。


 舌に触れた瞬間、やわらかい甘みと土の香りが広がった。

 ほろりと崩れる芋の食感。木の実の淡い酸味。

 そして、不思議と心が安らぐような温かさが喉の奥に残る。


 「……うまい」

 短く、それだけを口にした。


 ルピの顔がぱっと明るくなる。

 「ほ、本当ですか!?」


 一葉は軽く頷き、焚き火の向こうでエレナも静かに笑みを浮かべた。

 「ええ……まるで、懐かしい味ですね」


 夜の森に、柔らかな空気が流れた。

 ほんの少し前まで、血と恐怖に包まれていた三人の間に——

 ようやく、温もりと安らぎが戻りつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る