第23話 黒いうずの中心
「今宵も、これまでと同じくこうしてお前たちの顔が見られるだけで私は幸せだ。では、乾杯っ!」
シャルド伯爵が喜色を浮かべてグラスを手に取ると、控えめに掲げてみせる。今まさに、不幸が訪れる前の最後の幸福の瞬間であることは、この時点では疑う余地もない。そのどちらも、誰にも捻じ曲げることはできないということも。
「――うっ……!?」
伯爵がグラスに口をつけてからほんの数秒後の出来事だった。彼は目を見開いて倒れ、咳き込むとともに血を吐き出した。寸暇の沈黙を挟んで悲鳴がダイニングルームを埋め尽くす。
「シャ、シャルド様、いかがなされましたかっ!?」
顔色を変えて真っ先に伯爵を抱き起したのは、なんとグラスをすり替えた張本人である執事のルセフだった。意外と言いたいところだけど、これも自身が疑われないために計算尽くでやったっぽい。
「だ、誰か……医者だ! 医者を呼ぶのだあぁっ!」
「は、はいっ!」
複数の使用人によって倒れた伯爵が寝室へと運ばれてからしばらく経って、屋敷に医者が駆けつけてきて処置を施した。
ところが、医者はこうなった原因がわからないの一点張り。なんとも奇妙な話だ。医者なら顔色や匂い、吐瀉物を調べればすぐに毒であることを見抜けるはずなのに、これは一体どういうことなんだろう。
まさか、誰かによって口止めされてる? 当然、疑わしいのはメイドリーダーのファリアンと執事ルセフだけど、こんな人の集まる場所で馬脚を現すとも思えない。僕は悲しみに暮れる伯爵の寝室から、ファリアンの部屋へと向かった。そこで時間を進めていけばルセフとの接触があるかもしれないと睨んだんだ。
彼女の部屋で時間を少しずつ進めていくと、目を真っ赤に腫らしたファリアンが現れたので僕は指を止める。何を言うつもりなのか様子を見てみようと思ったんだ。
「どうして……どうして伯爵様があんなことに。一体、誰があのグラスをすり替えたというの……? 死ぬべきなのはあの女狐だったはず……」
泣き腫らした顔から一転、その表情にはまともに正視できないほど憎悪の色が浮かんでいた。
僕はそんな般若の形相を見たくなくて、カードに目をやって指で時間を進め始める。多分、いずれもうじきここに伯爵を死なせた本当の黒幕が現れるはずなんだ。
お、ベッドに座っていたファリアンがドアのほうを向くなり立ち上がったので僕はそのタイミングで指を止めた。どうやら誰かがドアをノックして、それにファリアンが反応した格好らしい。
「――ルセフじゃない。何の用?」
ファリアンが冷たく言い放つと、ルセフはにんまりと今まで見たことのないような凄みのある笑みを浮かべてみせた。
「おやおや、ファリアン、随分と冷たい物言いじゃないか。わかっているだろう?」
「……えぇ、わかってるわ。あなたが殺したのよね、伯爵様を!」
「おっと、声が大きいですぞ?」
「やっぱり……こんの畜生野郎っ! 伯爵様を……シャルド様を返して!」
「おやおや、そんなことを言ってもよろしいのですかな? そもそも、ファリアン。君がグラスに毒を盛らなければ伯爵は死なずに済んだのだ」
「……あ、あれは、シスを殺すためよ。あの女は死んで当然のクズ女。容姿だけで伯爵様に気に入られて調子に乗って。おまけにピュアな振りをして、伯爵様の心を虜にした。その罪は万死に値するわ……」
「フフッ。私に言わせれば、あんな小娘のどこがいいのか。私には、君のような恐ろしい女のほうが性に合っている。ゾクゾクするのだ……」
「……最悪ね、あなたって本当に」
呆れ気味に言うファリアンに対し、ルセフは肩をすくめて苦笑いで返してみせた。
「とにかく、ファリアン。私の罪を追求するということは、墓穴を掘るということですぞ。毒を食らわば皿までという言葉をご存知ですかな? ここは、運命共同体といこうではありませんか。私に買収されたあの医者もそうですが。カッカッカ!」
「……本当に恐ろしい男ね。まぁ私もそうだけど。で、これからどうするの?」
「名案がございます。伯爵はもう長くはないでしょう。そこで、彼が亡くなった際に何者かに呪い殺されたという噂を流すのです。その首謀者はどうやら人間ではないようだ、とも」
「……へぇ、考えるじゃない。私、ルセフのことは嫌いだけど、一晩だけなら許してあげるかもね?」
「これはこれは。私も見くびられたものだ。一晩だけでは到底満足できませんぞ?」
「フフッ……」
「……」
もうこれ以上は見ていられない。僕はたまらず目を背けた。こいつらはこれで例の医者と共犯関係となり、伯爵が呪い殺されたことにしてエルフのシスをその犯人に仕立て上げる魂胆なんだろう。
この先はもう目にしなくてもいいかもしれない。真相を知ったのだからさっさと帰還するべきかもしれない。一度はそう考えて未来へ帰ろうとしたけど、僕は寸前で思いとどまった。
いや、ダメだ。このままじゃ後味が悪すぎる。何か一つでもいいから、シスの胸を少しでも穏やかにできる材料を持ち帰ろうと思ったんだ。
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