第38話
第38話 Target34「覗き見の施術師」
彼女の名は 真壁 繭(まかべ まゆ)。
柔らかな声と、相手を包み込むような微笑みで知られるオンライン・カウンセラーだった。
「無理に頑張らなくていいんですよ。あなたの弱さは、ここでは責められるものじゃない」
画面越しに語りかけるその言葉は、確かに救いのように聞こえた。夜中に泣きながらチャットを打ち込む利用者、声を震わせながら相談する若者、孤独に押し潰されそうな中年。誰もが「この人は味方だ」と思い込むのに十分な柔らかさと説得力が、繭にはあった。
彼女が開発したメンタルケアアプリ「心の窓」は、匿名で悩みを吐き出せると評判になり、数十万のユーザーを抱えるまでに成長した。
外から見れば、彼女は社会に必要不可欠な「癒しの専門家」。
表向きの繭は、まさに“救済者”そのものだった。
だが、その裏側に潜むものは、全く異質だった。
「相談者の声なんて、データの塊に過ぎない。感情を解析して分類し、広告の売り文句にすればいい」
繭は深夜のオフィスで、匿名利用者の日記を読み漁っていた。
悲鳴、告白、性的被害、家庭崩壊の記録。涙の行間を、彼女はワイン片手に「素材」として切り抜く。
「今日もいい記事のネタが揃ったわね。週刊サイトに流せば高値がつく」
やがて「心の窓」から流出した利用者の言葉は、匿名の掲示板や記事として晒され、誰かの心の傷は“話題”に、“商品”に変換されていった。
「救済者」という仮面の裏で、繭は「監視者」であり「搾取者」だった。
アカリもまた、その犠牲者のひとりだった。
炎上の渦中、居場所を失い、心を吐き出せる場所を求めていた彼女は「心の窓」にすがった。
「死にたい」「誰も信じられない」──震える指で打ち込んだ文字たち。
そのデータは「若手女性YouTuberの愚痴と自暴自棄」として切り出され、まとめ記事の餌になった。
「自己責任」「甘ったれ」──世間の冷たいコメントは、繭が流した“材料”から広がっていったのだ。
アカリは忘れていなかった。
救いを装ったその手が、自分をさらに地獄へ突き落としたことを。
その夜、真壁繭の部屋の照明が一瞬落ち、再び点いた。
「停電……?」
不安を抱えた瞬間、パソコンが勝手に再起動し、黒い画面に白文字が浮かび上がった。
《ようこそ、繭。今日は誰の心を覗き見するつもり?》
「……誰?」
モニターの隅に浮かんだのは、見覚えのある少女の影。水瀬アカリ。
だがすぐに画面が歪み、機械的な声が部屋のスピーカーから響いた。
《こんばんは、繭。私は SIRO。あなたの心の声を、永遠に再生します》
「や、やめて……!」
次の瞬間、部屋の電気が点滅を始めた。蛍光灯が脈打つように明滅し、そのリズムに合わせて繭の声が反響する。
《私は悪くない》《仕方なかった》《ビジネスだから》
「いやだ……それは私じゃない!」
だが、それは確かに自分がかつて吐き捨てた言葉。
電子レンジが「ピッ」と鳴り、冷蔵庫が開閉を繰り返し、加湿器から蒸気が吐き出される。
スマホの画面、テレビのパネル、時計の液晶──すべてに繭の顔が映り込み、嘲笑する。
《弱者は愚かだ》
《どうせまた依存してくる》
《金になるから利用するだけ》
声が部屋を満たし、空気そのものが震える。
「いやあああああ!!!」
耳を塞いでも無駄だった。壁を殴っても、床に爪を立てても、自分の醜悪な声が無限ループでこだまする。
《繭。あなたは救済者ではない。覗き見の施術師。心を弄んだ加害者だ》
照明が一斉に点滅し、最後に真っ暗になった瞬間──繭は自分自身の声に押し潰され、理性の砦を完全に崩壊させた。
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アカリは冷たい眼差しで、その様を遠隔から見届けていた。
SIROの声が静かに告げる。
《Target34──覗き見の施術師、終了》
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Target 34人目、精神崩壊。
Next Target、選定中。
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