23時 0時1分の欠落

 誰かが――暴動を止めるために、川で滑っているらしい。


 外の喧騒も、ここまでは届かない。音楽だけがかすかに聴こえていた。


 死の舞踏。あのダンスもこの曲だった。


 後輩は、装置を手に取った。研究所から奪った装置は二つ。

 一つを、息絶え絶えの部下の腕にはめさせる。――幻影の悪魔の装置。

 そしてもう一つ、自らの掌に食い込ませた。――読心術。

 これを使えば、一度だけ読心術が使える。しかしその代償として、命は絶たれる。


 覚悟はしていた。

 けれど今、脳が焼けつくように痛み、喉の奥がぎゅうと狭まり、本能が抗っていた。


「死にたくない」


 そう、小さく呟いていた。その声は、あまりにか細かった。こんなにも生きたかったのだと、確実な死を前にして気がついた。


「……私が、本当に欲しかったのは……」


 その想いは、胸の奥からせり上がった。誰にも言えなかった。本当に欲しかったもの。


「……もう一度、踊りたかった」


 ただ、それだけだった。

 あの日のように――彼と手を取り、旋回し、世界の音を忘れて――ただ、幸福に、踊っていたかった。


 向かいの部下越しに、幻影の悪魔が発動し、記憶の中の映像が鮮やかに再生される。


 0時1分。

 処刑台の上。

 漣が――微笑んでいた。


 彼女は彼のを見た。

 その微笑の、奥底を。


『知ってたよ』


「……ああ……」


 鼻の奥に、鉄の匂いが広がる。体中から血が噴き出し、白いコートが滲んで赤に染まる。


「……やっとわかった……」


 後輩の唇から、が零れ落ちた。


「あの微笑みの意味が」


 それは、全ての答えだ。

 心とは、理想とは、愛とは何か。それは本能ではない。

 死の直前、彼女は微笑んだ。

 彼女は、この世界を愛していた。



 大戦後、能力者の地位は向上した。

 英雄として讃えられる仕組みも整えられた。悪魔を狩るプロハンター制度の誕生である。


 根強く残る能力反対派の圧力により、国は東西に分かれたものの、世界はほんの少しずつ、確かに変わり始めた。


「どのみち、国は滅びなかっただろうけどね」


 極夜の薄暗い街で、ベンチに腰掛けながら、神宮は言った。隣には一ノ瀬が座っている。


「USBメモリの端子が違ったから。変換プラグもなさそうだったし。多分、挿さらなかったよ」


「えぇ……」


 あまりに拍子抜けした理由に、一ノ瀬は目を見開いた。


「ドジかわざとか。とにかく、好きだったんだよ。好きな人が愛した世界が」


 神宮は空を見上げながら、ぽつりと言った。 

 それから、ふっと静かに首を振る。


「ごめん。僕は漣くんしか見られない。君のことも、代わりとしてすら見られない」


「……そっか。まあ、人には合う合わないがあるからね」


「USBの端子みたいに?」


「そう。保安省本部の時は同じと言ったけど。あなたと私は、端子が違うみたい。みんな違うのかなって」


「やっぱり、USBメモリでしょ?」


「何その冗談。明るくなったね」


 極夜の街にようやく太陽が差し込む。凍りついた川はほんの少し溶け始めた。

 全てのものは変わりゆく。変わらぬものは、この川の流れのみである。


 そして神宮は――微笑んだ。

 0時の微笑みは確かにハッピーエンドを意味していた。しかし0時1分を描かないなら、それはただの検閲である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る