23時 0時1分の欠落
誰かが――暴動を止めるために、川で滑っているらしい。
外の喧騒も、ここまでは届かない。音楽だけがかすかに聴こえていた。
死の舞踏。あのダンスもこの曲だった。
後輩は、装置を手に取った。研究所から奪った装置は二つ。
一つを、息絶え絶えの部下の腕にはめさせる。――幻影の悪魔の装置。
そしてもう一つ、自らの掌に食い込ませた。――読心術。
これを使えば、一度だけ読心術が使える。しかしその代償として、命は絶たれる。
覚悟はしていた。
けれど今、脳が焼けつくように痛み、喉の奥がぎゅうと狭まり、本能が抗っていた。
「死にたくない」
そう、小さく呟いていた。その声は、あまりにか細かった。こんなにも生きたかったのだと、確実な死を前にして気がついた。
「……私が、本当に欲しかったのは……」
その想いは、胸の奥からせり上がった。誰にも言えなかった。本当に欲しかったもの。
「……もう一度、踊りたかった」
ただ、それだけだった。
あの日のように――彼と手を取り、旋回し、世界の音を忘れて――ただ、幸福に、踊っていたかった。
向かいの部下越しに、幻影の悪魔が発動し、記憶の中の映像が鮮やかに再生される。
0時1分。
処刑台の上。
漣が――微笑んでいた。
彼女は彼の最期の心を見た。
その微笑の、奥底を。
『知ってたよ』
「……ああ……」
鼻の奥に、鉄の匂いが広がる。体中から血が噴き出し、白いコートが滲んで赤に染まる。
「……やっとわかった……」
後輩の唇から、最期の言葉が零れ落ちた。
「あの微笑みの意味が」
それは、全ての答えだ。
心とは、理想とは、愛とは何か。それは本能ではない。
死の直前、彼女は微笑んだ。
彼女は、この世界を愛していた。
*
大戦後、能力者の地位は向上した。
英雄として讃えられる仕組みも整えられた。悪魔を狩るプロハンター制度の誕生である。
根強く残る能力反対派の圧力により、国は東西に分かれたものの、世界はほんの少しずつ、確かに変わり始めた。
「どのみち、国は滅びなかっただろうけどね」
極夜の薄暗い街で、ベンチに腰掛けながら、神宮は言った。隣には一ノ瀬が座っている。
「USBメモリの端子が違ったから。変換プラグもなさそうだったし。多分、挿さらなかったよ」
「えぇ……」
あまりに拍子抜けした理由に、一ノ瀬は目を見開いた。
「ドジかわざとか。とにかく、好きだったんだよ。好きな人が愛した世界が」
神宮は空を見上げながら、ぽつりと言った。
それから、ふっと静かに首を振る。
「ごめん。僕は漣くんしか見られない。君のことも、代わりとしてすら見られない」
「……そっか。まあ、人には合う合わないがあるからね」
「USBの端子みたいに?」
「そう。保安省本部の時は同じと言ったけど。あなたと私は、端子が違うみたい。みんな違うのかなって」
「やっぱり、USBメモリでしょ?」
「何その冗談。明るくなったね」
極夜の街にようやく太陽が差し込む。凍りついた川はほんの少し溶け始めた。
全てのものは変わりゆく。変わらぬものは、この川の流れのみである。
そして神宮は――微笑んだ。
0時の微笑みは確かにハッピーエンドを意味していた。しかし0時1分を描かないなら、それはただの検閲である。
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