第6話 記憶の正体

 普通に考えれば、彼女は、

「何かの犯罪に巻き込まれた」

 と考えていいかも知れない。

 しかも、あの場所は風俗街から非常に近いところにある。それを考えると、

「風俗業界とまったく無関係だ」

 とは思えない。

 そういう意味でも、

「彼女を警察に渡してしまう」

 というのは、坂上にとっては、

「耐え難いことだ」

 といってもいいのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「彼女の記憶が戻るのは、本当に幸せなことなのだろうか?」

 と考えたのだ。

 もし、

「風俗に関係のある記憶」

 ということであれば、

「思い出さないことが幸せなのではないか?」

 と考えると、

「このまま、俺が一緒にいてやることが一番なのではないか」

 と思うのだった。

 坂上は、

「自分が末っ子だ」

 ということで、学生時代から、

「俺は別に家族の中で大切にされていない」

 と思っていた。

 彼の家は、父親が会社をやっていて、というか、小さな町工場だったが、そこは、長男が継ぐことは決まっている。

 それを補佐するのは、次男であり、三男である自分は、家族からも、

「好きなようにすればいい」

 と言われて育ってきた。

 子供の頃には、

「兄貴たちがうらやましい」

 と思いながらも、兄貴たちからは逆に、

「お前がうらやましい」

 と言われてきた。

 お互いに、自分たちというものが、

「気持ちがすれ違っている」

 ということは分かっていたのだが、そのすれ違いがどこにあるのか、子供心に分かっていなかった」

 しかし、次第に分かるようになってきて、兄貴が会社を継ぐための準備段階ということで、

「取引先の会社に、いわゆる丁稚奉公ということで、働きに出る」

 ということになると、まだ高校生だった坂上は、

「どうして、そんなまどろっこしいことをするんだ?」

 と理屈が分からなかったが、兄から、

「それは、仕方のないことさ」

 と言われた。

「どうしてなんだ?」

 と聞くと、

「社長たるもの、他の会社の隅々まで知って上で、会社内部を知る必要があるからさ。順番が違うと、せっかくの成長過程が台無しになってしまうということさ」

 というのであった。

 その時はよくわからなかったが、自分が就職することになると、その時の兄の言葉を思い出し、

「今自分が研修を受けている」

 という過程が、当たり前のことだと感じるようになったのだ。

 それを思えば、

「兄たちも大変だ」

 ということが分かってきた。

 それは、

「自分のことだけでなく、君主というものは、領民のことをしっかりと分かっていないといけないんだ」

 ということであった。

 それを思うと、兄たちが子供の頃、自分のことを羨ましがっていたことも分かる気がしたのだ。

 子供の頃、訳も分からず、家を継ぐという目標に向かっての、

「帝王学」

 というものの伝授があったからであろう。

 それを思えば、

「俺の方が、自由なだけ気が楽なんだろうか?」

 と思うようになった。

 一応、今のところ、

「親の助けを受けずに、何とか仕事もこなせていけているので、それこそ自由だということであったが、もし自分に何かあれば、家族が放ってはおかないだろう」

 ということで、

「まだ自分には砦がある」

 と考えれば、それはそれで嬉しかった。

 高校時代から歴史が好きで、

「城郭や、領主などというものに造詣が深かったのは、無意識ではあったが、兄たちや家族のことを考えていたからではないだろうか?」

 と感じるのであった。

 今は、若さというのも手伝って、精神的にも肉体的にも、

「少々無理をしても大丈夫」

 という気持ちがあるからか、何とかできているのも、そのおかげだと思っていた。

 だから、本当は、

「封建制度」

 というのは、基本的に嫌いだと思っていたが、

「家族ということで、兄弟に危機が起こると、いざ駆けつける」

 という気持ちは心の奥に持っていたのだ。

 実際に、兄たちのために、行動をしたことも、兄たちが、坂上のために行動をしたことがあり、それぞれに、

「当たり前のことだ」

 ということで、別に、

「帝王学には関係ない」

 と思っていた。

 今でもその感覚は変わっていないが、

「彼女を家に置く」

 と考えた時、

「兄弟や家族の縁を切ることになるかも知れないな」

 ということも、

「最悪」

 ということで、脳裏をよぎったのであった。

 もちろん、あくまでも最悪ということであり、それも、

「彼女が、予期もしない犯罪に巻き込まれているのだとすれば」

 ということであった。

 もっとも、そもそも、

「自分にはそこまでの覚悟はない」

 とも思っていることで、

「自分の悩みは、まだまだ終わらない」

 と思うのだった。

 だから、

「無限に考えること」

 といえるかも知れないし、これが、

「負のスパイラル」

 なのかも知れないとも感じていたのだ。

 だから、

「いざとなった時、俺はどっちを取るだろう?」

 と、

「家族か彼女か?」

 ということであるが、少なくとも、

「今の俺は、彼女のことしか頭にはない」

 ということから、

「俺は結局、目の前のことしか考えられないんだ」

 と思うのだった。

 しかし、それは、

「彼女を助けたい」

 ということではなく、

「自分を納得させたい」

 という感情からきていた。

 そこに、もし危険があったとしても、

「それでも仕方がない」

 と考えるのは、あくまでも、

「他人事」

 ということになるのであり、これが、家族や兄弟に関わることであれば、

「こんなに簡単に、判断できることではない」

 と思うのであった。

「子供の頃から、自分たち兄弟は、いつも、家族とまわりを天秤に架けてきたな」

 と兄弟で話をしてきたが、その結果として、

「いつも兄弟を選んできた」

 しかも、その中でいつも、兄たちは、坂上に詫びを入れていた。

「お前が家を継げるわけでもないのに、そんな立場で、よく俺たちを助けてくれる気になったものだ。お前は本当に偉い」

 と言われた。

「くすぐったいな。俺はそんな大それたことは考えていないさ。ただ。兄弟だから助けたいと思っただけさ。それに、俺は兄貴たちよりも気楽だからな」

 というと、

「それがお前のいいところなんだ。俺たちは、これからも、ずっと兄弟だ、困ったことがあったら、いの一番に相談してくれ」

 と言ってくれたものだった。

 実際に、それを聞いて、

「いざとなれば兄貴たちがいるじゃないか」

 ということで、

「何かあれば、相談すればいいんだ」

 とタカをくくっていた。

 しかし、そこまで言われると、今度は、

「意地でもいえなくなっちゃったじゃないか」

 という思いもあったのだ。

 だから、今回のことも、

「本当に切羽詰まれば分からないが、それまでは、自分で何とかしよう」

 と思っていた。

 しかも、その思いは次第に強くなってくる。

 実際に、一番最初は、

「兄貴たちに相談すればいいことだ」

 ということで、最初から、

「丸投げしよう」

 とまで思っていたほどだった。

「兄貴たちなら、俺のために何とかしてくれる」

 と思い、さらに、

「俺は兄貴たちに貸しがある」

 とまで思っていた。

 実際に、

「貸しがある」

 と思った時の感情を忘れることはない。

 忘れられないほどの感情だったことから、今度は、

「兄貴たちに頼ってはいけないんだ」

 という感覚になったのである。

 兄貴たちとは、時々遭ってはいるが、

「お互いのことは、あまり話をしない」

 だから、たぶんであるが、

「お互いに、困ったことはない」

 とそれぞれに思っていることだろう。

 特に、坂上の方は、

「一度助けた」

 という自負があることで、余計に、

「もう兄貴たちに負い目はないはずだ」

 という思いが強くある。

 それは自分の中で、

「助けた相手には、ずっと無事でいてほしい」

 という、

「自分自身で助けたことへの納得」

 というものをしたいからだ。

 それがいずれは、

「助けたことで恩を売ったのだから、いざという時に助けてもらっても、罰が当たらない」

 ということになるからだ。

 この考えは、

「卑怯だ」

 といえるかも知れないが、人間というものは、そんなに強いものだというわけではない。

 当然、

「弱いものだ」

 ということで、

「だからこそ、親友や友達がいるんだ」

 ということだった。

 そもそも、坂上は、

「友達はいらない」

 と思ったのも、

「俺には、友達100人に匹敵する優秀な兄たちがいる」

 と思っているからだった。

 そんな兄がいることで、

「俺だって、いざとなれば、自分で何とかできるだけの技量があるはずだ」

 と、

「自分を納得させることができるだけの考えが生まれる」

 というものであった。

 だから、今回、女の子を家に連れて帰ったのも、そういう自負があったからだ。

 もし、そんなものがなければ、

「もし、後悔する」

 ということになったとしても、それ以上に、リアルな状況を思えば、

「警察に連れていくしかないではないか」

 ということになるだろう。

 警察に連れていくということもせず、家に匿った。

 へたをすれば、

「誘拐」

 であったり、知らないこととはいえ、

「何かの犯罪の片棒を担ぐことになるかも知れない」

 というわけで、とてもではないが、

「そんな責任を負うことはできない」

 と思うだろう。

 しかし、それを分かったうえで、それでも、家に連れて帰った。

「後悔をしたくない」

 あるいは、

「自分を納得させるため」

 ということだけで、連れて帰ったのだ。

 そこには、前述のように、恋愛感情などはない。

 もし、恋愛感情があったとすれば、それは、

「自分の中の妄想に振り回されているだけ」

 ということで、

「我を忘れてのこと」

 ということになるだろう。

 実際に、彼女を家に連れて帰った時、自分の中で、

「覚悟の正体」

 というものを考えたうえでの行動だったはずだ。

 それを思えば、

「まず考えることとすれば、彼女の記憶の問題」

 ということで、

「その記憶が思い出すべき記憶なのかということを見出さなければいけない」

 ということになる。

 しかし、これは、

「実は一番難しい」

 ということである。

 もし、

「思い出すにはあまりにも辛い」

 ということであれば、

「それを俺が無理やりに引き出すことになれば、それこそ、一生かけてもぬぐうことのできない後悔を背負うことになってしまう」

 ということだ。

 だから、この問題が、

「思い出していいものかどうかの見極めというのは、本当に難しい」

 といえるだろう。

 特に、

「記憶というものは、一度思い出し始めると、一気にある程度までは思い出すのではないか?」

 と思っていた。

 それまで、トラウマになってまで、必死に忘れようという意識の下。記憶が失われたわけであって、それが、

「思い出す」

 という空気に乗ってしまえば、一気にその力は、他力であっても、倍層するというものだ。

 それによって、

「思い出したことは、いくら途中で、思い出してはいけないと感じたとしても、それはしょせん、自分だけの意識ということで、他力の風が吹いてきている状況においては、堰き止めることは、もはや不可能」

 ということになるだろう。

 だから、

「記憶を取り戻す」

 ということに関しては、

「記憶を取り戻させようとするまわり」

 というのも、

「取り戻すために不可欠な本人」

 というのも、それぞれに、最初から覚悟を持たなければいけないということになるのだ。

 そういう意味で、

「坂上という男は、どれほどたくさんの覚悟と責任を背負うことになるのか?」

 ということになるのだ。

「俺が、彼女の記憶を取り戻したとして、もし、その時、彼女が一人で支えきれない重みをもってしまったら、その責任は、自分にあるのだ」

 という覚悟である。

「一人で支えられないものも、二人なら」

 などという、生半可なものでいいのだろうか?

 もちろん、最悪を考えてはいけないのだろうが、

「いざとなれば、二人で心中する」

 というくらいの覚悟が必要というものだ。

 それこそ、

「武士道」

 というものに近いのかも知れないが、そういう意味では、

「武士道というのは、いかに、覚悟というものを持てるかどうか?」

 ということになるのではないだろうか?

 自分がいかに、

「世の中を知らない」

 といっても、

「一度覚悟を持ってしまうと、世の中を知らないということは、言い訳にしかならない」

 ということになるのだ。

 そんな覚悟を持つ中で、見つかったのが、彼女の、

「記憶への糸口」

 であった。

 彼女と数日過ごしてみると、

「性的なことに、恐怖を感じる」

 というような、トラウマのようなものがあるということが分かってきた。

 性的なことというのは、

「実際に、男性が近づいてきたりすると、反射的によける」

 という反応から、近くを歩いている若い男性が、

「下ネタ」

 などで盛り上がったりすると、余計な反応を示すということであった。

 これは、

「やはり、精神的な面と肉体的な面で、性的なトラウマが彼女には残ってしまった」

 ということになるであろう。

 そのトラウマというのが、どのようなものなのかということは、正直分からない。そんな中で、坂上に対しては、一切の拒否反応は示さない。坂上からすれば、

「俺だって、彼女はいないが、風俗の女は抱くんだけどな」

 と感じた。

 そこから考えたところで、勝手な憶測にすぎないが、その一つとして、

「彼女には、風俗嬢というものに対しての偏見のようなものはない」

 ということではないかと感じること。

 そして、

「坂上以外の男性は、そのほとんどに拒否反応があり、まるで、ツバメのように、最初に見たものを親と思うというような感覚なのではないか?」

 という、

「本能的なものを感じる」

 ということであった。

 坂上とすれば、

「やはり、風俗関係者だったのではないか?」

 という思いが頭をよぎった。

 そして、男全般に対して感じる怯えは、

「客から何か嫌なことをされ、さらに、そこから逃げているところで、店からも助けが得られない」

 ということではないかと思うと、

「もし、そうであれば、こんなことが許されていいのか?」

 と考えた。

 しかし、もし、店側に問題があるのだとすれば、

「ここは、彼女を警察に連れていく方がいいのではないか?」

 と考えた。

 これは、

「自分の覚悟との裏返しになる」

 ということで、それが、後悔ともつながるとすれば、

「自分の自己満足のために、彼女を犠牲にしてもいいのだろうか?」

 とも考えた。

 そもそも、彼女がいた場所を考えれば、

「確かに、風俗店に関係ないわけではない」

 といえる。

 ここまでは間違いないだろう。

 そして、男に対しての異常なまでの拒否反応は、

「信じていた人に裏切られた」

 ということもあるかも知れない。

 ということは、

「店で、イロカンを受けているのではないか?」

 とも思えたのだ。

 というのは、

「店の女の子を、色恋沙汰で管理する」

 ということで、

「本来であれば、店の女の子とスタッフの交際はご法度」

 ということになっているのだが、

「店の売り上げを増やすため、人気嬢を辞めさせないようにつなぎ得ために、男を餌に、管理する」

 というものである。

「人気嬢に辞められでもすれば、一気に売り上げが減ってしまう」

 ということで、店長にとっては、

「死活問題だ」

 ということになるだろう。

 最近の風俗店は、他の業界と似たところがあり、

「どんどん、大きなところと合併するか?」「

 あるいは、

「大きなチェーン店にでもならない限りは、生き残っていくことができない」

 ということである。


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