負けず嫌いのツイラク、下
「たしかに……」
二人揃って目を洗われたように、あっさり納得した様子だった。
「そうでしょ」
「おい」
いつの間にか三人の近くまで走ってきていたダイナが、不服そうに声を上げた。
「もういいだろ。ノル、スズ。窓のことは先生方に伝えてるから、ちゃんと謝ってこい」
「ダイナ……」
すっかり毒気を抜かれて、友達は泣きそうな顔でダイナを見上げる。ダイナはその額を順番にコツリとやった。
「反省しろ」
「うっ……」
「ごめんなさい……」
駆けつけた先生たちに連れて行かれた彼らの背中には棘なんてなかった。入れ違ってツキトジ先生が駆け寄ってくる。
「二人とも!」
「センセ~……」
「無茶してもう、あんな機敏に動くアヅキは初めて見たよ!痛いとことかない? 目見せて、ガラス入ってるかも」
アヅキとダイナを順々に診て、目の中も念入りにチェックする。
飄々と気だるい先生が目の前で慌てふためくのを大人しく眺めていると、どっと安心が押し寄せてくる。今になって心臓がうるさい。
「……保健室、スースーになっちゃったね」
「そうね。そんなことどうでもいいの。君たちに怪我がないだけで十分。はあ……」
前髪をかき上げて思いきり深いため息をこぼしたツキトジ先生。
「ゴメンねセンセ~」
「ほんとよ。馬鹿たれぶう」
「ぶう?」
「お母さんたちに連絡するから、今日はもう帰んなさい」
背中に添えられた先生の手が温かくて泣きそうになる。
荷物を取りに戻る途中、ダイナはアヅキの肩にもこぶしを当てた。
「あたっ」
「結構吐き出したよな、お前。すっきりしたか?」
「……後味わるいよ」
「帰ってジュースでも飲むか」
「オレンジで」
「私珈琲~」
「はいはい」
心配した母親が風のように飛んできて、ダイナは慌ただしく帰っていった。
アヅキはママがどうしてもどうしても仕事を離れられないとのことなので、一人で大丈夫と伝えてもらって下校した。
と見せかけて、ノルとスズの帰り道で二人を待ち伏せした。どうしてもどうしても、と頼み込むと少し身構えていた同級生は何とか承諾してくれた。
案内と面会の申請を頼んだのは、ミトの病室。
「あの子なら今朝も来たけれど」
「まじ?」
ミトはベッドにもたれかかって三人を迎えた。ダイナより怖いからね、と念を押されてノックしたのでドキドキしていたのだけれど、言われていたより穏やかな子だった。
「クラスがわたしたちのことで動揺しているみたいだから、もし何かされたり言われたりしそうならすぐ言うようにって。まったく偉そうに」
無感動に嘆息してミトは言った。
「ダイナ、あんたに会いに来てたんだ。じゃあとっくに仲直りしたってこと?」
「するわけがないでしょう。あれは勝手に飛び降りただけだもの。頼んでないのに」
ノルとスズに対し少し低いトーンで淡々と話すミトは、自分の指をいじったり眺めたりして冷たく突き放す。けれどアヅキをちらりと見ると興味深そうに眺めまわし始めた。
「あなた……アヅキって子かしら」
「あ、うん。はじめまして」ミトを前にすると背筋が石のように固まってしまって、アヅキはたどたどしく頷いた。「エット、ケガの具合はどう?」
「すっかりよ。骨も折れていないし、検査の予定が合わなくてちょっと入院が長引いたくらい。助けてくださった先生のおかげね。悔しいけれど」
「そうだったんだ……」
「よかった~!」
胸を撫で下ろしたのはもちろん初対面のアヅキではなくて、ノルとスズの二人だ。心の底からホッとする二人を見て、あのダイナが怒りきれなかった気持ちが少しわかった気がした。
「で、何の用? わざわざ面識もないのに彼女を連れてきたってことは何かあるのでしょう?」
「それは……」ハラハラとした表情で二人が振り返るので、アヅキは一歩進んで、
「あの。事故のこと、聞いても?」
「ダイナから聞いたらいいんじゃないの。新しい友達だって言っていたけれど」
怪訝そうに返されてアヅキは返事に窮した。
ツキトジ先生もあまり教えてくれないけれど、きっとダイナが教室に行けなくなってしまったのは例の転落事故のせいなのだろう。変に掘り下げたらまた思い出させてしまう。
ミトが今のダイナの状況を知らないとなるとダイナは言っていないのだろうから、アヅキからは伝えない方がいいような気がするし。
「……まあ、いいわ。わたし、自分で言うのもなんだけどあの日は相当参ってたの。ダイナが止めたりしなくても一人で飛んでいたわ。……どうせ、羽を戴くなんてまだまだ先のことだからどのみち落ちていたけれど」
ノルが顔を青くして口を挟んだ。
「ダイナ、止めたの……?」
しかしミトは首を振り、肩をすくめる。
「いいえ。煽ってきたわ。ムカついたから飛んだら馬鹿なあいつはなんてこと、ついてきちゃって」
嘲笑と悔しさを一緒に含めたような、そんな声でミトはいう。
「それでその日のうちに死にそうな顔で謝りに来たわね」
「え、そうなの?」
「でも知らんふりしたわ。そこでわたしも謝ったら引き分けになってしまうもの。引き分けはこの世で一番きらい」
「謝ってたんだ……あたしてっきり保健室に逃げたんだと思って」
「そんなやつだったらわたしの脅威ではないわ」
ダイナが弁解しなかった部分をすっぱりと一蹴する。
「あれは本当、早く精算しないと気が済まないたちなのね。せっかちだから」
「なんだ……」
アヅキは思わず大きく息をついた。全部早とちりだったとは。やっぱりお灸を据えておいてほしい。アヅキにはもうそんな気力はない。
気付くとミトの瞳がこちらを覗き込んでいた。
「ダイナのこと、心配していたかしら? そんな必要ないわよ、潰しても潰れないもの」
「やば」
ノミみたい、とか思ったのをギリギリ飲み込んだ。ダイナ相手でもちょっとひどいかも。
集中力が切れたアヅキの考え事をよそに、スズが片割れに耳打ちをする。
「……ダイナにちゃんと謝らなきゃ、ノル」
「謝る? あなたたちが? どうして」
「あ、まずいッ」
「ちがうのミト、私たち、てっきりダイナがミトにひどいことしたと思って……」
何が引き金になったのか、慌てて弁明する二人組を詰める声は止まらない。
「わたしの味方をしたってこと……?」
「わーん」
「ごめんなさぁい!」
「あ、じゃあ、サヨナラしよっかな」
怒るミトの顔はたいそう怖かった。
「ああ、アヅキ」
ノルたちをキュッとやりながら、ミトはこっそり撤退しようとするアヅキを呼び止めた。
「ダイナから離れるならいまのうちよ」
「————……?」
アヅキは首を傾げた。
◯
家にはまだ誰も帰っておらず、用意のあった夕ご飯を食べるとまたアヅキは外に出る。
学校を囲む湿地から少し外れて、舗装されたところに家々が集まっている。
「る~る、るるる、」
小さく口ずさみながらほのかに明るい月夜の道をゆるゆる歩く。散歩にはいい天気だった。朝の方が好きではあるが。
木々を避けるのにも飽きてきたので湿地に出るといよいよ明るくなる。目の前には大きな塔があって、月に照らされた学び舎は昼間の太陽より眩しいような気さえした。
キラキラしたオパールの木。外から見ると、保健室の窓がシートでおおわれておりそこだけ痛々しく見えた。
魔が差して、アヅキはそっと足を踏み入れる。
「おお~」
学舎の中もたいがい明るくて、足元の心配もなかった。
誰の目もないなら、どこにでも行ける。アヅキは自然と階段を登り始めて。
一学年につき教室は一つ。そう多くない生徒を大事に育てる学校は、円柱の塔一つで成り立っている。二年生の教室は二階だ。
入れば息苦しいだけの教室は案外広くて、なんだか懐かしさすらある。戸をくぐって、教卓を通り過ぎ、窓辺に立つ。
昼間に見れば白いであろう窓枠から紺色の空。ちょうどその中に浮かぶ月がよく見えた。
いつまで眺めていようかな、手遊びできるように編み物セットでも持ってくればよかった。そう思っているうちに、近寄る足音を聞き逃した。
いや、ばたばたと聞こえてきて振り返ろうと言う頃にはすでに真後ろだった。
「うわあっ!?」
油断だらけの襟首から後ろへ引き倒され、アヅキは背中を打った。
「痛あ、」
ギュッと目をつぶって痛みが引くまで堪えると、一体何が、とおそるおそる瞼を開ける。
見下ろしていたのはダイナだった。
「……何でこんなトコにいんの?」
助け起こされながら文句がちに問うと、ダイナは「ごめん」と謝ってから言った。
「保健室登校になってから何度か来ようとしてたんだよ。いろんな時間帯で。もしかしたら、普段と違ったら行けるんじゃないかと思って……」
「す、ストイック~」
アヅキは正直に言葉が出た。こんな子がいつまでも立ち直れないわけがない。
「お前は? 連れて行こうとするたびにあんなに嫌がってたのに」
「わたしは誰もいなければどこでも入り放題だから」
「…………」
「お母さんもお父さんも帰ってなかったから散歩にちょうどいいや! って思って、つい」
気を遣ったのか、アヅキの一抹の寂しさを感じ取ったダイナの眉尻がちょっと下がる。
「ご両親、忙しいのか」
「まあ、役所勤めだから。別に不便してないよ、ほったらかされてる訳でもないし、今日のことだってすっごい心配してたみたい」
それが大変な時もあるけど、と小さく付け足す。
「じゃあ家で待ってやってた方がいいんじゃ……」
「ダイナこそ、よく許してもらえたね。迎えに来てたダイナママ、もううちに閉じ込めそうな勢いだったけど」
「まあ母さんは……ちょろいからな。なんだかんだ」
「あ、わるいコドモだ。じゃあ……」
夜に学校へ入っているのはお互い様なので、咎めあっても意味がない。アヅキは悪戯を思いついたような顔で囁いた。
「共犯な、じゃん」
「おい、真似すんな」
「へへ」
誰かの机に飛び乗って、浮いた足をぶらぶらさせる。
人とおしゃべりするにも手持ち無沙汰で、無意識に棒編みの手つきをしてしまう。夜という時間は早いようで永遠なようで、そわそわと落ち着かなかった。
「……あのね、ダイナ」
「?」
「同じ保健室登校の子だって思ったら、勝手にね、気持ちわかると思っちゃった。ごめんね」
「……なんでお前が謝るんだよ」
ダイナが肩をすくめて笑う。
「ダイナに謝ること、いっぱいあるよ。友達にタックルしてごめんね」
「ぶっ」
なぜか吹き出すダイナに引っ張られないようにアヅキは続けて言う。
「カワイイお団子してたのにぐちゃぐちゃにしちゃった」
「だはは! ……いや、先に窓割ったあいつが悪いだろ。悪かったな」
それこそダイナが謝ることないのでは、と思う。クラスメイトだからって他人だ。
「あいつらが悪いし理解しなくてもいいけど……純粋なんだ。ミトと俺が逆の立場だったとしても、あいつらは俺のためにミトを責めたと思う。それが良いって訳じゃないが」
「フーン……」
ふと目が逸れたのを不思議に思ったのか、ダイナはアヅキを覗き込む。
「アヅキ?」
「…………」
「ミトはさ、」ダイナは、慎重に積み上げるようにぽつぽつと言った。「喧嘩ばっかりだったんだ。気取ってて、生意気で。俺は俺でこんなんだろ。でも幼馴染だし、一緒に戦ってると思ってた。同じような速度で隣を走ってるんだって思ってたんだ。俺は」
しかしミトはまた違ったらしい。
「あの朝、初めて知った。人の心が、もろいことを」
誰より強いと思っていた相手を壊してしまいそうだったこと。
「お前がいなかったら、またあいつに同じ速さを望んでいたかもしれない。また同じ光景を見ることになっていたかもしれない。そう思うと、ゾッとする」
ダイナは寒そうに自分の腕をさすった。
それから、アヅキをまっすぐ見つめて言う。
「……俺のほうこそ、ちゃんと言えなくて悪い」
アヅキはゆるゆると首を振った。月の光が、自分の胸を透かすよう。
「ダイナ、もう大丈夫じゃんね」
そう言うと、ダイナは遠い人みたいに笑った。
「……そうかな」
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