負けず嫌いのツイラク、上

「いつか、飛び級で卒業した先輩がいたでしょう」

 ダイナが教室に来ると先ほどまで口ずさんでいた鼻歌が止んで。

 開け放した窓に乗りかかって座る級友は、ダイナをからかって笑ういつもの意地悪い調子とは違っていた。

「なにしてんだよ」

 ダイナは他に誰もいない教室で、机の間に立って言った。

 思い返せば、この時すでに予感はあったのだろうと思う。


 ミトはダイナと目も合わせないで、空に浮かぶ雲をぼんやりと見上げた。

「そのひとは三年生の暮れに羽を戴いて、四年生になる前に旅立っていったらしいわ。きっと相当に優秀なひと……いえ、天才だったのでしょう」

 ミトとダイナは入学する前の幼い頃から何かにつけて競い合ってきた幼馴染だった。初めは小さな競争、それこそかけっこしあう程度のことだったけれど、この学校に入学してから明確な目標ができてしまった。

 卒業して、より立派な青鳥となること。より大きな羽を戴くことだ。

 ミトはちょっと嫌なやつだ。成績優秀なことを鼻にかけて、常に自分が一番でいることに命を賭けるやつだった。そして実際、ダイナが勝てることなんてあまりない。

 でも、絶対に卒業までに追い越してやろうと思っていた。

「であればわたしも五年生を待たずに戴けるはずよ。そうでしょ。誰より――あなたよりずっと勉強できるんだから。訓練だって。そうよね。それなのにどうして誰も褒めてくれないのかしら。どうしてあんたの方が褒められてるの?」

 その日のミトは少し様子がおかしかった。声はうわずって、どこか眠そうなのに眼だけがギラギラ光っていて。

「羽を戴けさえすれば完璧じゃない。羽があればわたしが一番だって、あんたが二番だってみんなわかる」

「さっきから何言ってんのかわかんねえよ。早く戻っ……」

「あなたはこないで」

 血の気が引いて、ダイナは途中で言葉を飲み込む。

 いや。言葉を失った、と言う方が正しいだろうか。目の前でクラスメイトは、窓に乗ったまま身を起こしたのだ。

 そしてそのまま一歩を踏み出すことに本気であった。

「今すぐ羽を戴いて、ダイナ、あんたより先に卒業してやるんだから!」

「…………」

 ダイナを振り返ったミトの瞳に敵意が満ちていて、ダイナも思いきり睨み返した。

 そこまで馬鹿だとは。ライバルだと思っていたのに。

 そう、ダイナは幼馴染に幻滅した。

「……飛べるもんなら、飛んでみろよ」

 ぐっとこぶしに力がこもった。掻き立てられるように足が動いた。

「そこまで言うなら今すぐ生やしてみろよ! ただし飛ぶのは――俺の方が先だ!」

 叫ぶとそれに背を押されるようにミトは空へ飛び出した。ミトを追ってダイナも負けじと窓枠を越え、ほぼ同時に飛ぶ。

 当然、身体は地面の力に引っ張られて、手を伸ばす暇もなく空は遠のいていった。

 木のような建物の形が幸いして、二人は垂直に地面へ激突することはなかった。根元の坂を転げてばしゃんと浅いデルタの水に落ちる。しかしそれでおしまいではなかった。同時に頭上でかすかな異変を感じた。

 ギギ、と軋むような音が響いて、放心している二人を大きな影が覆う。とっさに見上げると——校章を掲げて立っていたはずの大旗がゆっくりとこちらに倒れかかってきていた。


「ダイナっ……」


 ミトの叫び声が轟音に紛れて、ずっと頭の中に響いていた。


     ◯


 ゴン。

 何かが窓に当たったような音がして、アヅキはびくりと肩を揺らした。

「おはようございます」

「オハヨ。ああっ踏まないで」

 いつもより少し遅く登校してきたダイナは、ルームメイトをちらりと見下ろした。今日の床は紐まみれだった。

「なんだそれ」

「……破壊と創造」

「また変なことやってるな」

 あのダイナが、アヅキの顔を見ても教室へ行こうとは言い出さなかった。

 すごく静かだ!

「ダイナ、ダイナ。喉乾いてない? ジュース飲む? この種なんだと思う? ヒントはキク科の一年草」

「あーうるさいっ」

 矢継ぎ早に話しかけられて、ダイナは鬱陶しそうに頭を振った。それから逆にアヅキへ詰め寄る。

「何だよ! 言いたいことがあるなら言えよ!」

「い、いや……」

 いざそう言われても何か言うことも思いつかない。アヅキがごにょごにょとしているうちに戸が雑に開けられた。

「おはよ。なんか騒がしくない?」

「せんせい」

 ちょうどそこへ入ってきた先生は急に詰めかけられて、一歩よろめく。

「センセ~、ダイナが変」

「ツキトジ先生! こいつ変ですどうにかしてください」

「う~んどっちもいつも通りかも」

 ツキトジ先生は苦笑いした。

「付き合ってられん。隣で勉強してるから、ついてくるなよ」

 ダイナは荷物を全部持って、隣にある自習室へと行ってしまった。


「センセ~、聞いてくれないの?」

「先生朝から忙しいんだけどね」

 そう言いつつツキトジ先生は片手間に珈琲のドリップパックを開けている。

「いつも遅刻してくるくせに……」

「遅刻じゃないです。ここくる前に職員室に用があるだけです」

 先生はのらりくらりかわし、ポットのスイッチを押すとようやくアヅキの前の椅子に座ってくれた。

「――で、どうしたの」

 アヅキは小さな小さな声で、こう唱えた。

「ダイナは友達を突き落とした。同じ窓から自分も落ちた」

「な……何? ギャシュリークラムのちびっこたち:または遠出のあとで?」

「なにそれ」

「あぶないね、落としたとか、落ちたとか。……それは噂かなにか? 事実に基づいてる?」

「知らないよ。だって知らない子が言ってただけだし」

「ふ~ん……」

 こぽこぽ、単調な音でお湯が湧いてくる。

 ツキトジ先生の喉が低く相槌を打った。

「アヅキはどう思う?」

「大変そうとは思ってたけど予想より事情が重くって戸惑っています」

「そお……」

 シリアスぶったアヅキのコメントにちょっと笑いを堪えながら、ツキトジ先生は自分のあごを触る。

「……アヅキは、じゃあ、ほんとだと思う?」

 いつもミトに負けててさ、悔しかったんでしょ? ミトのこと、消えてほしいって思ってたんじゃないの。昨日の言葉が頭を渦巻いていて。

 アヅキは机に身を預けたまま、ゆるゆる首を振った。

「ありえない、と、思うんだケドな~……」

 ツキトジ先生は左手のギプスを撫でながらしばらくその様子を見ていたが、「ま、じっくり煮込んでいきな」と椅子を引いた。



 ダイナが部屋に戻ってきたのはちょうど昼のチャイムが鳴るころだった。

「うわ、だいぶ進んでる」

 ダイナはアヅキの手元を見るなり引き気味に言った。ひたすらに編んでいたレースが気付けば何の用途にもできないくらい伸びている。アヅキは全てほどきにかかった。

「え、ほどくのかよ。もったいない」

「これが破壊と創造、だよ」

「…………」

 ルームメイトのことをいつもと違うと思ったのは、アヅキがいつもと違うだけだったのだろうか。ダイナは普通に呆れ顔をして、お弁当を机に置いた。

「いただきます」

「いただきまぁす」

 一緒に手を合わせて、アヅキも自分のお弁当を取り出した。開けてみるといつもと似たような、優しいおかずたち。ダイナの方はかごの中にサンドイッチが入っていた。

「……アヅキ、最近何かあったか?」

「え?」

 お箸を設置し、これから食べようというアヅキに、ダイナは言った。いや、最近というか昨日あったけど。

 ミトって誰? 友達?

 そんなことを聞いても仕方ない。アヅキは一度も二年生の教室に行ったことがないのだし、これからも行きたいとは思わないのだ。それじゃあ、アヅキには何の関係もない。……踏み込む度胸もない。

 というかどうしてそんなことを聞くんだ?

「ダイナが何もないなら、わたしもないよ」

「お前はいっつも変なことばっか……ないならいいや」

 案外あっさりとダイナは引き下がった。雲間に太陽が隠れるように沈黙が訪れて、アヅキはサンドイッチにぱくついているルームメイトを盗み見る。

「ダイナはあるんじゃないの」

「俺?」

 しまった、抑えきれなかった。口を押さえても覆水盆に返らず。

「ゴメンなんでもな、」

「ある!」意外にも勢いのいい即答が返ってきた。「昨日借りてた予備の体操服、まだ返してないだろ!」

「ハ?」

「昨日洗濯すれば今日持って来れたんじゃないのか。忘れてるんじゃねえよ!」

 ぱちくり、口を閉じるのも忘れ、アヅキは呆気に取られてダイナを見つめた。

「おい、聞いてんのか」

「ア、ウン。服? まだ洗ってない」

「やっぱり」

 腕を組んで大袈裟にため息をつく。

「そうやって後回しにしてるから全部面倒になってくんだぞ。気付いた時にやればすぐ済むのに。カビが生えたらどうするんだ。お母さんの身にもなれよ」

 うだうだとフルスロットルで小言が始まった。

 昨日クラスメイトに嫌なことを言われていたのに、いつも通りすぎないか。

「ダイナ?」

「なんだよ?」

「なんか……めっちゃ元気だね」

「なんだよ」

 しかめ面だった顔に戸惑いの色が差す。それを眺めていると、へへへ、と笑いが漏れた。

「そうやってるのがいいよ」

「本当に聞いてるか?」

「ただいま~。はらへった……」

 ちょうど帰ってきたツキトジ先生。ダイナは先生にも苦言を呈し始めた。

「先生ももっとこいつにいうべきなんですよ。いらんところで甘やかすから進まないんです!」

「ええ? 何の話……先生ごはん食べたいんだけどお……」

「アハハ」


 ゴン。


「……なんか音した?」

 確かに、鈍い音が保健室に響いた。ぼんやりと周囲を見回すが何もない。「朝も変な音したんだよね。何だろ」

「朝? おいアヅキ、そういうのをさっき聞いたんだけど」

「そうなの?」

「窓に虫でも当たったかな。それにしては重かったけど……」

 食べ終えた昼食のゴミを片付けるついでにのそりと立ち上がり、ツキトジ先生が大きな窓に手をかける。

「先生! だめです!」

「何が。――おわ!?」

 実際には先生の悲鳴なんとほとんど聞こえなかった。

 保健室に満ちたのは盛大な破壊の音。

 窓ガラスが割られた音だった。

「ひ……」

 アヅキの方もまともに悲鳴なんて出なかった。突然の光景に頭が真っ白になる。

 何? なんで割れたの?

 ガラスの散乱した床を見れば大きめな石が一つ転がっていた。川でよく見かける、流水に研磨されたふつうの石。これが窓を突き破ってきたのか。一体誰が――。

「こらっ、ダイナ! こっちきちゃ駄目! アヅキも奥にいなさい」

 先生の制止を無視してダイナは割れガラスを蹴散らし、無事な方の窓に鼻をつけた。アヅキもならってそうする。

「くそ、あいつら……!」

 ダイナが苦々しげにつぶやいて見下ろす先。昨日の子達だった。こちらを見上げて、顔面蒼白。今にも逃げ出すか、泡を吹いて倒れるかしそうであった。

 ノズだか、スズだか。覚えてないけれど。

「待ってやがれ、今殴って……っ」

 ダイナが窓を離れ、保健室を出て行こうとする。

 しかしアヅキはその逆だった。思いきり開け放した窓から、躊躇なく身を投げる。

「ちょ、馬鹿! アヅキーッ!」

 ツキトジ先生の悲痛な叫びに、胸の内でゴメンと謝りながら。

 急坂のような壁を器用に滑り降りていく。

「わあああ!」

 アヅキは幅跳びよろしく両足でしっかり着地する。派手に水飛沫が上がったものの足首より沈むことはなかった。足の裏がびりびりと痺れる。しかし、そんなことは今どうでもよくて。

 アヅキの顔を見るなり逃げようとする二人のうちどちらかに何とか追いついて、腰に抱きついてともにびしょ濡れになった。

「なんなのあんた! 離してよ!」

 ノルは慌てて引き剥がそうとする。

「あいつが悪いんでしょ。ミトは今も入院してんだよ! 大怪我だったの! なんで手首ひねった程度のダイナの方がショック受けたみたいに保健室に逃げてるの。あたしズルいと思う!」

 アヅキは保健室の窓を振り仰いだ。――ダイナはいない。

「言い訳……」

「え? 何?」

「言い訳だ。聞いてられないね。それは自分のための言い訳だよ。人に石を投げておいて、それをキミは友達のためだなんて言うつもり?」

「はあ!?」

「でズルいってなにかな。ダイナが保健室にいることが? 学校まで来るのだって相当苦しいはずなんだよ、怖いこと思い出して、痛いことを思い出して。だって落ちたんでしょ? 事情はわたしなんかよりキミたちの方が知ってるはずだよね。勝手に大したことないって決めつけて、遠くから石を投げる方がよっぽどズルいと思うんだけど」

「や、やめてえ! ごめんなさい!」

 片割れからアヅキを引き剥がそうと、スズが横からぺちぺち叩いてきた。

 こちらはだいぶパニックになっているらしい。力が入っていないからかあまり痛くないけれど。

「それにホントにダイナの友達? 逃げてるって言ったけど。あり得なさすぎる。わたしの知ってるダイナはっ」

 だんだんとクラクラしてくるのは、大声でたくさん話しているせいか。急に自分では考えられないような動きをしたせいだろうか。狭い喉で深く呼吸をして、言い放った。


「逃げるくらいなら舌噛んでしぬホド、強情っぱりなんだから!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る