第19話 トカゲのリサ


 それから、空は何度も明るくなったり暗くなったりした。

 お腹が減った気がする。でも、もう手持ちの食べ物はない。

 あの樹液を舐められたら、少しはお腹が満ちるかな?

 そう考えてはみるけれど、ぼくはカブさんの力なくしてあそこまで登ることはできない。

 虹色の生き物が通りかかるのをひたすらに待つ間、ぼくはたくさんの虫に出会った。

 それで分かったことだけれど、このあたりでは、ぼくを食べたいと思う虫はあまりいないらしい。

 ヘンテコでまずそうだけれど、どんな味がするんだろう? って気になって、食べてみようとするヤツくらいしかぼくのことを襲って来ない。襲って来たところで、「不味いよ!」と叫ぶと動きが止まる。話をすれば食べられることはないと理解してからというもの、全ての虫への恐怖心は消えた。

 虫たちと話すと、別れの前にみんな必ず、

『動物には気をつけて』と言う。

 ぼくはここへきてすぐのことを思い出しながら、忠告に感謝の言葉を返す。

「虹色の生き物を知ってる虫、全然いないなぁ。いったいあとどのくらい待てばいいんだろう」

 どれだけたくさん待つにしても、どのくらい待つか知っていたい。どのくらい待つか分からないまま、ただ待ち続けるのは辛い。

 しかも、ひとりで。

 グゥ、とお腹が鳴った。今のぼくには、お腹しか話し相手がいない。

「ねぇ、あとどのくらいだと思う?」

 グゥ。

「もう、待つの辛いよ」

 その時、地面がドンドンと揺れた。音が響く。だんだんと、揺れも音も大きくなっていく。

 これは、虫が生み出すものじゃない。

 きっと、動物が近づいてくるサインだ!

「怖い、怖い!」

 慌てふためき、辺りを見回す。大きくて毛むくじゃらな物体が視界に入った。

 その瞬間に閃いた、やり過ごせるだろう唯一の方法を実行に移す。

 簡単なことだ。動きを止めて、土に混じった小さな砂粒のふりをするだけなんだから。

 遊びながら〝死んだふり〟をしたことは何回もあるけれど、まさか砂粒のふりをする日が来るだなんて思ってもみなかった。

「頼む。気づかずにどこかへ行ってくれ……」

『こんにちは』

 突然、声が聞こえた。

「こ、こんにちは⁉︎」

 思わず、声が出た。

『ねぇ、乗って』

「……え?」

『ゆっくり、はやく。そーっとね』

 体はそのままに、目だけで辺りを見回してみる。

 何がいる? 何が喋っている?

 毛むくじゃらがどんどん近づいてくる。毛むくじゃらの吐く息が、風となってぼくの元へ届く。

『ねぇ、はやく。乗ってってば! それとも、見えないの? あなたには見えると思って声をかけたんだけど。なんだ、それならしょうがないか』

 諦めのため息がぼくの頬をかすめた。

 近い?

 ぼくは何度も瞬きをした。すぐそばに存在するらしい何かを見ようとした。

「う、うわぁ! こ、こんにちはぁ!」

 叫んだ瞬間、毛むくじゃらがこっちを睨んだ!

 毛むくじゃらからしたら、ぼくはすごく小さい。だからだろう、まだ狙いを定められるほどしっかりと居場所に気づけているわけではないように見える。数秒の余裕はありそうだ。けれど、悠長なことは言っていられない。

『なんだ。やっぱり見えるんじゃん。ほら、早く乗って! 助けてあげる』

「わ、分かった。ありがとう!」

 ぼくは、助けてくれるという生き物に必死になってよじ登った。

『そのへんの、掴みやすいところをしっかりつかんでいてね。少し飛ばすから!』

「え? ああ、うん。分かっ……たあああ!」

 その生き物は、ぼくが掴むところを見つけたと皮で感じるや否や、シューッと勢いよく駆け出した。

 毛むくじゃらがぼくらに気づいたらしい。しっかりと狙いを定めた目でこちらを睨みながら駆けてくる。

『無意味だろうけど……。はい、どうぞ!』

 その瞬間、生き物が分裂した!

 違う! しっぽが千切れて落ちたんだ!

「え、えっ?」

 毛むくじゃらは一瞬、千切れたしっぽに目をやった、気がする。

 でも、気のせいか、とでも言うように、再びぼくらに狙いを定めた。

『あなたね。きっと、あなたがいるからだわ。ああ、もう。行っちゃうしかないか!』

 生き物は、足に力を込めた。強く地面を蹴った足は、まるでそこにも道が続いているかのように空気を蹴る。

 シュルシュルと空へ駆けのぼっていく!

「う、うわぁ! と、飛んでる? ねぇ、ねぇ!」

『なーに?』

「きみは、一体何なの?」

 問うと、フン、と呆れたような息を吐いて、

『失礼な生き物ね。自分のことを相手に知らせずに、相手のことだけ知ろうとするとか、何ごと? 落っことしちゃおうかしら』

 確かにそうだ。起こっていることに驚いたせいだろう。ぼくは完全に冷静さを失っていた。

「ご、ごめん。ぼくは、ニンゲン。カブト」

『え? あなた、カブトムシじゃないでしょ?』

「ああ、うん。そうだけど」

『じゃあ、なんでカブトって言ったの?』

「え? ああ、いや。ぼくは〝カブト〟って名前なんだ」

『え? じゃあ、ニンゲンっていうのは、私が〝トカゲ〟って言うような感じ?』

「きみ、トカゲだったんだね! そっか。確かにそうだ。体の色が虹色だから、なんかこう、カメレオンとかかと思っちゃった。でも、しっぽが千切れたから、なんか変だなって。そっか。トカゲなら納得だ」

『ちょっと、なにひとりで納得してるのよ。こっちの質問に答えてよね』

「ええと、なんだっけ?」

 トカゲはまた、呆れたように息を吐いた。

『あなたはニンゲンっていう生き物なの?』

「そう。ぼくはニンゲン。名前はカブト!」

『なるほどね。分かったわ。よろしく、カブト。私の名前は、リサよ』

「よろしく。助けてくれてありがとう。リサ」



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