第18話 その場所の名は、レイシス
『ごめん。なにか悪いことを言ったみたいだ』
カブさんが申し訳なさそうに呟いた。
「ううん。とても大切なことに気づかせてもらったよ。ありがとう。カブさん」
『え? そんなたいそうなこと、言ったかなぁ』
「うん。言ったよ。ぼくはもっと死と向き合わなきゃならないって、思わせてもらった」
カブさんがふふふ、と微笑んだ。それはまるで、これまでよりも少し難しいことに挑戦しようとするとき、大人がする微笑みみたいだった。
やってみな。頑張ってみな。応援しているから。
そんな、近すぎず遠すぎない距離から背中を見守ってくれているような、温かみがあった。
『ところで、普通のオリガミが死んでいるようだとして。じゃあ、女の子たちが遊んでいる、キミの目に見える樹液のようなオリガミは、一体どんな色をしているんだい?』
「ええっとね。キラキラしてる。どう言ったらいいかなぁ。カブさんは、虹を見たことがある?」
『もちろん! あるよ』
「その虹を、四角い草いっぱいに広げたみたいなんだ。でも、それを持って見るだけだと、そんなに虹っぽくないんだ。手に持って、こう、角度を変えてみたりすると、色が変わって見える」
『そうか、そうか。見たことがないから、いつか見てみたいと言いたいところだけど、どうもわたしが見たことがある世界に広がっていた色によく似ているみたいだ』
「え? カブさん、オーロラを見たことがあったの?」
『オーロラ、とは違うのだと思うよ。でも、それに良く似た世界なんじゃないかと、わたしは思う。その場所は、レイシス、という』
「レイシス……」
『レイさんがいる場所だよ』
ぼくの心は、まるで雷に打たれたようだった。
興奮を抑えられない!
ついに、レイさんがいる場所に手が届いたような気がする。
「カブさん、見たことあるって言ったよね? じゃあ、行ったことがあるってことだよね?」
ぼくってこんなに早口で喋れたんだ! って、自分でもびっくりするくらい早口で言った。ぼくは興奮して熱かった。でも、カブさんは、なんだか冷めていた。
『うーん』
「え、ええっと?」
『ごめん。わたしは見ただけなんだ。そこへ行くことはできなかった。でも、レイさんと話したことはあるよ。レイさんがあまりに綺麗だったから、声をかけたんだ』
ぼくは、急上昇した心が急降下するのを感じていた。そのせいか、カブさんが話していることを聞くのが精一杯だった。
相槌のひとつくらい、打てばいいのに。
ぼくはただ、ふわふわとやってくるカブさんの言葉を耳で受け入れるばかりだった。
『レイさんは、わたしが声をかけると、返事をしてくれた。笑ってもくれた。でも、わたしが「わたしもそこへ行きたい」と言ったら、ゆるゆると首を振ったんだ。言葉にされることはなかったけれど、「できない」とはっきり言われた気がした』
ツンツン、と体をつつかれた。ぼくはカブさんを見た。するとカブさんは、今度は地面をつつくように指した。
降りるから乗って、と言われた気がして、ぼくはカブさんによじ登る。
『どうしてか、教えて欲しいと思った。簡単に会えるのなら、次でいいと思える。でも、その出会いは奇跡的なものだとわたしは思った。だから、その場で叫んだ。訊かなかった後悔を、わたしはしたくなかった』
カブさんは、ゆっくりゆっくり降りていく。
ぼくが落ちないように、向きやスピードを加減してくれているのを、ぼくは感じる。
『レイさんは言った。「この場所――レイシスへは、虹色のものだけが来られる」と。なるほど、わたしはチョコレート色だから入れてもらえないんだな、と、理解した。でもさ、理解はできても、納得はできないよね。どうして体の色で入れるかどうかを決めてしまうのか。そんなの、酷いじゃないかって。でもね。その出会いから数日かかって、わたしはようやく納得した』
地面に降りたカブさんは、優しくツノを揺らした。
ぼくはその揺れに逆らわず、カブさんの体を滑り降りた。ターザンロープにでもつかまっているみたい。ぷらーん、と体が放り出される。
勢いを失ったぼくの体は、カブさんの顔の前でぶらんぶらんと揺れた。
カブさんはぼくを見ながら、話を続けた。
『あの場所は、気軽に行けてはいけない、神聖な場所なんだ。あの場所にいるものたちは、あの美しい場所で暮らせるけれど、反対に、この美しい場所では暮らせないんだ。わたしたちを跳ね除ける虹色という縛りは、檻でもあるんだ』
「檻?」
カブさんの言葉に言葉を返したのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。
カブさんも、ぼくと同じことを感じたみたいだ。表情がふわっと優しくなった。ぼくには喜んでいるように見えた。
『そう。だからわざわざ来るなと言ったのだろうと、わたしは思った。きっと、外から見たら魅力的であっても、内側から見れば必ずしもそうではない。こちらからあちらが虹色に見えるように、あちらからこちらは虹色に見えているんじゃないか、なんて考えたりもした』
「なんか、ちょっと分かるかも。楽しそうにしてるからいいなって思って、仲間に入れてもらったけど、あんまり楽しくなかったことがあるんだ。たぶん、そんな感じってことだよね」
『そうだね』
その時、風が強く吹いた。シャララ、と、さっきまで登っていた木から、葉が鳴る音がした。
『キミは、レイさんに会いたいんだよね?』
「うん」
『それなら、じっと待つといい』
「待ってるだけ?」
『うん。そうしたらいつか、虹色の生き物に出会うだろう。虹色の生き物に出会ったら、することがある』
「なに?」
『挨拶だ』
「挨拶?」
『相手の目を見て、挨拶をするんだ。そうすればきっと、その生き物がキミをレイシスへ連れて行ってくれることだろう』
カブさんがツノを下ろした。それから、ブンブンと優しく左右に振った。
その様子を見て、ずっと草を括りっぱなしだったし、ぼくのことを吊るしてもいたから痛くなったのだろうと考えた。
ぼくはまず、カブさんにかけていた輪を外そうとぴょんぴょん跳ねた。かける時はもう少し簡単だったような気がするけれど、外すのはなぜだか難しい。ぴょんぴょん跳ねては少し移動して、また跳ねた。
不器用なぼくに痺れを切らしたのか、カブさんはもっとツノを低くしてくれた。
「ありがとう」
『こちらこそ、ありがとう。キミがレイシスへ行けることを、心の底から願っているよ』
「うん。虹色の生き物に挨拶をして、それで、きっと――」
ぼくが伝えたいことを全て言葉にする前に、また、強い風が吹いた。
ジャララ、と騒がしい音がした。
まるで生きているかのような一筋の風が、ぼくとの繋がりを失ったカブさんの体を巻き上げた。カブさんは少しも抵抗することなく、その風に巻かれて、飛んでいった。
「カブさん、カブさん!」
ぼくの体には、ハーネスがわりの草が巻き付いたままだ。そのせいで、ぼくはうまく走れない。ぼくの目に映るカブさんの体がどんどん小さくなっていく。
言わなかった後悔を、ぼくはしたくなかった。
「カブさん! ありがとう! ぼく、絶対レイさんに会うから!」
叫ぶと、もう米粒ほどの大きさになったカブさんが、風と踊るようにクルクルと舞った。
声は聞こえない。表情は分からない。
その舞いが、カブさんの意思かも分からない。
でも――。
都合がいいかもしれないけれど、ぼくはその舞いに、確かに背中を押してもらった。
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