第2話 「二重契約」
台車をガラガラと押しながら歩くこと三十分。花はようやく足を止めた。スマートフォンの画面上で赤いピンによって示されている場所。その前に着いたようなのだ――しかし。
「え……アパートらしき建物ないんですけど……?」
あたりは普通の住宅街で、一戸建てがほとんどだ。引っ越し先は住所と契約内容しか気にしていなかったため、外観や間取りは調べずじまいだったのだ。実を言うと、新しい大家の人にも直接会ったことはなかった。
怪しいといえば怪しいが、逆にしっかりしすぎていて、両親が亡くなっており未成年ひとりで勝手に住もうとしていることがバレるのも嫌だ。そう考えた花は、ちょうど見かけた良い話に飛びついたのだった。
――それが、現在の結果である。
「確かめなかった私も悪いけど……」
マップのストリートビューでも見ておけばよかったと後悔する花。しかし、もう契約してしまったし変えることも難しいだろう。マップアプリが示す花の新しい部屋――それは、黒い屋根に、ベージュの外壁。本当に普通の一軒家だったのだ。
「まさか……あの値段で二階建ての一軒家借りられるわけないしね……きっと中身はアパートみたいになってるはずよね」
花は台車を一旦家の前に置き、ドアへ向かうため三段しかない短い階段を上る。鍵は預かっていない。もうすぐ十二時になるところだが、この時間に新しい大家の人とここで待ち合わせをする予定なのだ。もしかしたらドアは開いていて、その先に大家が待っているのかもしれない。
そう思った花が、玄関と思しきドアの取っ手に手を伸ばしたその時だった。
――ガチャッ!
勢いよくその扉が開けられたのだ。それも、内側から。
外開きのドアに思い切りぶつかり、花は吹っ飛ぶ。
「きゃっ」
ガシャーン!
道路に飛ばされた花の体は、そこに止めて置いた段ボールと台車に突撃。幸いアスファルトに直撃しなかったため、その引っ越しの荷物にぶつかった衝撃の痛みしか感じなかった。
「痛っ……」
花がのろのろと起き上がり、崩れた段ボールをもとの台車に戻していると、背後から声を掛けられた。
「おい、お前が大家か?」
(え?)
花は振り向く。そうだ、ドアが先ほど何故か内側から開けられた――つまりそこには、花が開ける前にドアを開け放った人物がいるはずなのだ。
花の視界に映る人影――そこには。
「お前が大家かどうか、聞いてるんだけど」
ぶっきらぼうな口調でそう言いながら、こちらを睨んでくる男――年は花と同じくらいだろうか。男の子という年齢ではなさそうだが、そんなに年がいっているようにも思えない。
黒いパーカーに、黒いズボン。全身黒ずくめの彼は、冷徹そうな目でこちらを見ていた。
「私……? 大家じゃないけど」
「は? じゃあなんでここに入ってこようとしたんだよ」
「え、だって私が借りたんだもん、この家。あなたこそ大家じゃないの?」
花は改めて彼を見つめた。しかし彼が大家だとは到底思えない――花が電話した相手の声は、どう考えても女性だったのだから。
「は? 何言ってんだよ」
彼は更に眼光を鋭くさせた。花は少しそれにドキリとしながら口を開く。
「何言ってんだよ、は私のほうもなんだけど。あなた大家じゃないなら、なんでこの家に入っていたのよ」
少しの間、沈黙が落ちた。花も男も、その場で一歩も動かず睨み合う。しばらくして、男のほうが諦めたように口を開いた。
「……俺もこの家を借りたんだよ」
「え? どういうこと……?」
「聞きたいのはこっちのほうだよ。お前の様子を見ると、普通に引っ越してきてるしな」
男は花の背後にある台車と段ボールにちらりと目をやって言った。花は何の言葉も口にすることができない。それくらい頭がこんがらがっていた。
(この人も大家さんと契約していて、この家を借りていて……まさか)
花が気づいたところで、彼もまたピンと来たようだった。声が揃う。
「「二重契約(ダブルブッキング)……?」」
パチパチパチパチパチパチ。
どこからか乾いた拍手が聞こえてきた。
「いやあ、お見事。ここでハモるなんて相性がいいね」
花と男はびっくりして声の主のほうを見る、いつの間にか、二人が向かい合っているところの横に、女の人が立っていたのだ。こちらも黒系の服に身を包んでおり、魔女を思わせるような大きなサイズの帽子を被っていた。
「その通り。あたしが二人と契約したのさ」
「えーっと……あなたは?」
花のもっともな疑問にその女の人は大きく頷いた。帽子を取って、花と男の顔を交互に見て微笑む女。
「あたしは宮月やよい。この家の持ち主で、住人で、あんたら二人の契約相手さ」
そして女――宮月やよいはパンッと大きく手を叩いた。
「いろいろ聞きたいことがあると思うが、それは家の中で話そう。ルームツアーもしたいしな。さ、入った入った」
やよいは花の引っ越しの荷物を台車ごと軽々と持ち上げると、ぽかんとして固まっている二人を先導するように扉の中へと入っていく。花と男はしばらく動くことができなかったが、やがて思い出したかのように彼女の後を追って家の中へと入っていったのだった。
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