ニセモノカゾクと赤い嘘

咲翔

第1話 噓つきの出立


『じゃあ、お引越し日は明後日ということで。お会いできるのを楽しみにしておりますね』


その言葉を最後に、通話は切れた。久野井花は、スマートフォンを耳から離して大きく息をつく。


「大家さん、いい人そう……良かった」


 花は先月、両親を交通事故で亡くしたばかりだった。年齢はまだ十七、四月から高校三年生になる身である。しかし、家族のことなど顧みないで自分中心の思考しかしない男と女など、花にとっては他人に近かった。


(私……あの二人のこと、パパとかママとか呼んだことあったかしら)


 そう考えてみるが、もう今になってはどうでもいい。形ばかりの葬式は済んだし、もう二人の体は土の下だ。故人に対して不謹慎だとは思うが、死んでくれて清々したという気持ちがあることは確かである。

 一応家族であった二人と住んでいたアパートの部屋からは引き払うことにした。契約を三月末で解除したから、四月一日――つまり明後日からは独り暮らし。幸いにも、すぐに物件は見つかった。先ほどの電話はその最終確認だったのだ。


(とりあえず引っ越してからじゃないと始まらないわね)


 花はぐるりとあたりを見渡す。物がなくなって、どこか寂しく感じる部屋。こんな家になんか、あんな家族になんか未練も思い入れもないのに。

 ――なぜ寂しいと思うのだろうか。


 どこか感傷的になってしまいそうで、花は慌てて手元の段ボールに目を向ける。引っ越しというともっと大きな段ボールを大きなトラックが運んでいそうなイメージだったけれど。家具のほとんども売り払った今、花の私物は中くらいの段ボール二個分にしかならなかった。


(明日最後のゴミ出しをして……それで本当に準備は終わりね)


 花はそう心の中で確認すると、まだしまっていなかった寝袋を広げてその中に潜り込んだ。

 春の夜は、まだ肌寒い。花は寒さに耐えるように、薄い寝袋の布をギュッとつかんで目を閉じる。


 ◇◆◇


 四月一日、ついに引っ越しの日がやってきた。花は今のアパートの大家に借りた台車に、二つの段ボールと寝袋を乗せる。


「よし、準備オーケー」


 花冷えともいうべき寒さの中、正真正銘空っぽになった部屋の前で花は一息ついた。制服は段ボールにつめるとしわになりそうだったので今着ており、その上には冬物の厚手のダウンを羽織っている。


「久野井さん、準備できましたかね?」


 声を掛けられた花が振り返ると、そこには台車を貸してくれた大家が立っていた。気のよさそうなおじいさんである。


「あ、はい。準備できました」

 花はそう頷き、向き直って頭を下げる。

「大家さん、本当にお世話になりました」

「いやいや、こちらこそ。ご家族は先に引っ越していかれたのに、花ちゃんは学校が終わるまで待って三月はひとりで暮らしていたんだから。高校生で一か月だけとはいえひとりで暮らすのは、すごいことだよ」


 そういえば、父と母が死んだことは葬式を執り行った身内以外に知らせていないのだった。大家には仕事の都合で親が先に引っ越したと伝えており、花は学校のために少しの間別々に暮らして、その後引っ越すという筋書きである。

 だからもちろん、契約解除の手続きは父の名義で行った。それに、本当は学校は変わらないのだが遠方に引っ越すということにしている手前、引っ越した後この大家にバッタリ会うのは避けたいところである。


「そんなそんな。まあ、これからは親と一緒に暮らせますし、この一か月もそこまで大変じゃなかったですよ」

 花がそういうと、大家が大きく頷く。

「そうかい、そうかい。まあ、よかったよ。家族一緒が一番ですからね」


 家族一緒……ね。花は心の奥底に、チリリと鋭い棘が生まれたのを感じる。それを見せないように花は笑顔を浮かべた。


「本当にありがとうございました。台車は、駅まで段ボールを運んだらまた返しに来ます」


 また小さな嘘をつく。本当は徒歩で行けるところに引っ越すのだが、大家には新幹線に荷物を積むため、そこまで運ぶのに必要だという理由で台車を借りている。

 すると大家はフルフルと首を横に振った。

「その台車、古いしあげるよ。新幹線から降りるときも必要だろう?」


 そうだった。新幹線という大嘘をついたはいいが、そもそも車内に段ボール箱を持ち込めるのだろうか。それに降りるときの運搬方法までは考えていなかった。


「あ、そっか」

 だから今気づいたようなふりをしてみる。

「じゃあ、お言葉に甘えて台車いただきます。ありがとうございます」


 花の感謝の言葉に、大家はニコリと笑った。


「まあ、もう会うことはないかもしれないけれど、元気でね」

「はい、ありがとうございます。大家さんも、お元気で」


 こんなに優しい人を、騙してしまった。――そんなほんの少しの罪悪感とともに、花はアパートを後にする。

 歩きながらスマートフォンを取り出し、マップの検索欄に新しい住所を打ち込んだ。


(徒歩三十分……か)


 最短ルートはバスだったが、こんな台車を乗せるわけにもいかない。花は台車をゆっくりと動かす。そして、マップの指し示す通り、新しい家へ向かって歩き出した。

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