第1章ー④ ブラックチョーカー

「おはようございます、凛さん。体調の方はいかがでしょうか。」


ベールのような弱い雨が降り続く中、神崎さんが傘を差し出してくる。軒下に入っているのに傘を畳まないのはきっと、これからすぐ現場に向かうつもりだからだろう。家の正面の通りでは雨晒しのグレーの車が私を待っていた。


「大丈夫です。今日はよろしくお願いします、神崎さん。」

「こちらこそ。」


神崎さんは軽く一礼すると、私の背後に目を向ける。玄関に下りずに前のめりになって私を見送ろうとしている母が、それに視線で応えていた。


「ではお母様、凛さんは責任もってお預かりいたします。十八時までには凛さんが帰宅できるよう計らいますが、遅れる場合は事前に連絡いたしますのでご了承ください。」


「ありがとうございます。じゃあ凛……気を付けてね。」


背中を押すように母は私に手を振った。私を不安にさせまいと無理して笑っているのが丸分かりの微笑みが、今日はなぜか綺麗に見える。


「うん。行ってくるね、ママ。」


母に手を振り返し、私は神崎さんが差し出した傘を受け取った。ワンタッチ式の濃紺の傘はボンと音を立てて花開く。閉じていく玄関の扉を背に、私は神崎さんの後に続いて家を出た。


「現場まで少々距離があります。到着までに色々と説明することがあるので、凛さんは助手席にお願いします。」

「あ、はい。わかりました。」


傘を左手に持ち直して神崎さんは助手席に面したドアを開く。見た目はその辺を走ってる車と変わらなかったけれど、中を見れば運転席周りには存在感のある無線機が備えられていた。畳んで巻き取った傘を後部座席に置いて助手席に腰を下ろす。固くも柔らかくもないシートの感触が全身を包み込んだ。


「発進するのでシートベルトをお願いします。」


助手席に私が座ったのを確認して神崎さんは運転席へと回り込む。私と同じように傘を後部座席に預けると、車のエンジンをかけた。明るくなったカーナビの画面を神崎さんの指が走る。


「SEIHOシネマ新宿へ。」


カーナビの機械音声の担当者なのではないかと疑う無機質な声。その指示を受けたカーナビは短く返事をすると、車はひとりでに走り出した。最近普及しつつある自動運転とやらなのだろうか。神崎さんの足元を見てみれば、踏んでもいないアクセルが勝手にスピードを調整しようと動いている。


「事前にお伝えした通り、凛さんにはサイコメトリーを使って誘拐された加賀見さんの行方を追ってもらいます。犯人は加賀見さんにナイフを突きつけ、舞台挨拶が行われていたシアターから逃走。その後、行方をくらませています。ここまでよろしいですか?」

「はい……あの、質問いいですか?」


私が小さく手を挙げると、神崎さんは『どうぞ』と短く許可した。リズミカルにフロントガラスの水滴を拭き取るワイパーの音が、次の言葉を考える沈黙を唯一かき消していく。


「SEIHOシネマって結構大きい映画館ですよね。監視カメラの映像とかから、どこに行ったとかはわからないんですか?」


「残念ながら、映像で捉えられたのはシアターを抜けて犯人と加賀見さんがバックヤードに向かった部分までです。監視カメラの方は別の刑事が担当しているので詳細までは知りませんが、映画館だけでなく近辺の路上の監視カメラにもそれらしい人物は映っていなかったと。監視カメラがないルートを使ったか、あるいは……」

「瞬間移動、とかですか?」


脳から直結で飛び出した思考に神崎さんは無言で首を縦に振る。どこかで薄々思ってはいた。ワイドショーの映像を見ただけなら、あれはセンセーショナルではあるけど単なる誘拐事件だ。テレビでもよく見る捜査一課の出番だろう。なのに捜査一課じゃない、神崎さんがこうして捜査に参加している。ということはこの事件、超能力絡みだと当たりがついている。


「映画館以外の足取りが全く掴めない以上、警察はそう踏んでいます。今日の凛さんの仕事は、その可能性を確定させることです。監視カメラの映像はダメでも、サイコメトリーなら二人がどのようにして映画館を出たのか調べられる。我々はそう考えていますが、相違ないですか?」


神崎さんが私の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。特に責められているわけではないのに、自然と背中の筋肉が張り詰めた。雨のせいだけじゃない嫌な湿気が、肌にまとわりついてくる。取り調べを受ける容疑者って、こんな感じなのかな。


「三日前だったら全然読み取れると思います。『物の記憶』というより『物視点の映像』って感じなので、アングルによっては見えないかもしれないですけど。」

「十分です。犯人が逃走に瞬間移動を使ったのか否か、それだけわかれば。」


どこか突き放したような、期待してないような口調で神崎さんは言い切る。昨日も感じたけれど、この人は超能力を特別扱いしていない。捜査の役に立つからという前提で、あくまで淡々と、事務的に、人間が持つ一般的な能力と平等に。意図しているのかいないのか、そんなスタンスが楽な一方で、どこか不気味に映る。


 大通りが交わる交差点の信号が赤に切り替わる。それを感知したのか、自動運転システムは前方車両と模範的な間隔を開けて停止した。周りの車のエンジン音もそれに伴って小さくなっていき、雨と雑踏の音が色濃くなっていく。


「規制緩和反対!」

「超能力者に法の管理を!」

「市民に安心を!」


雨の日特有の静けさを打ち破るように、怒鳴り声が通りを闊歩する。窓の外では雨にもかかわらず、十数人ほどの人がプラカードを掲げてデモ行進をしていた。雨の軌跡で歪んだ車窓の景色から、どうにかプラカードに書かれた文言を読み取る。


『超能力犯罪者に厳罰を』

『超能力登録制度緩和反対』

『規制緩和より安全』


読んだそばから水滴で歪んでいくプラカードの文字。鉄のドアを隔ててそこにある負の感情に、胸が詰まった。思い返せば、あの日も雨だった。手袋にまだ血が染み込んでいるように思えて、反射的に指同士を擦り合わせる。湿気でべたついた手袋を取れないことが、悔しくて仕方なかった。


「では凛さん、質問がこれ以上なければ次の話に移らせていただきます。」


信号待ちをしていた車が一斉に走り出したエンジン音で、デモ行進の声はかき消された。代わりに切り出した神崎さんの方へ目を向けると、いつの間に取ったのか十センチ四方ほどの小さな箱を手に持っている。自然と私の目がそれに吸い寄せられると、神崎さんは箱を片手に言葉を続けた。


「警察では超能力を持つ刑事に対して安全装置を身に着けることを義務づけています。白いチョーカーを着けた警察官なんかを見たことはありますか?」

「テレビとかでなら、一応。ホワイトチョーカー、って人達ですよね。」


昔テレビで見た映像が頭を過ぎる。シャツの襟から覗く眩しい白。首を一周するその印は市民の間でも有名だ。超能力を活かして平和を守るヒーロー。あるいは正真正銘の国家の犬。ホワイトチョーカーに対する見方は、人それぞれだ。


「はい。本来は警察関係者のみに対する措置なのですが、今回は一時的とはいえ捜査に協力する凛さんにも類似の措置を取るように指示がありました。」


神崎さんがこう言うということは、箱の中身はあの白いチョーカーなのだろう。超能力の万が一の暴走に備えて、いざという時着用者を無理矢理気絶させる機能があるというあの。


 超能力の活用だなんだと言って、結局超能力は社会にとって潜在的な脅威に他ならないのだ。


「そう、ですか。」


いつの間に口に溜まっていた唾を呑む。別に拒絶はしない。しても意味はない。取引した時点で、私は神崎さんの言うことを聞かなきゃならない。


 目の前でゆっくりと神崎さんの手が箱を開ける。しかしそこに、あの眩しい白のチョーカーは入っていなかった。代わりに入っていたのは背景に溶けてしまいそうな、黒一色のチョーカーだった。


「えっと、これは?」


予想に反した出で立ちのチョーカーを思わず指差して神崎さんに問う。神崎さんは指先でその黒いチョーカーを摘まんで取り上げると、私に差し出した。


「従来のホワイトチョーカーの機能は主に、付属のスイッチによって緊急時に着用者を安全に気絶させるものです。その機能はそのままに、着用者の超能力の使用を制限する機能を加えたものがこちらのチョーカー。警察での実用化はまだですが、安全性の試験などは済んでいます。」


そうですね、と神崎さんは空いた手を顎に当てて遠くを見つめる。


「あえて言うとすれば……ブラックチョーカー、といったところでしょうか。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Black Choker ー警視庁超能力犯罪捜査課ー @HumiTorino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ