第4話 鉄の皮膚

サンドバッグに、A4サイズの紙がガムテープで貼りつけられている。

 そこには、父・拓馬の写真。隣には、母・美沙の写真。


 ジムの誰もその写真が誰か知らない。気づいても、触れない。

 大は黙ってそれを殴り続けている。


 ドスッ。ドスッ。ドスッ。


 呼吸は安定している。足さばきも正確だ。パンチの角度、力の入れ方、全部“理想的”だった。


 けれど——


 感情だけは、抑えきれなかった。


 次第に拳に力がこもっていく。

 冷静なフォームが崩れ、肘も肩も無理に動かすほどになった。


 サンドバッグが揺れすぎて、天井のチェーンが軋む音を立てた。


 「……はあ、はあっ……くそ……」


 誰もいない時間帯を選んでいる。だから、声を出せる。


 それでも怒鳴らない。叫ばない。ただ、吐き出すように一言だけ呟く。


 「死ねよ……」


 その一言は、空気に溶けて消えていった。


 計画は順調だった。

 父は会社から解雇通告を受け、酒に逃げる日々。母は近所付き合いから孤立し始め、家に引きこもっていた。


 でも、それでもスッキリしなかった。


 あいつらの顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 魁の冷たくなった手の感触が、まだ掌に残っている。


 何百回殴っても、何冊本を読んでも、訓練しても、癒えない傷がある。


 それでも、大は立ち止まらない。


 感情が癒えなくてもいい。

 怒りが消えなくてもいい。

 終わらせるためだけに生きている。


 だから、今日もサンドバッグを殴る。

 何も言わずに。誰にも頼らずに。誰にも理解されなくていいと思って。

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