回想 ~出会い~

 右、木。左、暗闇。後ろ、何も見えない。


 立ち止まるのも怖いから、とりあえず進んでるけど……。


「絶対迷った絶対迷った絶対迷った……!」


 どれくらい歩いたんだろう。


 何分経った?


 俺の体感じゃもう一時間は経ってる。


 足は疲れてないけど、恐怖を無視するのもそもそも限界だ。太ももが張ってきてる。


 ガサッ。


「ひっ」


 背後で何かが動く音。


 その瞬間、俺は全力で走り出していた。


 後で知ったんだけど、このときの俺の行動は間違っていたらしい。


 人間の足じゃ、野生動物には到底勝てっこないし、逃げ出せば後を追ってくることが多いんだって。


 刺激しないように自分を大きく見せつつ、静かに退避……ってできたらよかったんだけど。


 もうとにかく頭の中が真っ白で、逃げなきゃって心臓が急かすように、バクバク脈打ってたんだ。


 どのくらい走ったとか、道中のことは何も覚えてない。


 だけど、ここからは記憶がある。


 月明かりに照らされた、荒れ放題の広場。


 その真ん中に佇む、白い人型のシルエット。


「っ!」


 それを見た瞬間、俺は電池が切れたようにへたりこんでしまった。


 俺の気配を感じ取ったんだと思う。


 ざっざっと草をかき分ける音が近づいてくる。


 マズい……!


 逃げなきゃだけど、腰がぬけて動けない。


 ユーレイだよな。


 見つかったら呪い殺される?


 い、嫌だ……!


 まだ死にたくないっ……!


「あ……あの……。どうか、命だけは……っ!」


 アニメかよってツッコミたくなる、クサいセリフ。


 情けないことに声も震えてたけど、俺が思いついたのは命乞いだけだった。


「え? えっと……。取って食べたりしませんから、顔を上げてください」


 鈴みたいに澄んだ声が、困惑したようにつむじに降ってくる。


 あれ、思ったより人間味のある声だな?


 俺はおそるおそる視線を上げる。


「え……」


 心臓がどっと脈打って、胸を飛び出す。


 俺は息をのんで少女を見つめる。


 シルクのような輝きを放つ真っ白な長い髪。


 満月を思わせる黄金のつぶらな瞳に、ちっちゃなくちびる。


 心配そうに下がった眉は、綺麗な八の字を描いてる。


 なん、だ、これ……。


 胸が苦し……っ。


 俺が無意識に左胸をつかむと、彼女はあわあわと両手を動かし始めた。


「あっ……! すみません! お面をつけるのを忘れてて……!」


 彼女はくるっときびすを返す。


 お面?


 なんでそんなものつけるんだ?


 こんなに、かわいいのに。


「? あの……?」

「っごめん!」


 気がついたら俺は、彼女の手首をつかんでいた。


 不思議そうにつかまれた手首を見つめる彼女に、俺は慌てて手を離す。


 ななな、何やってんだ俺!


 無意識にって初対面の人だぞ!?


 変質者じゃん!


 俺は言いわけを並べるように口を開く。


「お面なんてつけなくていいって。君、かわいいんだから顔隠す必要なんかないよ」


 彼女のぽかんとした顔を見て、ハッとした。


 今しれっと、かわいいって言って……!?


 ああもうっ、マジで何を口走ってるんだよ!


 絶対、軽いヤツだって思われて……。


「ふふっ。ヘンな人」


 彼女はくしゃっと顔を崩す。


 わらってる……?


 また心臓がどっとハネて、俺は頭にハテナマークだ。


 動悸?


 今までこんなのなかったのにな。


 彼女を見てると、たまになるみたいだ。


 俺の体、どっか悪いのかなとか思うけど……。


 でも、ずっと見ていたいって思う。


 もっと笑ってほしいって思う。


 なんかヘンな気持ちだよな。


「顔を隠さないでいいなんて、初めて言われました。しかも、私に自分から触れるなんて」

「それはその……ごめん」

「なんで謝るんですか? 何も悪いことしてないでしょう?」

「知らない人に急に手首つかまれるなんて、嫌だっただろうし……」

「嫌? 私は嬉しかったですよ?」


 ごにょごにょと口ごもる俺に、彼女は無邪気に笑いかける。


「でも、アレがないと危険なので、取ってきますね」


 彼女はたたたっと、着物を振って駆けていく。


 危険……って、どういうことだろう。


 俺の心臓の様子がおかしいこと、気づいてる?


 そのお面とやらに、何か抑制効果があるのかな。


 きっと、どんなお面でも似合うんだろうな。


 そんな淡い考えは、彼女が振り返った姿に一瞬で凍りついた。


「鬼……」


 真っ赤な、般若の鬼の面。


 村では鬼は邪神として扱われてて、災いをもたらすとされている。


 盗みとか殺人とかを犯した人には、鬼の焼印がおされたりもする。


 つまり鬼は──罪人の証。


「なあ、やっぱりそれ外し……」


 彼女は無言で、左右に首を振る。


 それがなんだか、一線引いた拒絶に見えて、でも寂しそうに見えて。


 俺はそれ以上、頼むことはできなかった。


「じゃあさ、もうちょっと話していってもいい?」


 こんな鬱蒼とした森の中に独りでいるのも、鬼のお面をしたがるのも、何か事情があってのことなんだろうけど。


 ならどうして、俺の目には彼女が神秘に映るんだ?


 知りたい。話したい。


 純粋にそう思った。


 彼女は少し迷うようにうつむいた後、そばに建っている漆の社の石段に腰かける。


 そして、隣をうながすように手で叩いた。


 俺は草をかき分けて、彼女の横に座る。


 石段の幅が狭くて、肩がぶつかりそう……!


 近くで見ると、やっぱめっちゃ華奢だよな。ちゃんと食ってんのかな。


 考え出してハッと我に返った俺は、煩悩を追い出すように彼女から目をそらす。


「君の名前は?」

「名前?」


 名前、名前……と彼女は、口の中で転がすようにつぶやく。


 もしかして、言いたくなかったかな。


 初対面だもんな。


 警戒心が強いのは、悪いことじゃない。


 ……ちょっと悲しいけど。


「ギン、なんてどう?」


 ふっと口をついて出た言葉に、彼女は俺を見上げる。


「君の髪は綺麗な白だけど、月明かりに透けると銀にも見えないか? ほら」


 俺は割れ物を扱うみたいに、丁寧に彼女の髪をすくう。


 そして、彼女にも見えるように月にかざした。


「……本当だ」

「だろ? 綺麗だよな」


 そっと手を下ろし、髪を離す。


 彼女は、しばらく放心したように月を見てたけど、ふわっと口角を上げてほほえんだ。


「ギン」


 彼女はかみしめるように、何度もつぶやく。


 そのたびに胸の鼓動が早まって、また息がしづらくなった。


 でも俺……もしかして嬉しいのか?


 息が苦しいけど、満足してる。


 そんな感じだ。


「俺さ、ギンは何か事情を抱えてるんだって思ってる。たぶん言いたくないこともあるだろうけど……話せるとこまで聞きたい。ギンのこと、もっと知りたい」


 フツーじゃない、特殊な事情っていうのは分かってるつもりだ。


 でも、お面をつけてからずっと、寂しそうに見えるんだ。


 聞いてどうするんだよって、俺に何ができるか、分かんないけど……。


 でも、何かしたい。手伝えるなら手伝いたいって、思ったんだ。


 ギンはお面の奥で瞳を揺らす。


 話してくれるかなって期待したけど、ギンは何かに気づいたように、森に視線を移した。


「お友達が待っていますよ。早く戻らないと、騒ぎになるんじゃないですか?」

「えっでも……」

「また今度、です。もう今日は、夜も遅いですし」


 ギンは急かすように俺の肩をおす。


 ああ、そっか。


 俺が森に入ったのも、二時くらいだもんな。


 ギンもそろそろ休みたいよな。


 俺は未練を引きずるようにして、足を進める。


「……あの、さ。また、ここに来てもいい?」


 禁域の森。


 あんなに迷ったし、どう進めば来られるかなんて、分からない。


 こんなにも現実離れした空間だ。


 口約束で次が確立されるわけじゃないと思うけど、ただ返事が欲しかった。


「はい。いつでも待っています」


 遠目だったし、逆光でよく見えなかったけど、嬉しそうに笑ってくれた気がした。


 ギンの肯定にほっとしたからかもしれない。


 俺は一回大きく手を振ると、浮き足立った気持ちのまま、暗闇へと駆け出す。


 いつの間にか、不思議と恐怖はなくなっていた。

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