夏に咲いた銀

流暗

回想 ~肝試し~

 あの森に入ってはいけない。


 それがこの村の暗黙の了解という名の掟だった。


 俺── 出雲いずもりゅうの家は、門限もなければ、欲しい物は好きなだけ買ってもらえる代わりに、それだけは守れって口うるさく言われてきた。


 そもそも俺が、ヤンチャすることがあんまないからかもだけど。


 俺が住んでる村は、都市部から離れたいわゆる辺境で、領主様の政治がうまいからか、貧富の差も小さい。


 だからたぶん、他の家庭もそんな感じ。


 なんで入っちゃいけないのかは知らないし、聞くことすらタブーみたいな空気が大人から漂ってる。


 学校の友達は、悪魔が封印されてるとか、一度入ったら出られなくなるとか、ファンタジーめいたこと言ってた。


 でも実は俺、その森に入ったことがあるんだ。


*****


「「「せーっの!」」」


 中学校からの帰り道。


 俺は友達の、因幡いなばかける八岐やつまた丹織にしきとにらみ合っていた。


 バッと鞄から取り出した紙を見比べ、俺はうめき声を上げる。


「くっそー、またドベかよ!」

「まあまあ。龍にしては頑張ったんじゃないの? 龍にしては」

「おい。なんでそこ強調した」


 翔はニヤニヤと自分のテスト個票を揺らす。


「僕たちに勝つにはまだ百億兆年早いということだな」

「ゆうてお前ら、俺より十点ちょい高いだけだろ!」


 得意げに眼鏡の縁を上げた丹織に、ツッコミを入れる。


 手首を返して現れた三百八十の数字に、俺はチッと舌打ちをした。


 ……おいそこのお前。


 半分もないじゃん低すぎとか思っただろ。


 でもな?


 俺が一番そう思ってるから。


 いっっちばん分かってるから!


「んじゃまー、肝試しプレイヤーは龍ってことで」

「ホントにやんの?」

「当たり前だ。貴様が言い出したんだろう」

「そーだけど……」


 今回の期末テストの点数が一番低かったヤツが、あの禁域の森に入る。


 たしかに俺が提案した。したけど……!


「どしたの龍。まさかビビってん……」

「そそそそんなワケないだろっ!?」


 俺があくまでフツーに否定すると、翔と丹織は顔を見合わせる。


 そして、ぶはっとおかしそうに吹き出した。


「あっははは! 龍ってば、ヒッドい顔してるよ!? オバケ怖いもんねぇ?」

「非現実的だから、信じないんじゃなかったのか? ……ぐふっ。泣きたいなら泣いてもいいんだぞ?」

「お前ら……」


 翔はしゃがみこんで地面をバンバン叩き、丹織はのけぞって体を揺らしてる。


 コイツら……人の気も知らずに……。


 そうだよ。


 俺はオバケとかユーレイとか、世界の理から外れているモノが怖い。


 占いとか神様とか、曖昧なモノも信じてない。


 だって、誰が証明できる?


 ソレが確かなモノだって。


 ……え? じゃあどうして怖いのかって?


 それは……察してくれ。


 俺は笑い潰れる二人を見ているうちに、バカバカしくなって、ずんずん家へと足を進める。


「じゃあな! 今日の夜、忘れんなよ!」

「はいはい。一人じゃ怖いもんね」

「ちゃんと貴様のビビり散らかす様を……んんっ! 恐怖に立ち向かう勇姿を見届けてやるぞ!」


 背中にかかる言葉に、脳内で二人をボコボコに殴る。


 どこまでもバカにしやがって……。


 ちょっと森に入るだけだ。俺にだってできる。


 このときの俺はそんな簡単な思考で、この後起こることなんか全く想像もしていなかった。


*****


 日付をまたいで午前一時半。


 いわゆる丑三つ時ってやつだな。


 こんな遅い時間、普段ならとっくに夢の中なのに……。


 ノリと勢いで提案したばっかりに……。


 にしても暗くね?


 真夜中なんだから当たり前だろって思うかもだけど、街頭が全然ないせいで、一歩間違えれば側溝にドボンだ。


 まあ、なんか出てきそうな雰囲気のせいでそれどころじゃないけど。


 ……意識したら余計に怖くなってきた。


 さっさと行ってさっさと終わらせよう。


「りゅーうさんっ」

「うわああぁああ!」


 ばんっと背中を叩かれ、俺は文字どおり飛び上がる。


「ッふふ。うるさ……っ」

「翔お前っ、マジでふざけんなよ……!」


 し、心臓止まるかと思った……。


 全身の筋肉がビックリを引きずって、未だに震えてる。


 翔はというと、俺の肩をつかんだまま、口をおさえて笑いをこらえている。


「ごめんごめん。ビビりなのは昔っから変わってないんだね。やっぱり面白……心配だな」

「おい」

「じょーだんじょーだん! 早く行こ。丹織が待ってる」


 翔は俺の手を握ると、ぐいぐい引っ張って前に進んでいく。


 その背中を見ながら、俺は今朝の夢を思い出していた。


 真っ黒に塗り潰された木々の群れが、追うように迫ってきていて。


 抜け出さなきゃって思ったから、ひたすらに走って走って走って……。


 やっと広い場所に出られたと思ったら、月明かりに照らされる、白い人のシルエット。


 背筋が凍った感覚がして目が覚めたけど、よくよく考えたらさ。


 ユーレイ、だったんじゃないか……?


 しかも周りの風景は森みたいだったし……。


 まさか正夢に、なんて。


 あははっ。なるわけないよな。


 オバケなんて、ユーレイなんていないんだ。


 あくまでエンタメの中の存在であって。


「あれ。丹織まだ来てないんだ」

「まだ? 珍しいな。いつも俺らより早いのに」


 塗装が剥がれかけた赤銅色の鳥居。


 丹織は時間にうるさいから、十分前には場所に着いてる。


 ここ集合だって言ったのにな。


 なんかトラブル?


「丹織に限って、寝落ちしちゃったとか?」

「ないない。大方、アイツのほうがビビって来れなくなったん……」


 パチッ。


「ずーっとここにいるぞ……?」


 耳元でささやかれ、俺は悲鳴をのみこんで、ずざざっと後ずさる。


 そこには、非常用ライトで下から顔を照らした丹織が!


「お前らさあ! なんでいちいちおどかしてくんの!?」

「「反応が面白いから」」

「俺で遊ぶなっ!」


 悪気なく答える二人は、きっと俺を玩具おもちゃかなんかだと思ってる。


 うん、絶対そう。


「まあ前菜は置いておいて。さっさとメインディッシュに入ろうじゃないか」

「えぇ……?」


 何その雑な扱い。


 俺、娯楽料理かなんか……?


 丹織はライトを俺に手渡す。


「貴様のことだから、恐怖でなんの準備もしてきてないんじゃないかと思ってな。貸してやる」

「これ、俺からも。笛ね。怖くてしょうがなくなったときに吹いて。助けに行ってあげる」


 翔は握っていた俺の手にホイッスルを乗せる。


 あ……。


 そっか。肝試しだもんな。


 俺、なんも持ってきてないや。


 いつもからかってくるけど、なんだかんだ心配してくれてんのかな。


 感動で胸が熱くなるのを感じながら、電灯と笛をぎゅっと握りこむ。


「ありがと。使わせてもらうよ」

「ん。楽しみにしてる」

「泣きべそかいて帰ってこい」


 応援ともからかいとも取れる声を背に、カチッと明かりをつけて、足元を照らす。


 鳥居をくぐると、まるで別世界に迷いこんだような不思議な心地になった。


 気のせいか気温も数度下がったように思う。


 ……もうすでに帰りたい。まだ一歩目だけど戻りたい。


 けど、ここで引き返したら笑われるに決まってる。


 見返してやるって意気で来たんだ。


 バカにされに来たんじゃないぞ!


 俺は自分を奮い立たせるように、首にかけた笛を握りこむ。


 ふーっと長く息を吐くと、拒否する足をムリヤリ前におし出した。

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