逃避行 ~出雲龍~
っていうのが一回目。
俺が無事、森から出た後、その場でぐるぐる回ってた丹織が、すごい速さで駆けてきて。
ケガはないかとか、呪われてないかとか、全身チェックされた。
翔は、医者を呼んでくるとか言って走っていこうとするから、慌てて止めた。
本当になんともないしな。
逆に、出発前より気分がいいくらいだ。
聞けばもう、一時間半も経ってたんだって。
そんなにかってビックリしたけど、それよりめっちゃ心配してくれてたことが、密かに嬉しかったり。
絶対言わないけど。
「恋だね」
「恋だな」
それから数日経った、昼放課。
あの日、森でギンに会ったことは言ってない。
なんとなく言わないほうがいいと思ったのと、俺だけの秘密にしときたかったんだ。
毎日のようにこっそり会いに行ってるけど、日に日に心臓がドキドキする、ヘンな気持ちが大きくなってって。
今は翔と丹織に、ある程度伏せつつ相談してるとこ。
二人は弁当から目を離さずに、声をそろえる。
俺は箸でつまんだ卵焼きを落とす。
「え? コイ?」
「……魚じゃないよ?」
「分かってるわ」
ぱくぱく。
「……なあ」
ぱくぱくぱくぱく。
「ちょっとは顔上げろよ。何? 俺、なんかした?」
いつもはもっと話も弾むのに。
なんか今日、投げやりじゃないか?
「なんかした、だと……?」
丹織がバンッと机を叩く。
「白々しい! 非リアの僕たちに、分かるワケないだろう!? こここ、恋なんて!」
「ホントだよ。言う相手、間違えてるって」
翔は一切手を止めずに、ご馳走様まで秒読みコースだ。速い。
「なんなの、お前ら。なんでそんな、俺に恋させたがるわけ?」
「いやいやいや。その子の話をしてるとき、龍、乙女の顔してるから」
「でも分かんないんだろ? 恋のこと」
「……嫌なとこつくね」
渋い顔で弁当を片づける翔。
俺は、今にも立ち去りそうな翔の腕をつかむ。
「ちょちょちょ、悪かったって。見捨てないでくれよ……!」
「えー……?」
俺が手を合わせると、翔は仕方ないなと言いたげな表情で、座り直す。
「で、なんで俺が恋してると思ったんだ?」
「だって、心臓ドッキドキで、呼吸がうまくできなくなるけど、ずっと見てたいとも思う、でしょ? もう恋じゃん」
「そうなのか……?」
恋……コイ……こい……。
人を恋愛的に好きになったことがないし、こんな気持ちも初めてだから、よく分かんないけど……。
客観的に見てそうなら、そうなのか……?
「ずっとその人のことを、考えてるんだろう?」
「うん」
「それだけで、幸せな気持ちになるんだろう?」
「うん」
丹織がくいっと、眼鏡の縁を上げる。
「そしてあわよくば、自分だけ見ていてほしいと思っている」
「そ、んなこと……」
否定しかけて、口を閉じる。
ギンのことを隠した理由の一つ。
もしかして俺、ギンに二人を会わせたくないのか?
ギンが俺以外を見るのが、嫌だから?
「いや、そうかも? 鋭いな、丹織」
「まあな。非リアでも、これくらい分かって当然……」
「丹織のお姉さん、恋愛物好きだもんね。もしかして、それ読み漁ってベンキョーしてる?」
翔が横槍を入れると、丹織がぴしっと固まった。
……図星か。
「……だとしたら、何が悪い! 僕だって……僕だって、アオハルな学生生活を送りたいんだよ!」
「うわー、切実」
「なんか……頑張れ」
丹織の必死な叫びが、教室中にこだまする。
みんな気の毒そうな視線を向けてきてるけど、当の本人は気づいてないみたいだ。そっとしておこう。
翔が生温かい空気を抜け出すように、話題を変えた。
「そういや龍、最近ケガ多いよね。こないだ、田んぼの側溝に足がハマったんだっけ」
「そうなのか? 昨日は、家の階段から落ちたと聞いたが」
「あー……。うん、まあ……」
俺は翔と丹織から目をそらして、頭をかく。
昨日は階段を踏み外して、一昨日は側溝に落ちて、その前は猫に頬を引っかかれた。
まだ二人には言ってないけど、今日は徐行してた車にハネられて転んだ。
他にもいろいろなことが重なって、今や全身ボロボロ。
最初のほうは偶然かなって思って、気にしてなかったんだけど、あまりにも多すぎるよな。
「……やっぱ、呪いじゃない? お祓い行ってきたら?」
翔が声をひそめてささやく。
こう言いたいんだろう。
あの森に入ったから、呪われてるんだって。
ケガが増えてるんだって。
俺も頭をよぎったけど、すぐにそんなわけないって打ち消した。
「大げさだな。死ぬようなケガじゃないし、たぶんそういう期間なんだよ」
「貴様は、怖い可能性を見ないフリをしているだけだ。ナメていると手遅れになるぞ」
翔と丹織の目に、あの夜と同じ心配の色がにじむ。
俺がオバケとか怖がるから、呪いも同じように、信じないって言ってると思われてる?
違うのにな。
呪いなんて信じてない。
そう思ってるのは確かだけど、怖いからじゃない。
たぶん俺は……。
キーンコーンカーンコーン。
授業開始五分前の予鈴に、がたがたっと教室内が騒がしくなる。
「とにかく、俺のコレはそういうのじゃないから。不運が一気におし寄せてるだけだから」
この話はおしまいって言うみたいに、俺は机の位置を元に戻す。
机の中から本を取り出し、拒絶の壁を作りながら、ページをめくる。
心配してくれるのは嬉しいし、ありがたいんだけど……。
絶対に呪いなんかじゃない。
だって、ギンはあんなに優しく接してくれるんだ。
ギンがいるところが呪いの原因なんて、ありえない。
それに、そんなファンタジーめいたこと、あるワケないだろ?
……でももし、本当に呪いがあるとしても。
俺は否定するよ。
ギンに出会った場所が、人を呪うなんて信じない。信じたくないんだ。
翔と丹織の言い方で表現するなら、俺はギンに恋をしてるから。
*****
日が傾き始めた夕暮れどき。
俺はミモザの花のしおりを持って、森の中を歩いていた。
ここって見渡すほど緑と茶色だから、花とか実とかが全くないんだよな。
だから昨日、俺ん家の庭に咲いてるミモザの話をしたら、思いの外食いつきがよくて。
明日見せるよって言ったはいいけど、もう散ってることに気づいてさ。
母さんが、自作のしおりを持ってたことを思い出して、翔と丹織に見せるとかなんとか言って、借りてきたんだ。
「喜んでくれるかな」
驚くかなとか、どんなふうに笑うだろうとか、考えるだけで顔がなニヤけるのを感じる。
これが、恋ってやつ?の感覚?
まだ半信半疑だけど、ぶっちゃけ名前なんてどうだっていい。
今が楽しくてしょうがないんだ。
それに、少しだけど進展があってさ。
毎日話してるうちに、ギンがタメ口を使ってくれたんだ。
少しは警戒を解いてくれたのかなって、嬉しくなったんだけど、彼女は無意識だったって。
仲良くなりたいって俺の願いが、ちょっとだけ叶った気がしたんだ。
まだまだ俺が一方的に話してるだけで、ギンのことはあんま聞けてないけど、これからだよな!
「ギン。今日は花を……」
ひょっこり木の影から顔を出しかけて、慌てて引っこむ。
ギンが、誰かと話してる……?
しかも、一人じゃない。
大人?
この森には、入っちゃダメなんじゃなかったのか?
俺は息を殺して、聞き耳を立てる。
「変わりないな? ったく、お前がいるせいで、村の評判が下がってるんだ。その力、もっと我々のために役立ててくれよ」
「……はい。分かっております」
一人のぽっちゃり体型の男の後ろに、二人の筋肉質な大人がひかえてる。
見たことあるぞ。
あの人、領主様だ。
「今年の夏は暑くなるそうだが、雨が降る気配はないんだと。お前はどこまで、領民を苦しめれば気が済むんだ?」
「申し訳ございません」
「なんのために、生かしておいてやってると思ってるんだ。親殺しのクセに、他人に迷惑をかけることばかり……」
力? 親殺し?
なんの話だ。
他人に迷惑かけるって、ギンはこの森からは出たことがないって言ってた。
なのに、どうやって……。
「お前の目を見た者は、みな不幸になる。それが天気にも作用するとは、恐れ入ったよ。成長するにつれ、力の制御ができなくなってるんじゃないか?」
「っそんなことは……!」
「いつになったら死ぬんだ。この疫病神」
ギンが、びくっと震えた。
俺は頭の中がさあっと冷えて、気づけば草の中を走っていた。
「あの。なんでそんなヒドいこと、言うんですか」
「龍……!?」
俺がギンをかばうように背に隠すと、彼女は驚いた声を上げる。
「なんだ、お前は。ここは立入禁止区域だぞ」
「どうだっていいです、そんなこと。訂正してください。ギンに言ったこと。ギンは人を幸せにできる。いつになったら死ぬんだなんて、そんなこと言われていい人じゃない」
「はあ?」
「はあ、じゃねぇよ。訂正しろっつってんだ! このクソジジイ!」
領主の顔がゆでだこになるまで、一瞬だった。
たぶんこのとき俺は、完全に頭に血が上ってたんだと思う。
ギンが必死に領主に何か訴えようとしてたけど、とにかくアイツらに近づいてほしくなくて、腕でおさえてた。
すぐに護衛に組み伏せられたけど、もう一人がギンをつれていこうとするのを見て、思いっきり体をひねった。
予想外だったのか、体勢を崩した男の弱点をけり上げて、ダウンさせる。
「ギン!」
ギンに手を伸ばすと、彼女は何か言いたげな表情で振り返る。
けど、ギンが口を開く前に、俺は腕をつかまれ、そのまま気絶させられてしまった。
意識が沈む、その一瞬に。
ギンの、助けを求めるような瞳を見た気がした。
*****
「くそっ、ダメか」
目を覚ましたのは案の定、牢の中だった。
手を後ろ手で縛られてはいるものの、何も取り上げられてはいない。
時間がなかったのか、脅威ナシと判断されたのか、知らないけど。
ギンもたぶん、同じような状況だよな。
俺の場合、見張りすらいないけど、ギンは領主が気にかけてたんだ。
それに……親殺し、だって。
警備も厚くなるよな。
助けなきゃって思う反面、俺のせいでこんなことになってるんだと思うと、躊躇する。
「……嫌われちゃったかな」
体が勝手に動いたなんて、もはや見苦しい。
口にすると現実味が一気に胸を満たして、不安に駆られる。
ギンはあの森が嫌いだとか、愚痴をこぼしたことがない。
むしろ、あの黒い社を大事にしてたくらいだ。
今回のことで移動とかになったら……。
何余計なことしてんだって思うよな。
前より自由が制限されるかもしれない。
でも、あんなこと言われて、黙ってるなんてできなかった。
俺は、ギンのことが特別だから。
ギンを否定する言葉を浴びせたアイツが、許せなかった。
それにきっと、気を失う前に見えた目は、助けを求めてた。
なら、どれだけ恨まれても嫌われても、俺はギンを助け出す。
それを、ギンが望むなら。
俺はどんな手を使ってでも、叶えてやりたい。
「まずは俺が、ここを出ないとなんだけどな……」
月明かりが差しこむ鉄格子に、縄をこすってみたけど、変化なし。
ちょっととがってるから、いけると思ったんだけどな。
「いてっ」
どさっとへたりこむように座った俺は、お尻に何かが食いこんで、ハネ上がる。
なんだ? 石でも踏んだか?
首をひねって確認するけど、冷たい床の上には何もない。
「おかしいな……」
確かに何か踏んだんだけど。
じんじんするお尻を手でさすって、ハッとした。
この形……。
翔がくれたホイッスル!
肝試しの後ちゃんと返したのに、なんで……。
不思議に思ったけど、翔の言葉を思い出して喉を鳴らした。
コレにかける?
牢にまで来てくれるわけないけど、俺一人じゃどうしようもない。
ムチャぶりすぎるのは分かってるけど、今はもう八方塞がりだし。
俺はなんとか笛を口元に持ってくると、思いきって息を叩きこんだ!
ピーッ!
すぐにポケットにしまいなおすと、息を止めて牢の入り口を見つめる。
見張りが来るかもしれない。
体中チェックされたら終わりだ。
来てくれるか……?
一分……二分……。
「……ダメか」
誰も来ないっていうのもおかしいと思うけど、やっぱりムチャだよな。
俺は壁に寄りかかって、ずるずるとしゃがみこむ。
「……っ、……」
話し声? 外から?
俺は何気なく外に目をやる。
「う……っ!」
出かかった悲鳴を喉でのみこむ。
俺の視線の先には……ぼうっと浮かぶ、白い生首が!
こんなときにオバケ!?
相手してるヒマないのに、カンベンしてくれよ……。
「くふふっ。龍ってば、またビビってる……!」
生首の後ろにひょっこり顔を出した人に、俺はあっと声を上げる。
「翔!」
来てくれたのか!
ってことは、あの生首は……。
ライトで顔を照らした丹織!
俺は鉄格子に駆け寄る。
「まったく、ムチャするね。こんなとこで笛吹くなんてさ。ま、俺たちも龍を探してたから、ちょうどよかったけど」
「そうだぞ。僕たちが龍を尾行していなければ、気づくワケがなかったんだからな」
「……尾行?」
俺がオウム返しに聞くと、二人は鷹揚にうなずく。
「だって龍、最近学校が終わると、さっさと帰っちゃうし。例の好きな子に会ってるのかなってのは分かってるのに、聞いても教えてくれないし」
「いや、だからって……。お前ら、あんなにどーでもよさそうにしてたじゃん」
言わなかった俺も俺だけど、それは人としてどうなんだって言いかけて、口をつぐむ。
翔と丹織の言うとおりだ。
理由はどうあれ、見てくれてなきゃ、俺はどうしようもなかった。
たまたまの偶然だけど、そこは感謝するとこだ。
丹織が光を下ろして、ぽつりとつぶやく。
「あの森から出てきた女。貴様は、アイツが好きなのか」
「……うん。そうかもしれない」
「脱走してまた捕まったら、殺されるかもしれないぞ?」
「それでも、ギンが生きていてくれるなら」
俺の命でギンが自由になれるなら、それで構わない。
これは自信を持って言える。
「親父たちがさ、話してたんだ。龍とあの女の子の処遇。龍は足の腱切って歩けなくして、女の子は四肢を切り落として、首輪につなぐって」
「なんだよ、それ……!」
腹の底が沸騰して、今にも暴れ出しそうだった。
俺はいい。歩けなくなるだけなんて、どうとでもなる。
でも、ギンは?
そんなのもはや、奴隷の域だろ!
手に怒りをこめたせいで、鉄格子がギッとうなる。
「俺もヒドいなって思ったから、ここに来たんだ。でも正直、めっちゃ迷ってる。龍に協力したら、犯罪人をかばったことで、俺たちも殺されるかもしれない。ちょっと手助けするだけじゃんって思うでしょ? でも龍たちは、それだけヤバい扱いなんだよ」
俺はハッと我に返って固まった。
そうじゃん。
何勝手に、手伝ってもらえる前提で考えてんだ。
責任が、罰がつくのは俺だけじゃない。
たかだか友達一人がやらかしたことに、自分の人生棒に振れるヤツなんていない。
……ヤバい、顔見れない。
無責任に二人の命を踏み台にしようとしてたんだ。
人としてどうなんだって、どの口が言ってんだよ。
「だからね、一つ約束してほしい」
翔が暗闇の中から、小指を差し出してくる。
「この騒動を終わらして、その女の子も一緒に、四人で村を出よう。それでまた、バカみたいに笑って暮らそう」
俺は弾かれたように顔を上げる。
こんなときに何言ってんだって、口を開きかけたけど、なんでか否定する気にはなれなかった。
そんなことができたら、叶ったら最高だって、思ってしまった。
電気を下ろしてるせいで、二人の表情は見えないけど、優しくほほえんでくれてる気がした。
「……うん。絶対な」
「やだな、龍。泣いてんの?」
「牢がホコリっぽいだけだ」
泣き虫なのも変わってないな、と二人は声をそろえる。
お前らが悪いんだぞ。
お前らが優しすぎるから。
俺なんかのために、一緒に危険を背負ってくれるって言うから。
「じゃあまー、これ外しますか」
邪魔、というように、肩をぺしぺしと叩かれる。
鉄格子から身を引くと、二本をつかんだ翔の手が照らし出された。
俺も試したけど、どれだけ力を入れてもビクともしなかったぞ。
翔は俺より力ないはずなのに、どうやって……。
「よし、いけた」
翔が一度上に上げて手前に引くと、人が通れるスペースができた。
あっけなさすぎて、目が点だ。
「いいのか……? こんな簡単に……」
「犯罪者にかける金はないって、親父が。そもそも犯罪率も低いしね」
俺が膝で乗り上げて脱獄すると、翔は鉄の棒を元に戻す。
その間に丹織が、縄をほどいてくれた。
「……なあ、本当にいいのか? まだ引き返せるぞ」
もちろん答えは、イエスを期待してる。
ギンを助けに行くには、これが一番の方法だって、分かってる。
でも同じくらい、翔と丹織のことも大事なんだ。
支離滅裂だよな。
心の中で自嘲する。
「今さらアホなこと言うな。それとも貴様、牢にぶちこまれたいのか?」
「そんなわけ……」
「じゃあいいの。俺たちの、友達を助けたいって気持ちに、ケチつけるわけ?」
「……いや。ごめん。二人とも、ありがとう」
野暮だったと思わせるような返事。
覚悟を決めきれてないのは、俺のほうだったか。
「龍のとこに来る前に、ちらっと見てきたけど、あの女の子の牢の周りには、結構見張りがいたんだよね。鍵はないから、さっきと同じ方法で牢から出してあげるしかない。そこで……」
翔が内緒話でもするみたいに、顔を寄せる。
三人で頭を突き合わせ、その作戦に、俺は頬を引きつらせた。
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